一つの物語を二つに分割して夫婦の危機を描くと言ってもいい映画。夫コナー(ジェームズ・マカヴォイ)と妻エリナー(ジェシカ・チャンスティン)の別離と再生というわけ。
それをコナーの視点とエリナーの視点を独立して描いてある。試作という意味があるのだろうか。二つに分割する意味がまったく分からない。それぞれの立場を丁寧に描こうとしたかもしれないが、冗長に取って代わったという感じだ。
コナーの涙編では、レストランで無銭飲食をゲーム感覚で成功させ、逃げてきた公園で人生を謳歌しているコナーとエリナー。まだ若く重い病気や家族の心配事とは無縁な二人。
ところが突然エリナーが家を出て行く。二人の間に諍いもなかったし、他の女性関係もない。途方にくれるコナー。エリナーを探してニューヨークの街をさ迷う。やっと見つけたエリナーだが、よりを戻すのには程遠い。
身が入らないコナーに、経営する酒場も客足が遠のき閉店へと追い込まれる。幸いコナーの父が経営するレストランを引き継ぐ。そしてそのラスト。夜の帳の街を家路に急ぐコナー。信号を渡って小さな公園の中へ。ある地点でコナーは立ち止まる。じっと一点を凝視する。恐らくここが何らかの理由で子供を亡くしたところなのだろう。
公園の外へ歩み去るコナーを追いかけるように、エリナーのコート姿が追いかける。やがてエリナーも闇に溶け込む。これがコナーの涙の終わり方だ。
そしてこの場面をそっくりエリナーの愛情編の終わり方に引き継がれる。ラブストーリーズ エリナーの愛情編は、いきなりエリナーの欄干からの投身自殺から始まる。救助されるが情緒不安定なエリナーの日常が描かれる。
ノーベル賞受賞の父ジュリアン・リグビー(ウィリアム・ハート)と母メアリー(イザベル・ユペール)、妹ケイティ(ジェス・ワイクスラー)の住む実家に身を寄せているエリナー。
父の紹介でフリードマン教授(ヴィオラ・デイヴィス)と昵懇になったり、父の紹介の精神科医を拒絶したり、妹ケイティと夜のクラブで泥酔したりと安定と不安定の入り混じった状態がつづく。
そして母メアリーの故国フランスに留学することになる。その旅立ちの日、父から告げられたのは意外な事実だった。「2歳のお前を抱きながら、渚の水中を歩いた。お前は泳ぎたがった。突然、海の様子が変わり大波が襲ってきた。お前は私の首にしがみついた。次の瞬間、波にのまれた。急いで海面に出ると、お前の姿がなかった。あんな気持ちは二度と味わいたくない。あの2秒間は苦しかった。海はまだ泡立っていたが奇跡が起きた。足元にお前がいた。ママにも黙っていたし誰にも話してない。最悪にして最高の瞬間だった」
エリナーは、しばらくこのことについて考えをめぐらす。やがて意を決したように、クローゼットの棚の奥に母メアリーがしまっておいた額に入れた自分と自分の子供とコナーが写っている写真を取り出した。それを壁の元の位置に戻した。
エリナーは亡くした子供のことを忘れようとしていた。エリナーのことを誰にも言わず、父は自分の胸にしまっておいた。父の深い愛情を感じた。エリナーは、亡き子供への愛が足りなかったことを恥じた。
そして、帳の下りた街をコナーを追っていく。公園に入ったところで声をかける。「ねえ」振る向くコナー。フェードアウトで終わり。編集次第で1本の映画にまとめ、見応えのあるものに仕上げることが出来るのではないか。 というのが私の感想だった。
監督
ネッド・ベンソン1977年4月ニューヨーク市生まれ。
キャスト
ジェームズ・マカヴォイ1979年4月スコットランド、グラスゴー生まれ。
ジェシカ・チャンスティン1977年3月カリフォルニア州生まれ。
ヴィオラ・デイヴィス1965年8月サウスカロライナ州生まれ。
イザベル・ユペール1953年3月パリ生まれ。
ウィリアム・ハート1950年3月ワシントンDC生まれ。
ジェス・ワイクスラー1981年6月ケンタッキー州ルイヴィル生まれ。