猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

「トキワ荘物語」 ⑥ 永田 竹丸

2006年11月21日 10時08分49秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
永田 竹丸氏については私殆ど知らないので、以下 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用させて頂きます。


永田 竹丸(ながた たけまる、本名・みよまる、男性、1934年5月11日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。

人物
『漫画少年』の常連投稿者で、森安なおやに誘われる形で田河水泡に師事する。そして『新漫画党』にも入党。トキワ荘の通い組としても知られている。端正な画風とほのぼのとしたストーリーで、1950年代を中心に人気漫画家となった。当時、漫画で初めてスクリーントーンを導入した人物としても知られ、その後は漫画家仲間の間であっという間に浸透したという。『ビックルくん』で第一回講談社児童まんが賞を受賞。

1960年代中盤は、日本基督教団の冊子に、代表作となった『おにいちゃん』を長期にわたり連載する(やや特殊な誌面での連載ではあるが、宗教色は皆無の生活コメディ作品である)。この時期にはTCJ(現・エイケン)やピー・プロダクションに在籍していたこともある。

1970年代以降は仕事が減り、藤子不二雄のチーフアシスタントをしながら細々と自分の漫画を執筆していた時期もあった。

田河水泡の『のらくろ』の漫画執筆権を譲り受けた正統継承者でもある(山根青鬼、山根赤鬼も『のらくろ』の正統継承者である)。

主な作品
おにいちゃん
ビックルくん
トキワ荘青春物語(競作)蝸牛社
ものしりママのチエ子さん

エピソード
藤子不二雄Aの『まんが道』では、実家の庭に離れ家を作ってもらい羨ましがられる、というくだりがあるが、実際には母屋の損傷が激しく、部屋の殆どが使い物にならなかったためにやむなく離れ家を建ててもらったという。
スクリーントーンを初めて使った人物ではあるが、後進の漫画家達がスクリーントーンを多用する事を批判している。
唐沢なをきの漫画『電脳なをさん』で『おにいちゃん』のパロディ『おなにいちゃん』が描かれたことがある。

 
 長くなりましたが、私も知らない事ばかり。ふ~ん、こんな方だったのね。

 
     「トキワ荘物語」 ⑥ 永田 竹丸 「漫画少年合作の記」  

以下、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。

 他の方達が大体8ページの作品なのに、16ページの大作です。新漫画党のスターティングメンバーである永田氏は、この作品の舞台を仕事、特に 「漫画少年」 と、その出版社 「学童社」 について多く描いています。

 飯田橋駅の絵があり、東京飯田橋。トキワ荘の住人達がまんが家をこころざすきっかけをつくった 「漫画少年」 の学童社はこの駅から五分程の所にあった。

 そこでは山根 赤鬼・青鬼の双子兄弟や、森安氏など投稿仲間と知り合い、交流を深めていた。寺田氏が新潟から上京し椎名町のトキワ荘に住むというので、早速おとづれる。自宅から徒歩で10分と近かった。
 学童社から投稿仲間に召集がかかり、合作の特集をやる事になった。皆でアイデアを出し合い、カレーライスをご馳走になりながら和気藹々としていたが、当時から返本の山は凄かった。以前は雑誌が足りないくらいの事もあったと聞いたのに・・・。

 合作1回目は 「もしも特集」 となり、寺田、山根兄弟、永田、坂本、の5人で合作した。(表紙の絵)
 
 その前後から寺田氏は 「漫画少年」 に連載を持ち、他の4人もそれぞれいろいろな雑誌に連載を持つようになった。

 2回目の合作は山根兄弟が他社の仕事で忙しく、3人だけになった。学童社は原稿料の払いが悪いので引き止められないのだ。寺田氏など学童社一本でやっているので、コッペパンと水だけで一週間も過ごすとか、と編集者に聞き、ガリガリになって倒れている寺田氏を想像して訪ねてみるが、無事な顔を見てほっとする。(笑)
 永田氏は自宅組 (つのだ じろう氏もそう) だったので、上京組のことは、心配していたのでしょう。優しい方ですね。
 
 森安氏や安孫子氏も集まってきたので、みんなで漫画のグループを作ろうという事になり、ちょうど良いので 「漫少」 の合作をこのメンバーでやろうという事になった。

 その頃の漫少の投稿欄にはのちにトキワ荘の住人になった 鈴木伸一、赤塚不二夫、石森章太郎、つのだじろう、松本零士、伊藤章夫、前川かずお、内山安二、多田ヒロシ等おおぜい名をつらねている。

 合作は、「新漫画党特集」 として大型ページになり、快調だ。森安氏はキャバキャバと喜んでいる。次々とアイデアを出し合い、4色ページになったりして好評で、他の雑誌からも合作の以来がドンドン来る。それぞれ個々の作品も認められていった。
 
 そんなある日、他社に合作原稿を届けた永田氏、ふと思い立って学童社に寄ってみた。そこで 「漫画少年」 が十月号で廃刊になるのを知る。

 最後のコマは・・・。

 いつも気軽に向かうトキワ荘へ、その日ばかりは足が重かった。やがてそれぞれ仲間の仕事の舞台は変わり、私は新漫画党を去った。新漫画党は、後からトキワ荘に住むようになった人たちを加えて再編成された。

と終わっています。なんで永田氏が離党したのかは明かされていません。他の人の作品にも載っていませんが、穏やかな永田氏のことですから、けんか別れということは無いでしょう。ちなみに、本人の似顔絵はまあ、十人並みに描かれていますが、他の人の永田氏の似顔は、どれも非常に美男子に描かれています。顔も性格もノープルな都会派の方だったのでしょうね。
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「トキワ荘物語」  ⑤ 鈴木 伸一

2006年11月20日 11時50分48秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 ラーメン好きの鈴木さん、として藤子不二雄のマンガなどでキャラ的には有名になった鈴木 伸一氏の巻。トキワ荘後、アニメーターとして生きることになります。マンガ家 → アニメーターは吉田 竜夫氏などもそうでしょうか、結構いますよね。

 表紙は、寺田氏、藤子不二雄両氏、石森氏、赤塚氏、森安氏、自分の似顔絵が並んでいます。本人はベレー帽をかぶって机の前にいます。多分写真から起こしたような、写実的な似顔絵です。気になったのは、前回の巻を描いた森安氏の顔。前回の本人の絵だと、背も低く、可愛い感じの子供っぽい絵に描かれていますが、こちらはホームベース型の四角いごつい顔にめがね、背も大きそうです。他の巻に出てくる森安氏も同じイメージなので、こちらの方が本当の姿なのでしょう。なんで可愛く描いたのかしら。理想を描いたのか ?

 それはさておき、又、黒字は作品中のセリフ及び文章となっています

 寺さんから敷金を拝借してトキワ荘に入ったのは(昭和)30年の9月であった。すでに寺田、藤本、我孫子の3氏がはいっていた。それからまもなく石森、赤塚、森安の3氏も南京虫とともにやって来てすみついた。 

 鈴木氏はペンネーム (風田 朗) からフーちゃんと呼ばれていたらしい。当時まんがだけでは食えない鈴木氏は、昼間は水道橋にあるデザインスタジオで働き、夜アパートへ帰ってまんがを描く毎日だった。仕事から帰ってこれから徹夜でまんがを描くという寺田氏と一緒にまんがを描きはじめるが、昼間の疲れがでて眠くなり大イビキを掻き始める。うるさくて仕事にならない寺さんに顔にスミを塗られてしまった。(ぷぷっ)

 2階の間取りが詳しく出ていて、キッチリ各部屋の様子が俯瞰図で描かれています。我孫子氏の部屋には手塚先生からもらった机があるとか、藤本氏の部屋には (藤本氏はお母さんと一緒に住んでいた) プラモデルの帆船が飾ってあったとか、石森氏の部屋に「凄い音を出すステレオ」があったり、ベートーベンのデスマスクが飾ってあったり、鈴木氏と一緒の部屋にいた森安氏の机は師の田河 水泡氏から頂いたものだとか。作者の几帳面な性格がかいま見えます。
 
 安孫子氏がいつも行くフロ屋でないフロ屋に行って、男湯と女湯を間違えて女性客に騒がれた話や、新漫画党の会合の時のエピソードなどが続きます。
 新漫画党の会合は、始めは真面目に今度デッサン会をやろうとか、先輩漫画家の話を聞きに行こうとか、子供達と交流会を開こうとか、言っているのですが、そのうちいたづらが始まります。蝋細工のピーナッツをみんなが藤子両氏に食べさせられたり、それを美味いと森安氏がざーっと全部食べてしまったり、
 寺さんがプープークッションの犠牲になったり、ガムを取ろうとしてパッチンとやられたり、みんな子供みたい。石森氏の肩にハチが止まっていて寺さんが新聞ではたいたらこれも藤子氏がつけたつくりもの  みんなでふざけあった楽しい思い出。考えて見たらみんな20代前半なんですよね。

 そんなして騒いでいると、下の住人からホーキの柄で天井をドンドンされ、
あんたたち、少し静かにして頂戴!! と怒られててしまいました。下のおばさん、

まったく二階の若いもんときたらも働きにもいかないで遊んでばかりいて、日本もダメねぇ

 なんて言ってる。昼真っから部屋にいて、ポンチ絵を描いてる若者なんてカタギには見えなかったのでしょう。

 最近、トキワ荘を訪ねてみた。もうまんが家は一人も住んでいない。

 ― 略 ―

 しかし、廊下に立っていると十数年前の生活が懐かしくよみがえってくる。貧乏だったが若さがあった。そして夢があった。ここではぐくまれた友情が今日のお互いを支えている。

 最後はトキワ荘の外観のデッサンが描かれています。
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デスノート the Last name

2006年11月17日 13時55分07秒 | 映画
 デスノート the Last name を見てきました。平日、13時10分始まりの回はさすがに人気映画と言えど真ん中に人が固まって (有楽町 ピカデリー1 座席指定) あまり込んではいません。でもガラガラでは無いですよ。年配のご夫婦とか多いけど、タダ券とかで来ているのかなー。お金払って見にくる程の興味はなさそう。

 私もいつものように、住んでいる区の福利厚生制度の 「ゆう」 の券  ↓


           私が映画を安く見ている方法

 を使って1,000円で見ているので、大して変わらないか。でも、私は見たくてわざわざ会社を半休して来ているんですよ~。

 前から、原作とは違います、と宣伝しているので詳しくは言いませんが、結構原作の雰囲気が残っているんでは無いの。もちろんあの膨大なエピソードの全てを盛り込む事は出来ませんし、原作と違う所も多々ありますが、映画だけ見ても破綻していないし、雰囲気は同じだし、成功しているのではないでしょか。ちょっとセットがちゃっちい気もするけど、しょうがないか。
 私お気に入りの 松山 エル 君も活躍してるし・・・。しかし、松山君、前回にもましてそっくり、そのままよ。指の先で携帯つまむとこなんかーーー 
 
 あと、原作とはちょっと違うけど、高田清美役の片瀬那奈さんが色っぽくてよかったですわー。男子、必見ですわよ。女子はもちろん、藤原君の顔と細い肢体を楽しみに見てね。1 を見た人はまぁ、見ないわけ無いと思うけど、2 だけでも多少の前作説明はあるので、分からない事は無いと思います。
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木原 敏江 「花の名の姫君」

2006年11月16日 09時02分30秒 | マンガ家名 か行
 この本、面白かったですよ。

 何がって、歌舞伎をマンガにしているんです。それもしっかりと少女まんが。写真は 秋田文庫 平成9年8月10日 初版のもの。

「花の名の姫君」 四世鶴屋南北 「桜姫東文章」 (さくらひめあずまぶんしょう)より

私が嫌いなお姐様(おあねえさま)  容揚黛(ようようたい)作 「鏡山旧錦絵」(かがみやまこきょうのにしきえ) より

「流星」 福森 喜宇助(きゅうすけ) 「其小唄夢吉原」(そのこうたゆめもよしわら) より

「轟く滝の下で」 「雷神不動北山桜」(なるかみふどうきたやまざくら) より

 この4作品が入っています。大体原作に沿ってマンガ化されているようですが、最後の 「雷神不動北山桜」 では後日談 (当日談だけど) が付け足されていて、ハッピーエンドになっています。いいのか ?

 「桜姫東文章」 のお話、こんなんとは知りませんでした  名前だけは知ってましたがねー。
 のっけから少年愛の心中から始まり、大名のお姫様がその片割れの稚児の生まれ変わりとして起こる騒動の数々。お家断絶が絡んだり、賊に犯されたお姫様が子まで成して賊にほれるやら、お姫様が女郎まで落ちてべらんめえをしゃべるわ、その賊が実は親と弟のかたきだったやら、人殺しはするわ、幽霊は出るわ、あだ討ちの場面になるわ、その他いろいろ、しっちゃかめっちゃか、韓流ドラマも真っ青のジェットコースターストーリー  最後はちゃんと、お家は再興めでたしめでたしの大団円。ああ疲れる。

 江戸の庶民は大名のお姫様が、姫言葉と女郎言葉をちゃんぽんに使う所などで大笑いしていたのでしょう。「鏡山旧錦絵」 もお家乗っ取りの悪人を町人出身の小間使いの少女がやっつけるお話で、庶民の溜飲が下がるように作られています。
 「其小唄夢吉原」 は、一転して悲恋のお話。吉原の女郎 小紫(こむらさき) と江戸に上がってきたばかりの田舎侍 白井権八(しらいごんぱち) のどうにもならない恋。白井権八は 「御存知鈴ヶ森」 という歌舞伎作品にも登場する凄腕の美剣士です。ドジ様得意の美青年剣士よ~~。うっとり

 「雷神不動北山桜」 は有名なので、御存知の方も多いのでは。天皇に王子誕生を頼まれ、祈りを捧げた 上神上人(なるかみしょうにん)。王子が生まれたのに褒美の約束を反故にされ、怒った上人は雨をつかさどる竜王を閉じ込め、日照りになって民は困っています。そこで絶世の美女の 雲の絶間姫(くものたえまひめ) が登場。色仕掛けで上人をメロメロにし、雨を降らそうという魂胆です。狂言廻しの 黒雲(こくうん)、白雲(はくうん)という上人の弟子二人が、なにやら 「百鬼夜行抄」 の尾白・尾黒みたいでおかしい。上神(なるかみ)もすんごい美形のお上人様姿から、騙されたと知った後の隈取恐ろしい 雷神(なるかみ) 姿まで、見所いっぱいのお芝居ですよ。

             歌舞伎好き、和もの好きな方はぜひ一読を。
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「トキワ荘物語」 ④ 森安 なおや

2006年11月15日 10時30分41秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 またしても、「はてな」 で 森安 なおや を検索して見ましたが、簡単にしか載っていません。

森安 なおや トキワ荘のムードメーカー。1999年5月21日没、享年64歳。

 もう、亡くなっていらっしゃるんですね。他でいろいろ漁った所、
 
 本名は、森安 直(ただし)、1934年生まれの岡山県出身です。高校在学中、「山陽新聞中学生版」に4コマを掲載していたというのですから、早熟の天才だったのでしょう。上京後もすぐ田河 水泡先生 (のらくろの作者ね) の内弟子に入ったといいます。でも、あまり作品は知られていないなー。なぞは以下の 「トキワ荘物語」 にも少し伺えるような・・・。

 記事中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。


 まんが家志願 のるかそるか

 表紙には、のるかそるか!! ぼくは東京でまんが家になるんだ・・・。さらば岡山 岡山城をバックに作者のうしろ姿が描いてあります。 

 始めに、「COM」 の紙上を借りて、十五年ぶりにまんがを描かせてくれた編集者にお礼を述べています。ついでに 「紫綬褒章」 をもらった恩師の 田河 水泡 にお祝いを述べています。

「トキワ荘残酷物語ー っ」 と始まりました。何でか

 東京の大学に受かった級友たちと岡山駅を出発する森安氏。弁当もって見送りに来いと呼びつけた美人級友たちと別れを惜しむはずが・・・。トイレに入っていて声だけになり。(笑) 絵を見るとまだSLですね。東京まで何時間かかったんだろう。
 他の級友達が「男子いったん志しを立てて きょうかんをーいずー 学もしならずんば死すともー」 と決死の覚悟で上京しているところ、(ご時世ですね) 
 そんなのむかしのことさ、あ はらへった とのん気な主人公。

 上京した森安氏は、田河 水泡先生の内弟子に入ることになっていたのです。田河師匠の前で、「先生の弟子になるといったら校長はぐうもいえなくて卒業させてくれたんす」 タバコを吸いながら大きな態度の内弟子です。
 前からの弟子に通いで 山根 赤鬼・青鬼兄弟、滝田 ゆうなどがいました。先輩弟子には長谷川 町子や倉金 章介(私は知りません)など。ですが、女中代わりに内弟子になれたのは森安氏だけだったのです。昭和38年春のことでした。

 同期の弟子には住み込みということでライバル視されましたが、この女中がわり、炊事・洗濯まるでダメ。奥様に「もっと上手にごはん焚けないの」 先生に「ぼくは食べないからね」 といわれる始末。
 他にも、先生からもらったスイス製の時計を落としてなくした話しとか、それを拾ってくれたのが 「待ち合い」 (今のラブホかな) の色っぽい女性で、出世したら来てねと言われたとか、面白いエピソードが続きます。 

 田舎で天才と言われた森安氏は早く独立したくてたまらない。「文才や、ユーモアを磨きなさい」 と先生に言われても独立の心は止みがたく、飛び出すようにして独立して原稿を目当ての出版社に持ち込みます。断られても先生の所へは戻れずに先輩まんが家に相談すると、有望な新人ということで 寺田 ヒロオ を紹介されます。
 永田 竹丸(美男子に描かれています)、坂本 三郎、寺田、後に藤子 不二雄と「新漫画党」 を立ち上げますが、生来の怠け者とてなかなかまんがが描けないでいます。
 「漫画少年」 がつぶれ、いよいよ描くところのない森安氏は、牛乳配達を始めるが新漫画党の党員に牛乳を押し付けてひんしゅくを買ったり、寺田氏がかばってトキワ荘に入れてやれば、鈴木 伸一の本を売っておかずにしたり、藤子 不二雄に食べさせてもらったり。トラブルメーカーですね。でも誰も本気で責めていない。みんな気のいいやつだと、作者も感謝しています。
 
 石森氏と赤塚氏もトキワ荘に入ってきて、皆競って描いているのに、森安氏ひとり、寺田に紹介してもらった仕事も落として (締め切りに間に合わなかったのね) ついには干されてトキワ荘を去ることに。6ヶ月も部屋代をため、寺田氏に尻拭いさせてしまった。さすがに怒った寺田氏は、「新漫画党」 の党員を集めて会を除名し、「WANTED」 のポスターまで作られてしまいます。しかし、そこに弗10 (10ドル) と書いてあるのを見た森安氏、おれはそんなに安く無いぞと、弗10.000 と書き直すのであった・・・。

 若いのに、破滅型の人生ですね。その後もペンキ屋をやって生計を立てたり、晩年は長編まんがを描いて一流紙での再デビューを図って叶わなかったり、いろいろあったようですが、他のトキワ荘のみんなと仕事の上ではかけ離れてしまったようです。以前、NHKの 「トキワ荘」 を題材にした番組でその辺の事情を話していました。
 
          ちょっと寂しい回になりました。
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「蟲師」 「まろ、ん?」 読書中。

2006年11月14日 10時23分40秒 | マンガ家名 か行
 満天さんにお借りした、「蟲師」 1~7巻 漆原 友紀氏著 と 「まろ、ん?大掴源氏物語」 小泉 吉宏氏著 をただ今読書中です。面白くって、「トキワ荘物語 ④」 が書けないでいます。森安 なおや氏の巻なのですが。(困) 

 「まろ、ん?大掴源氏物語」 は凄いですねー。この方、読売新聞に 「ドッポたち」 というまんがを連載中なのですが、発想が面白い方で、毎週楽しみに読んでいます。うちは読売なのですよ。理由はだんなが昔からジャイアンツファンだから。
 この「まろ~」、本の名前だけ知ってましたが、こんな労作だとは知りませんでした。まだ途中なのですが、いや~ほんとに源氏が大掴みで分かっちゃう。私もマンガ (あさきゆめみし 大和 和紀著) と田辺 聖子版の短めのを読んだだけですが、必要最低限を見開き2Pの中でちゃんと抑えている所が凄い 

同じ作者の第45回文芸春秋漫画賞受賞のシリーズ、「ブッタとシッタカブッタ」も読んで見たくなりました。
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ジョン・レノン ゆかりの 軽井沢 「離山房」

2006年11月13日 12時50分17秒 | お出かけ・旅・美術・博物館
  

                 


 ジョン・レノン ファンには有名な喫茶店、軽井沢塩沢通りの 「離山房」 へ行って見ました。毎月通る道にあり、いつか行きたいと思いながら、やっと時間があって行って見れば早仕舞いで断られたり、縁がありませんでした。今回、荒天のためゴルフを1ラウンドで切り上げ、(いつもは1日、1.5ラウンドやります。はい) 時間が余ったので帰り道に寄って見ました。

  
                 


                  店の前もまだ紅葉が残って風情が有り、


                 


              石に彫られた名前も奥ゆかしく、(離山とは、軽井沢にある山の名前です。)


 店の中には、レノン一家が軽井沢でひと夏を過ごした折、こちらで撮った写真 (ショーンが可愛い!) が6葉程と、オノヨーコさんのジョンとヨーコのイラスト (1977年8月31日の日付) 、同じくヨーコさんの離山房30周年のお祝いのお手紙などが飾られていました。ちなみに、ひと夏を過ごしたお宿は旧軽井沢の万平ホテルです。


                 


   相変わらず、食べてしまってから写真を思い出すおばかな私。ホットケーキおいしゅうございました。


 
                 


 店の入り口にあるデッキ席。流石に今は寒いです。中にはもうストーブが。



                 


                レノン一家が座って写真に納まった庭のあずま屋。


 旧軽井沢銀座からは少し離れていますが、レノン好きは軽井沢へ行く折は、よってみて下さい。(コーヒーのお値段は銀座並みでしたけど。)
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ビストロ 「ル ボン ヴィボン」

2006年11月13日 11時07分07秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの
                  

              若きオーナーシェフと美味しい料理をサーブしてくれる美人スタッフさん。

 北軽井沢で、美味しいビストロを先々月教えてもらいました。一緒にゴルフコースを廻ったご夫婦に教えて頂いたのです。先月、お友達と3人で行って、あまりの美味しさに写真を撮るのも忘れ堪能してしまいました。(おばか)
 今月は二人でじっくり味わうぞーと、予約もおさおさ怠りなく、出かけて参りました。泊まったホテルより車で20分位。住所は群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢です。ホームページはこちら  ↓ ロマンチック街道沿いのくりの木プラザ内にあります。


                     ビストロ ル ボン ヴィボン


 
                 

      
                  最初に出てくるクルミ入りのパンからして絶品~。



                  


                 富山産の白海老のフライ。海老の味が濃いです。



                 

 
                ほっき貝(?)のオーブン焼き。添えてあるラタトォーユが又 !



                 


                烏賊のソテー


                 
                


                下仁田ねぎとベーコンのクリームパスタ



                


                 鱸(すずき)の山ぶどうソース


                


                 デザートは洋ナシのブリュレ !


 季節ごとに変わるコースを頂きました。美味しかったです~~~。コースは4,000円代ですが、1品料理ももちろんあります。ワインの種類もいろいろありました。我々は下戸なので、ひたすら美味しいお料理に舌鼓しておりました。


             来年から毎月来る事に決定。 
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今年最後のプレジデントカントリークラブ軽井沢。

2006年11月13日 10時20分30秒 | ゴルフ
                

 11月12日(日)、ゴルフ場に隣接するホテルの窓から朝一番に見た空。風があり、いかにも寒そう。窓の下はファミリー向けパターゴルフ場です。

 
                


 前半は風はありましたが良い天気。今日は大丈夫かしらと思いきや、ぱらぱら雨が来たり落ち着きません。前の組が遅くて我々と後ろ組、二組待っている有様。前組4人だから我々二人組が追いついちゃうのはしょうが無いけどね。寒い中待ってるのはいやですねー。

 
                


 ここは旧軽井沢より又さらに標高が高いので、紅葉はもうほぼ終わっていますが、ちらほらと残り香が残っていて目を楽しませてくれます。
 


                   


う~ん ? これは霰(あられ)の小さいのーー と思う間もなく、氷の小さい粒が降ったり止んだり。(見えないかなー)なんとかお昼になりました。


                


 後半も最初は晴れていたのに、あと2~3ホールというところであられより始末の悪いボタン雪が降ってきましたよーー でも、最後までラウンドする !


                


ブリザードの様相を呈してきましたが、何とかラウンドアップできました。ぜぇぜぇ、スコアー?何それ !
 


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中軽井沢カントリークラブさんへお邪魔しました。

2006年11月13日 09時51分21秒 | ゴルフ


                 


                 アウトの12番 (だったかな?) 


 今年最後の軽井沢行き、今回は初日に中軽井沢カントリークラブさんへお邪魔しました。こちらは軽井沢の中でも高級クラブで綺麗なのでお気に入りのコースですが、いかんせん、お値段も高級なのでオンシーズンには来られません。(泣)11月とか4月とかにお邪魔してます。


               


      ロッカールームの様子。あっさりとしていながら必要充分。これでいいんです。


 



                


    芝はもう冬仕様で茶色ですが、グリーンは青々、手入れも充分。まだ紅葉が楽しめました。


 
                  


      インはアウトに比べ高低差のあるコースですが、打ち下ろしが多く登りは電動カートで楽らく。


 全国的に荒天の予報が出ている中、覚悟して11月11日、12日ゴルフしに軽井沢までいきました。行きは弱い雨の中、私の運転で、ミュージックは久しぶりにスピッツ。久しぶりに聞くとやっぱりいいなー。群馬の山の中では結構降ってましたね。
 
 しかし、最強晴れカップル夫婦の我々の事、ティーグラウンドに来るとなんと雨が止んでいる。  おーほっほっ。飼い猫、猫又の亜美に言っといたのが効いたのかしら。こういうときくらい使役しないとね。
 ラウンド中もぱらぱらとは降られましたが、まあまあ曇り空の中でラウンドでき、寒さもなくラッキーな1日でした。

 しかーし、次の日はプレジデントカントリー倶楽部軽井沢コースさんにて、ブリザードでした。(意味不明)

 
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