猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

上野 本家ぽんた のカツとタンシチュー

2006年11月11日 14時19分39秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの
                


               カツレツです。



               


               豪華、タンシチューです。


 上野というより、御徒町(おかちまち)の方なのですが、「本家 ぽんた」というカツ屋さんがあります。20年くらい前に始めて行ったときは、白い暖簾のかかった、下町のとんかつ屋さんという感じで、おじさんと家族で切り盛りしていました。
 当時からタンシチューは有名でお高かったのですが、だんなと今回 (10月4日東京都美術館へ行った日ね) 行ったら、な~んと4,000円台のお値段していたのでびっくりしました。
 いや、それだけのお値段取るのも、十分頷ける美味しさなのです。年に一度くらいは食べたいね、とだんなと話しました。写真はちょっと暗く写ってしまいました。美味しさ、分かってくれるかな。
 店も、重厚な木の扉でビルごと建て替えたようで、2階 (もしかしたら3階もある?) にも席がある大きなお店に変わっていました。厨房には前いたおじさんより若い、(でも中年) 人と若い見習いさんらしい人が働いていて。何でも変わっていくものなんですね。

 だんなはとんかつが好物で、出かけると結構食べます。うちでも叔母が時々揚げてくれますが、分厚いのを揚げるのは素人には難しいですから、それなりの家庭料理のとんかつですね。いえ、揚げたての叔母のとんかつは、むっちゃ美味しいですよ~。
 北千住にも 「さんた」 という洋食屋さんがあって、そこのとんかつは分厚くビッグで美味しいので有名です。今度行ったら写真を撮らなくては。あとは、やはり北千住の知り合いの居酒屋さんの黒ブタとんかつがジューシーですね。又食べたくなって来た~。
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吉田 秋生 『BANANA FISH ANOTHER STORY』 

2006年11月10日 14時15分31秒 | マンガ家名 やらわ行
                


 小学館文庫 1997年12月10日初版 これは2000年4月10日の10刷のもの 売れてんですね。

 
 『BANANA FISH』が完結した後、番外編がぽちぽちあり、それをひとつにまとめたもの。『BANANA FISH』よりずっと前に描かれた、登場人物 英二 の初出まんがなんてのも入ってます。(FIY BOY IN THE SKY)
 昨日ブック ○フへ行って見つけ、買い込みました。半分くらいは読んでいるのが入っているのですが、残り半分読みたいのと、名作 「光の庭」 を手元に置いておこうかなと思って。本編は買わないのにおかしいよね。でも本編19巻もあるからなー。

 「ANGEL EYES」 少年刑務所でアッシュとショーター・ウォンが出会い、友人になる話。私は本編コミックスの19巻で読みました。

 「光の庭」 アッシュが死んで7年後、英二 (すっかり大人になっちゃって) とシン (これまたでかくなっちゃって) 、伊部おじさんの姪の伊部 暁ちゃんのしみじみ泣ける名作。誰に聞いても名作。これも19巻で読みました。

 「PRIVATE OPINION」 アッシュとブランカが出会ったいきさつが描いてあります。

 「うら BANANA」 作者とアッシュ、英二が連載終了後、裏話をしています。一番人気はもちろんアッシュだったが、結構パパムッシューの人気があっただとか、読者の要望がこうだったとかああだったとか。
 アッシュが日本にきたらとか、学園ものだったらとかのカットが面白い。アッシュと英二が学ラン着てるんですよー  そいでアッシュの手が英二の肩に乗っかっていて、あのー、それじゃBLですよー。

 「FIY BOY IN THE SKY」 英二と伊部氏が知り合ったきっかけを描いています。棒高跳びの選手の英二は、『BANANA FISH』 の時より筋肉があり、顔つきもちょっと違います。『BANANA FISH』 よりずいぶん前に描かれた作品なのです。

 私にとって、これは永久保存版、決定 
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今 市子氏 一気に増えました。

2006年11月10日 09時42分05秒 | マンガ家名 あ行
                


                  あっという間に増えた、今 市子氏の本。

 はまっております。 「雲を殺した男」 「岸辺の歌」 などはマンガ喫茶で読了済み。幻想ファンタジーのシリーズもマンガ喫茶で読めればいいかな。後は 「五つの箱の物語」 を手に入れたいな。
 この上、「文鳥様と私」 シリーズまで手元に置く本に入れるかどうか・・・。思案中であります。
 作家のデビュー当時のものから気に入って、はまったのは久しぶりです。大概初期作品は絵もストーリーもあんまり・・・という事が多いのですが。
 作家買いしちゃいそうです。この他にイラスト集まで買ってしまいまして。

 洋服ダンスの上を少し整理して本棚スペースを広げました。まだまだ場所が必要そうに思いますが、どこで切るかは皆様もお悩みの所だと。
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「トキワ荘物語」  ③ 藤子 不二雄

2006年11月09日 13時51分37秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
        「トキワ荘物語」 第3回は ご存知 藤子 不二雄氏 の巻


藤子 不二雄氏についても、はてなダイアリーから引用させて頂きます。

安孫子素雄・藤本弘のコンビ名。旧名、足塚不二雄。昭和27年『天使の玉ちゃん』でデビュー。

『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『パーマン』『怪物くん』『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『プロゴルファー猿』『海の王子』など藤子不二雄名義で多数の名作を発表、日本中の子供たちに夢と希望を与える。

昭和63年(1988年)、コンビを解消しそれぞれ藤子不二雄A、藤子・F・不二雄として再スタートを切る。

ファンからはそれぞれA先生、F先生と呼ばれ親しまれている。


PARTが7つに分かれており、見開き2Pづつでオチ付き、流石の構成です。
文中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。表紙は簡潔なトキワ荘の外観の絵、2階に上がる階段が右手に見えます。


PART 1

 昭和29年10月30日、午前10時学童社加藤氏さしまわしの小型三輪にて両国を出発し、トキワ荘へ。11時トキワ荘へ到着、テラさんのお迎えを受け、手塚先生のあとをついで第14号室にはいる。

 写真を撮ったり、テラさんに挨拶をして、その後ラーメンを食べている絵。ふすまに大穴の図。テラさんが言うには、「それは手塚さんのいた頃、泊まった編集の人が夜中に寝ぼけてケヤブッタんだそーだよ」 

 いよいよ待望のアパート生活の始まりだ ! 
 うん! がんばろうぜ!
 二畳から四畳半に二畳半の出世だな
 しかし二畳の生活になれると四畳半というのは広いなあ。 うしろに空間があり過ぎて不安だ。


 と安孫子氏が後ろに寝っころがる。結局壁を背にして机を並べ、ふたりでカリカリとマンガを描いている。(笑)


PART 2

 昭和29年11月1日 トキワ荘へ入ることができたのは、すべて手塚先生のおかげだ。引越しの報告に先生を訪ねる。

 先生、当時28歳の写真から絵に起こしたもののカット。ベレー帽着用、今の28歳より老けて見える。
 どうやら敷金の3万円をそのまま残して出てくれたらしい。先生曰く、

 ああ、いいす!いいす! あのままおいとけばいいんですよ。家賃がはらえなくなっても、あれからさっぴくそーだから、少なくとも半年は家賃ためても住めるわけだ。
 どーも !


 昔は大家も鷹揚だったんですね。

 それより君たち映画いかないか
 でも、今忙しいんでしょ
 いいーんだいいーんだ さぁ・・・


 その時ガバッと起き上がる鬼の編集者。
先生 ! トイレですか !

 腕組みしている鬼の前で、3人でカリカリカリ・・・。


PART 3

 昭和29年12月5日 トキワ荘へ移って一月あまりたったが、ちょうど年来の仕事がにわかに集中して、連日机の前にすわりっきり。今日もこれで貫徹3日目。睡魔が激しく襲って。ペン進まず。

 仲良く机を並べ、布団を肩からかけてカリカリと仕事中の二人。一人がクーと眠ると隣からペン先にチクッとつつかれる。

 居眠りしたらペンでつっついて起こすという約束だったぞ。

 次はもう一人がコクッ、チクッ!! ひ~ 二人同時にコクッコクッ、同時にハッと気づいてペンを構え、

くるかー !!


PART 4

 昭和30年9月2日 漫画少年 で新人王になった風田 朗(本名 鈴木 伸一)が下関から上京、新漫画党へ入るとともにトキワ荘へも入る。風ちゃんはまったく奇妙でオカシイ人だ。

 鈴木氏は失業保険で半年何もしなくても食えるとか、雪村いずみのファンで、手を握って離さなかったとか、その手を1ヶ月洗わなかったとか、おかしな話を次々します。
 テラさんの部屋でチューダー(サイダー+ショウチュウ)、サケ缶、マグロのフレーク、メンチカツとキャベツ、コロッケ、トマトなどで歓迎会を催す。風ちゃんは、ベレー帽の頭をひねり、布団を体に巻きつけて、アラビアのモスクでござい、とかくし芸をしてくれた。
 相当、面白い人だったようです。

PART 5

 は、石森氏と赤塚氏が揃ってトキワ荘の住人になったので、さっそく見学に行く話。
 怪童石森君は18歳、色白の美少年赤塚君は21歳。コマを大きく取ったシネスコマンガなるものを描いて、出版社に断られ憤慨していたが、「すぐにはコマを増やせないだろう」 というと、なんとページの真ん中に枠を引いてコマを倍にした 

 
PART 6

 では、ついに石森氏のお姉さん登場 !!
姉が出てくるので、上野まで迎えに行く、という石森氏の言葉に、我孫子氏が思い浮かべるのは、石森氏そっくりの丸顔、アバタ面の垢抜けない女性の顔。その安孫子氏、お昼にお湯を沸かしに台所に入ろうとするとお下げ髪の美少女が!
 バタバタと藤本弘氏の所に戻って

台所に、カカカ カレンなる美女がいるぞ !!

 その美女が石森氏と挨拶に来て 「いつも弟がお世話になっています。」 というでは無いか!

 しかし、フシギだなぁ
 なにが
 い・いや


 石森氏とお姉さんの顔を並べて想像する二人であった。


PART 7

 昭和31年7月15日 午後5時よりテラさんの部屋で新漫画党二周年記念会を開く。ご馳走はテラさん推賞のヒナ忠の丸蒸し焼きなり。

 会に先立って恒例の記念写真を撮ることになったが、これが・・・。テラさんがリコーフレックスを買ったばかりとて、もう1枚、もう1枚とご馳走を前にしてなかなか終わらない。初めはいろいろにポーズをとったりしていたみんなも最後には怒り顔、真ん中で笑っているのはテラさんばかり・・・。

 最後のページは夜のトキワ荘にまん丸お月様、

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず ~ 

 方丈記の言葉でお終いとなります。

長々とお付き合い、ありがとう御座いました。面白くて、はしょれないのです~(泣)
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ふてくされまたは物憂げな亜美

2006年11月08日 09時52分35秒 | 猫・犬・動物
                  


 最近、ママったらさ~、全然私のことをブログに載せてくれないのよ。マンガに狂っててさ~。前はマンガ喫茶って言うところへ行って読んでたのに、この頃はなんだかコミックスっていうの、いっぱい買い込んで来て、うちで読んでてちっとも構ってくれないし~。使役する人間が一人減ってつまんないわ~。


 何を仰る我が家の猫又さん。この布団の向こう側には、私のだんなをはべらせて、しっかり腰をもませているじゃありませんか。あなたの奴隷はだんな一人で充分です 


 PS. ただ今、ドジ様(木原 敏江) 夢の礎(いしぶみ)シリーズ、「風恋記」読書中。先、先と読みたくなるのは久しぶり。
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「トキワ荘物語」 ② 寺田 ヒロオ

2006年11月07日 09時06分13秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 「トキワ荘物語」 2回目は、みんなの兄貴分 寺田 ヒロオ 氏の巻です。

 寺田 ヒロオ氏については、はてなダイアリーから引用させて頂きます。

漫画家。

1926~1992 新潟県出身。

トキワ荘の実質的なまとめ役。愛称、テラさん。

各種回想では随分大人に思えるが、藤子不二雄と3歳しか年は違わなかった。(ちなみに、手塚治虫も、テラさんより3歳年長であるのみ)

電電公社時代都市対抗でピッチャーを務める。また、中村八大は義兄にあたる。

30年代半ばで少年漫画の筆を折る。晩年は雑誌「漫画少年」の書誌をまとめた「漫画少年史」を自費出版した。

■主な作品
スポーツマン金太郎



 COM 1969年、11月号 寺田 ヒロオ 手塚 治虫先生から新漫画党まで と題して、表紙の絵は手塚先生が親鳥、寺田氏がひよこになって手塚氏の上に乗っており、藤子、石森、赤塚の各氏のひよこが卵のカラをかぶってカラから出ようとしている図が描かれています。
 
 ぼくが東京椎名町のトキワ荘アパートへはいったのは (三輪自動車の荷台に引越し荷物の絵) 師走の風も冷たい昭和28年の大晦日のことだった。
 初めてかかげた紙切れの表札 (ぺたり)
 机と布団しかない四畳半だが、とにかく 「おれの城」 だ!
当時二十一歳まだ太ってはいなかった。向かいの部屋は 手塚 治虫先生。だが宝塚のおうちに帰っておられ、お目にかかったのは1ヶ月後


 仕事は 「漫画少年」 だけ、一コマや四コマのマンガを描いてはせっせと通う。急ぎのカットの仕事を貰い徹夜で描く、と真面目な性格で知られた寺田氏の仕事振りや、収入がまだ少なく、野菜をひとつ買っては色々に料理してそればかり食べている様子など描かれている。
 かと思えば向かいの手塚先生の部屋の賑わい (原稿待ちの編集者がわんさわんさ) を見て、かくも差があるものかと激しい劣等感にさいなまれたり。
 ある日、「少年クラブ」 の人が来て、ついにオレも認められる日が来たかと思ったら・・・。 

 「手塚先生はお留守ですか ?」 「知りません」 「手塚先生はどこへお出かけですか ?」 「知りません」

 そんなことが続くと

 「おれは手塚先生の門番じゃないぞう !!」

 昭和29年、藤子不二雄、坂本三郎、森安直哉、永田竹丸らと新漫画党を結成する。その後メンバーも変わったが、 (鈴木伸一、つのだじろう、石森章太郎、赤塚不二夫、園山俊二ら) 手塚先生が他のアパートへ移転されると、すぐに藤子がそこへ越してきた。石森も赤塚もトキワ荘に入った。会合に便利と思ったが・・・。それぞれが売れっ子になってくると、またぞろ彼等の留守番やら伝言係りやら、書類の受け渡しを頼まれたり・・・一難去って又一難の有様。

 「おれは新漫画党の門番じゃないぞう !!」 と叫んで、昭和32年6月20日にトキワ荘を出た。

 という顛末が描かれています。ぷぷぷっ、この回は、まとまりがあって、オチも付き、当時の状況が良く判り、大変好感の持てる一遍です。描き手の真面目さがそのまま出ています。

 次回は、藤子 不二雄氏の巻です。 


 トキワ荘が建っていた頃の地図など凄く詳しい案内を見つけました。↓ こちらのHPは、テーマを決めてその地区を歩いて、詳しい案内を何十も作製しているHPさんです。


 「東京紅團 トキワ荘物語」  
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大エルミタージュ美術館展

2006年11月06日 18時31分26秒 | お出かけ・旅・美術・博物館
 秋晴れの11月4日(土)、上野のお山の東京都美術館へ文化の香漂う、「大エルミタージュ美術館展」 を鑑賞に伺いました。

  
                 


 ちょっと嫌味ッぽいのは・・・・。期待していたのとちょっと違ったから。我々夫婦の夢は、実物のエルミタージュへ行って、建物からインテリアから、美術品からゆったりと見たいという事。先日この美術館展に合わせてTV番組をやっていたように、空いた館内をじっくりと、というのが夢です。でもそれはやっぱり夢で・・・。

 わかっちゃいたけど、凄い人波、疲れました。平日は来られないしねー。結構お年を召した方いたけど、平日に来てくださいよね。自分だって大変でしょ。現役世代 (つまり我々) は休みしかこられないんだしさ。引率の人が休めないのかしら。

 いや、混むのはしょうがないのですが、展示品の選び方というか、日本人好みのものばかり集めているのはいいのですが・・・。つまりメジャーな作家の作品ばかりで、エルミタージュの特徴ある品揃え (?) を期待していた私には 何 ? な感じでして。つまり、よく知らないひとなら、「これ、ルーブル美術館展よ」 と言っても、 「大英博物館展よ」 と言っても分からないのじゃないかという事です。

 宣伝文句が、ヴェネツィア派からモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソまで はっ?
 
 ロマノフ王朝のニコライ2世の絢爛豪華なインペリアル・イースターエッグは~ ? あれはロシアではクレムリン博物館にしか無いの ? ピョートル大帝やエカテリーナ2世の愛したお手元品とかの展示は無いの~ ? 私、そう言うものが見たかったのだけど。

 どうしても、誰にでも分かるものばかりになってしまうのかいな。



                  


 入り口前の広場でパーフォーマンスをやっていました。一人で太鼓とか他の楽器も使って、凄かった。ほかにもアクロバットみたいのを準備中の人もいた。



                 



       上野恩賜公園内では、佐賀県の物産と全国大陶器展もやっていて、文化の秋です。



                 一日楽しく遊んだので、良しという事で。               


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「トキワ荘物語」 ①水野 英子

2006年11月06日 13時30分19秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 まんがの「トキワ荘物語」は、COMに1969年10月号の 水野 英子氏から1970年9月号の最終話 手塚 治虫氏まで、11回の読みきり連載で掲載されたものです。


                 


              
              「トキワ荘物語」の連載されていた11ヶ月分のCOM 5・6月号は合併号




                         


                10月号は水野氏、下の11月号には寺田ヒロオ氏が執筆しています。表紙はこの頃 フリーランスになった前後の和田 誠氏が描いています。

  記事アップした最初、表紙を やなせたかし氏 と間違えておりました。お詫びして訂正させていただきます。(2007年3月26日)


 手塚 治虫氏が最初に入居してから漫画家の卵たちが次々に入居し、巣立っていったマンガ虎の穴 (?) のアパートの物語。後に有名になって大家と呼ばれた方々の仲間の事やら貧乏やら成功やら挫折やら、つまり楽しかった青春の日々がつづられていて、どれも当時面白く読みました。今回読み直してみると、当時はわからなかった大人の事情も分かってきて、(なにしろ連載当時は私、中学生でしたから)
感慨深いものが在ります。

 では、はじめを飾った水野 英子氏の作品から。文中の黒字は、作中のセリフおよび文章です。

 私がトキワ荘に来たのは、たしか昭和31年の春でした。当時「少女クラブ」の編集員だった 丸山 昭氏に連れられて、胸ときめかせながら上京第一歩をふみだしたのです。ニキビはなやかな17歳でありました。

 そこには石森(当時)章太郎氏、赤塚不二夫両氏が待っていて、垢抜けない、元気いっぱいの水野氏 (ごめんなさい、そんな風に描いてあるのです) は、

 「これ女 ?」 「ハァそのつもりですけど」 

 といわれる始末。ちなみに水野氏の服装は上が制服のセーラー服、下はズボンといういでたち。

 私がここへきた一番の目的は、石森・赤塚両氏と三人で U・マイア (うーまいや)の名で 「少女クラブ」 に合作をする事でした。

 「赤い人黒髪」 歌劇 「サムソンとデリラ」 より 少女クラブ 別冊付録
 「星はかなしく」 歌劇 「アイーダ」 より    少女クラブ 別冊付録
 「くらやみの天使」 連載ミステリーもの  

 水野のM(マ)、石森のイ、赤塚のア、それにUをつけるとU(ウー)・マイアーというわけ。
 夜ともなれば話の落ちること落ちること。それまでわたし、なんにも知らない純情な乙女だったのよ


 新入りの新鮮な血が好きな南京虫の話とか、
タバコを煙突みたいに吸っている人はまずいのかな (石森氏のことでしょう)

 ゴキブリを追いかけたり、ネズミを見せてもクモを見せても驚かない水野氏に
「やっぱりあれ、女か?」 「つまんねえよ、こいつ何を見せてもこわがらねえんだ」
 と赤塚氏に言われ、そのくせ男性陣がブルーフィルム(ふるいねー)やヌード写真などを見るときだけ女扱いされ、そんな

 初夏のある日、石森氏のお姉さんが喘息の発作で入院、急死、あの夜、そんなこととは知らず三人で映画なんかいったっけ。胸の痛む思い出・・・。

 石森氏のお姉さんは本当に優しい美人だったらしく、藤子不二雄氏の回にも、

 台所にカ・カレンな美女がいる ! 

 と氏の最上級の美人顔で登場します。水野氏も

 優しい素敵なひとだったナ

 と言っています。石森氏がマンガを描く事に理解のあったお姉さま、話には聞いていましたが、本当に若くして亡くなっていたのですね。
 
 食事の世話は赤塚さんのおかあさんがいっさい見てくれることになり、アパートの部屋代三千円、食事代がだいたい四千五百円くらいで、一万円で十分な生活が出来ました。

 昭和31年といえば、戦後11年目 もう「戦後ではない」 と白書が言ってからでも2年足らず、私は幼稚園に入るか入らないかの頃ですもの。流石にこの頃のマンガは覚えていません。でも、トキワ荘のようなモルタル2階建てのアパートは子供の頃まだいっぱいあって、ひとりものとか、若い夫婦ものとか住んでました。見取り図も出ていますが入り口の電灯はこんな感じかな ?


               


 あはは、すいません、うちの近くのモルタル2階建てアパートの入り口そばの電球です。まだあるんですよ、こんなのが。うちの方、下町だから。

 長くなってしまったので、やっぱり一人づつUPします。本当は二人くらいまとめて書きたかったのですが。長期連載、こうご期待 

 


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石森 章太郎 選集 第2巻 「青い月の夜」

2006年11月01日 10時28分11秒 | マンガ家名 あ行
                 

                 


        ↑ 虫プロ商事出版社 石森 章太郎選集 第2巻 昭和44年(1969)11月15日 初版 360円

 収録作品は、


青い月の夜 初出誌 少女クラブ 昭和35年2月号

 バレエくるみ割り人形に少し創作を加えたお話。水野 英子氏が1カット描いています。見ればすぐわかる。


みどりの目 初出誌 少女クラブ 昭和32年夏の増刊号

 まま母にいじめられた少女が沼うばの命令で4人の人間をけものにしなければならなくなり・・・。フランケンシュタインやら、願いを叶える杖やら出てきて盛りだくさん。章の題名が最後に出てくるのは粋だけど、判りづらい ?


きのうはもうこない だがあすもまた (これはすべてひらがなです。) 初出誌 少女クラブ 昭和36年冬の増刊号

  マンガ 「時空を越えて逢いに来る少女」 の系譜


 ↑ でも紹介しましたが、ここのには最初と最後に合計9P程の加筆があります。作者本人とファンの女の子が出てきて、しゃべっているのですが、何の意味があるのかちょっとわかりません。ページ数合わせか何かか ?

 
雪の日に 初出誌 少女クラブ 昭和35年 お正月増刊号 

 絵と文が半分づつのマンガの描き方、アイディアの出し方、を兄妹が雪の日に話すという作品。兄は石ノ森氏ですね。氏がマンガを描く事に理解のあったお姉さまの代わりに、可愛い妹が出演しています。中に3話の作例が出ています。  
 

氷の花 初出誌 少女クラブ 昭和34年 夏の増刊号

 これも兄と妹のマンガ談義。夏らしく幽霊について。まま母もののマンガと 「魔女オーロラ」 という劇中劇 (マンガ中マンガ) が入っています。「魔女オーロラ」 は、わざとディズニーアニメに似せた画風で、変わっているというか、実験的です。オーロラなんてオーロラ姫そっくり。王子様や脇役もそっくり。なにをやりたかったのか不明。 ニセ吸血鬼のお話です。

 以上、石ノ森氏の初期の少女マンガを集めています。以前 「龍神沼」の項 

       石ノ森 章太郎 「竜神沼」

で書いた、少女クラブに実験的な作品を描いて失敗した、と言っていたのは、この頃のことを言っていたのでしょうか ? 

 今となっては資料的に大切な作品たちかも。

 
 巻末に、草森 紳一氏の 「雑感」 と題した文章が載っている。4つに分かれていて、その中の 「石森的少女まんがについて」 と題した文章が面白かった。
 
 少し引用すると、

 彼の広いジャンルにわたるまんがの中で私がもっとも愛するのは、少女まんがの系統のものであるかも知れない。これは彼が 「男である」 ということと関係があるかも知れないと思ってみる。
 
 ― 略 ―

 女性のまんが家の作品に、致命傷とも言うべき点があるとすれば、それは女性であるという有利な条件である。 ― 女であるため、ものにベッタリしてしまい、女が、少女が却って見えなくなるのである。 ― だが、男のまんが家で描く時、男という肉体をかれらが抜け出せないゆえに、描くだけで却ってそのまま 「OFF」 して (離れて) しまうのである。 ― 肉体の逆転劇が起こる。ちょうど歌舞伎俳優が女役を演じて女優以上に 『おんな』 を演じる事ができるのに似ている。

 石ノ森先生を持ち上げるあまり、ちょっと女性マンガ家に失礼な言い方でもあるのは、当時のご時世なのか ? 同じ事は男性マンガ家にもあって、お互い理想の異性をマンガの中で描いているんだから、お互い様とも思うが・・・。

 
 この号の折り込みチラシ、「選集通信」 では、章太郎のまんが対談第4回として、 五木 寛之氏 と対談している。しかし、前号からの続きで ② なので、全てはわからない。

 五木氏の発言の一部をまとめると、

 まんがは、現代詩みたいな形になっていって、他の芸術ジャンルのリーダーみたいな形になるんじゃないか。
 この間、○○という写真家と一週間仕事をしたら、まんが的な傑作だった、とか、映画なんかも、ゴダールなんてのはまんがですよね、「勝ってにしやがれ」 なんてのはまんが的な生き方をまんが的に描いたものであって・・・とか、
 小田 実・いいだ もも・平岡 正明、松田 政雄とか (いいだ氏以下どんな方達か、わかりませ~ん) 発想がそもそもまんが的とか、
 
 以下、まま引用

 文学が辿った道を、またも、まんがよおまえもかって感じがあるんです。先輩である文学が歩んだ退廃の道を、今のままでは、再び歩むんでは無いかと・・・。
 つまり、あまりはっきり手際よく区別されすぎたものって信用できないところが有ります。

 ― 略 ―

 ちょっと区分けして、どの階級に編入すべきか迷うようなものか、あるいはどこにも属していないようなものが面白いんじゃ無いですか。


 そうそう、分類できないものの方が絶対面白い。今までにないもの、という事だものね
 

 ― 略 ―

 交通整理を始めると危険だと思いますね。

  
 う~ん、今のマンガ界を素人の私は語れないけど、まだ、大丈夫なんじゃないですか ? 今だ、新しいものがどんどん出ているし、混沌としていると思いますけど。皆様はどう思われるでしょうか ?
 

 PS 今市子さんの「B級グルメ倶楽部」2巻早速昨日ゲット、すぐに読みました。もっと続いて欲しいよー。
コメント (15)
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