猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

「トキワ荘物語」  ③ 藤子 不二雄

2006年11月09日 13時51分37秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
        「トキワ荘物語」 第3回は ご存知 藤子 不二雄氏 の巻


藤子 不二雄氏についても、はてなダイアリーから引用させて頂きます。

安孫子素雄・藤本弘のコンビ名。旧名、足塚不二雄。昭和27年『天使の玉ちゃん』でデビュー。

『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『パーマン』『怪物くん』『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『プロゴルファー猿』『海の王子』など藤子不二雄名義で多数の名作を発表、日本中の子供たちに夢と希望を与える。

昭和63年(1988年)、コンビを解消しそれぞれ藤子不二雄A、藤子・F・不二雄として再スタートを切る。

ファンからはそれぞれA先生、F先生と呼ばれ親しまれている。


PARTが7つに分かれており、見開き2Pづつでオチ付き、流石の構成です。
文中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。表紙は簡潔なトキワ荘の外観の絵、2階に上がる階段が右手に見えます。


PART 1

 昭和29年10月30日、午前10時学童社加藤氏さしまわしの小型三輪にて両国を出発し、トキワ荘へ。11時トキワ荘へ到着、テラさんのお迎えを受け、手塚先生のあとをついで第14号室にはいる。

 写真を撮ったり、テラさんに挨拶をして、その後ラーメンを食べている絵。ふすまに大穴の図。テラさんが言うには、「それは手塚さんのいた頃、泊まった編集の人が夜中に寝ぼけてケヤブッタんだそーだよ」 

 いよいよ待望のアパート生活の始まりだ ! 
 うん! がんばろうぜ!
 二畳から四畳半に二畳半の出世だな
 しかし二畳の生活になれると四畳半というのは広いなあ。 うしろに空間があり過ぎて不安だ。


 と安孫子氏が後ろに寝っころがる。結局壁を背にして机を並べ、ふたりでカリカリとマンガを描いている。(笑)


PART 2

 昭和29年11月1日 トキワ荘へ入ることができたのは、すべて手塚先生のおかげだ。引越しの報告に先生を訪ねる。

 先生、当時28歳の写真から絵に起こしたもののカット。ベレー帽着用、今の28歳より老けて見える。
 どうやら敷金の3万円をそのまま残して出てくれたらしい。先生曰く、

 ああ、いいす!いいす! あのままおいとけばいいんですよ。家賃がはらえなくなっても、あれからさっぴくそーだから、少なくとも半年は家賃ためても住めるわけだ。
 どーも !


 昔は大家も鷹揚だったんですね。

 それより君たち映画いかないか
 でも、今忙しいんでしょ
 いいーんだいいーんだ さぁ・・・


 その時ガバッと起き上がる鬼の編集者。
先生 ! トイレですか !

 腕組みしている鬼の前で、3人でカリカリカリ・・・。


PART 3

 昭和29年12月5日 トキワ荘へ移って一月あまりたったが、ちょうど年来の仕事がにわかに集中して、連日机の前にすわりっきり。今日もこれで貫徹3日目。睡魔が激しく襲って。ペン進まず。

 仲良く机を並べ、布団を肩からかけてカリカリと仕事中の二人。一人がクーと眠ると隣からペン先にチクッとつつかれる。

 居眠りしたらペンでつっついて起こすという約束だったぞ。

 次はもう一人がコクッ、チクッ!! ひ~ 二人同時にコクッコクッ、同時にハッと気づいてペンを構え、

くるかー !!


PART 4

 昭和30年9月2日 漫画少年 で新人王になった風田 朗(本名 鈴木 伸一)が下関から上京、新漫画党へ入るとともにトキワ荘へも入る。風ちゃんはまったく奇妙でオカシイ人だ。

 鈴木氏は失業保険で半年何もしなくても食えるとか、雪村いずみのファンで、手を握って離さなかったとか、その手を1ヶ月洗わなかったとか、おかしな話を次々します。
 テラさんの部屋でチューダー(サイダー+ショウチュウ)、サケ缶、マグロのフレーク、メンチカツとキャベツ、コロッケ、トマトなどで歓迎会を催す。風ちゃんは、ベレー帽の頭をひねり、布団を体に巻きつけて、アラビアのモスクでござい、とかくし芸をしてくれた。
 相当、面白い人だったようです。

PART 5

 は、石森氏と赤塚氏が揃ってトキワ荘の住人になったので、さっそく見学に行く話。
 怪童石森君は18歳、色白の美少年赤塚君は21歳。コマを大きく取ったシネスコマンガなるものを描いて、出版社に断られ憤慨していたが、「すぐにはコマを増やせないだろう」 というと、なんとページの真ん中に枠を引いてコマを倍にした 

 
PART 6

 では、ついに石森氏のお姉さん登場 !!
姉が出てくるので、上野まで迎えに行く、という石森氏の言葉に、我孫子氏が思い浮かべるのは、石森氏そっくりの丸顔、アバタ面の垢抜けない女性の顔。その安孫子氏、お昼にお湯を沸かしに台所に入ろうとするとお下げ髪の美少女が!
 バタバタと藤本弘氏の所に戻って

台所に、カカカ カレンなる美女がいるぞ !!

 その美女が石森氏と挨拶に来て 「いつも弟がお世話になっています。」 というでは無いか!

 しかし、フシギだなぁ
 なにが
 い・いや


 石森氏とお姉さんの顔を並べて想像する二人であった。


PART 7

 昭和31年7月15日 午後5時よりテラさんの部屋で新漫画党二周年記念会を開く。ご馳走はテラさん推賞のヒナ忠の丸蒸し焼きなり。

 会に先立って恒例の記念写真を撮ることになったが、これが・・・。テラさんがリコーフレックスを買ったばかりとて、もう1枚、もう1枚とご馳走を前にしてなかなか終わらない。初めはいろいろにポーズをとったりしていたみんなも最後には怒り顔、真ん中で笑っているのはテラさんばかり・・・。

 最後のページは夜のトキワ荘にまん丸お月様、

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず ~ 

 方丈記の言葉でお終いとなります。

長々とお付き合い、ありがとう御座いました。面白くて、はしょれないのです~(泣)
コメント (8)
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