「トキワ荘物語」 第3回は ご存知 藤子 不二雄氏 の巻
藤子 不二雄氏についても、はてなダイアリーから引用させて頂きます。
安孫子素雄・藤本弘のコンビ名。旧名、足塚不二雄。昭和27年『天使の玉ちゃん』でデビュー。
『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『パーマン』『怪物くん』『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『プロゴルファー猿』『海の王子』など藤子不二雄名義で多数の名作を発表、日本中の子供たちに夢と希望を与える。
昭和63年(1988年)、コンビを解消しそれぞれ藤子不二雄A、藤子・F・不二雄として再スタートを切る。
ファンからはそれぞれA先生、F先生と呼ばれ親しまれている。
PARTが7つに分かれており、見開き2Pづつでオチ付き、流石の構成です。
文中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。表紙は簡潔なトキワ荘の外観の絵、2階に上がる階段が右手に見えます。
PART 1
昭和29年10月30日、午前10時学童社加藤氏さしまわしの小型三輪にて両国を出発し、トキワ荘へ。11時トキワ荘へ到着、テラさんのお迎えを受け、手塚先生のあとをついで第14号室にはいる。
写真を撮ったり、テラさんに挨拶をして、その後ラーメンを食べている絵。ふすまに大穴の図。テラさんが言うには、「それは手塚さんのいた頃、泊まった編集の人が夜中に寝ぼけてケヤブッタんだそーだよ」
いよいよ待望のアパート生活の始まりだ !
うん! がんばろうぜ!
二畳から四畳半に二畳半の出世だな
しかし二畳の生活になれると四畳半というのは広いなあ。 うしろに空間があり過ぎて不安だ。
と安孫子氏が後ろに寝っころがる。結局壁を背にして机を並べ、ふたりでカリカリとマンガを描いている。(笑)
PART 2
昭和29年11月1日 トキワ荘へ入ることができたのは、すべて手塚先生のおかげだ。引越しの報告に先生を訪ねる。
先生、当時28歳の写真から絵に起こしたもののカット。ベレー帽着用、今の28歳より老けて見える。
どうやら敷金の3万円をそのまま残して出てくれたらしい。先生曰く、
ああ、いいす!いいす! あのままおいとけばいいんですよ。家賃がはらえなくなっても、あれからさっぴくそーだから、少なくとも半年は家賃ためても住めるわけだ。
どーも !
昔は大家も鷹揚だったんですね。
それより君たち映画いかないか
でも、今忙しいんでしょ
いいーんだいいーんだ さぁ・・・
その時ガバッと起き上がる鬼の編集者。
先生 ! トイレですか !
腕組みしている鬼の前で、3人でカリカリカリ・・・。
PART 3
昭和29年12月5日 トキワ荘へ移って一月あまりたったが、ちょうど年来の仕事がにわかに集中して、連日机の前にすわりっきり。今日もこれで貫徹3日目。睡魔が激しく襲って。ペン進まず。
仲良く机を並べ、布団を肩からかけてカリカリと仕事中の二人。一人がクーと眠ると隣からペン先にチクッとつつかれる。
居眠りしたらペンでつっついて起こすという約束だったぞ。
次はもう一人がコクッ、チクッ!! ひ~ 二人同時にコクッコクッ、同時にハッと気づいてペンを構え、
くるかー !!
PART 4
昭和30年9月2日 漫画少年 で新人王になった風田 朗(本名 鈴木 伸一)が下関から上京、新漫画党へ入るとともにトキワ荘へも入る。風ちゃんはまったく奇妙でオカシイ人だ。
鈴木氏は失業保険で半年何もしなくても食えるとか、雪村いずみのファンで、手を握って離さなかったとか、その手を1ヶ月洗わなかったとか、おかしな話を次々します。
テラさんの部屋でチューダー(サイダー+ショウチュウ)、サケ缶、マグロのフレーク、メンチカツとキャベツ、コロッケ、トマトなどで歓迎会を催す。風ちゃんは、ベレー帽の頭をひねり、布団を体に巻きつけて、アラビアのモスクでござい、とかくし芸をしてくれた。
相当、面白い人だったようです。
PART 5
は、石森氏と赤塚氏が揃ってトキワ荘の住人になったので、さっそく見学に行く話。
怪童石森君は18歳、色白の美少年赤塚君は21歳。コマを大きく取ったシネスコマンガなるものを描いて、出版社に断られ憤慨していたが、「すぐにはコマを増やせないだろう」 というと、なんとページの真ん中に枠を引いてコマを倍にした
PART 6
では、ついに石森氏のお姉さん登場 !!
姉が出てくるので、上野まで迎えに行く、という石森氏の言葉に、我孫子氏が思い浮かべるのは、石森氏そっくりの丸顔、アバタ面の垢抜けない女性の顔。その安孫子氏、お昼にお湯を沸かしに台所に入ろうとするとお下げ髪の美少女が!
バタバタと藤本弘氏の所に戻って
台所に、カカカ カレンなる美女がいるぞ !!
その美女が石森氏と挨拶に来て 「いつも弟がお世話になっています。」 というでは無いか!
しかし、フシギだなぁ
なにが
い・いや
石森氏とお姉さんの顔を並べて想像する二人であった。
PART 7
昭和31年7月15日 午後5時よりテラさんの部屋で新漫画党二周年記念会を開く。ご馳走はテラさん推賞のヒナ忠の丸蒸し焼きなり。
会に先立って恒例の記念写真を撮ることになったが、これが・・・。テラさんがリコーフレックスを買ったばかりとて、もう1枚、もう1枚とご馳走を前にしてなかなか終わらない。初めはいろいろにポーズをとったりしていたみんなも最後には怒り顔、真ん中で笑っているのはテラさんばかり・・・。
最後のページは夜のトキワ荘にまん丸お月様、
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず ~
方丈記の言葉でお終いとなります。
長々とお付き合い、ありがとう御座いました。面白くて、はしょれないのです~(泣)
藤子 不二雄氏についても、はてなダイアリーから引用させて頂きます。
安孫子素雄・藤本弘のコンビ名。旧名、足塚不二雄。昭和27年『天使の玉ちゃん』でデビュー。
『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『パーマン』『怪物くん』『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『プロゴルファー猿』『海の王子』など藤子不二雄名義で多数の名作を発表、日本中の子供たちに夢と希望を与える。
昭和63年(1988年)、コンビを解消しそれぞれ藤子不二雄A、藤子・F・不二雄として再スタートを切る。
ファンからはそれぞれA先生、F先生と呼ばれ親しまれている。
PARTが7つに分かれており、見開き2Pづつでオチ付き、流石の構成です。
文中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。表紙は簡潔なトキワ荘の外観の絵、2階に上がる階段が右手に見えます。
PART 1
昭和29年10月30日、午前10時学童社加藤氏さしまわしの小型三輪にて両国を出発し、トキワ荘へ。11時トキワ荘へ到着、テラさんのお迎えを受け、手塚先生のあとをついで第14号室にはいる。
写真を撮ったり、テラさんに挨拶をして、その後ラーメンを食べている絵。ふすまに大穴の図。テラさんが言うには、「それは手塚さんのいた頃、泊まった編集の人が夜中に寝ぼけてケヤブッタんだそーだよ」
いよいよ待望のアパート生活の始まりだ !
うん! がんばろうぜ!
二畳から四畳半に二畳半の出世だな
しかし二畳の生活になれると四畳半というのは広いなあ。 うしろに空間があり過ぎて不安だ。
と安孫子氏が後ろに寝っころがる。結局壁を背にして机を並べ、ふたりでカリカリとマンガを描いている。(笑)
PART 2
昭和29年11月1日 トキワ荘へ入ることができたのは、すべて手塚先生のおかげだ。引越しの報告に先生を訪ねる。
先生、当時28歳の写真から絵に起こしたもののカット。ベレー帽着用、今の28歳より老けて見える。
どうやら敷金の3万円をそのまま残して出てくれたらしい。先生曰く、
ああ、いいす!いいす! あのままおいとけばいいんですよ。家賃がはらえなくなっても、あれからさっぴくそーだから、少なくとも半年は家賃ためても住めるわけだ。
どーも !
昔は大家も鷹揚だったんですね。
それより君たち映画いかないか
でも、今忙しいんでしょ
いいーんだいいーんだ さぁ・・・
その時ガバッと起き上がる鬼の編集者。
先生 ! トイレですか !
腕組みしている鬼の前で、3人でカリカリカリ・・・。
PART 3
昭和29年12月5日 トキワ荘へ移って一月あまりたったが、ちょうど年来の仕事がにわかに集中して、連日机の前にすわりっきり。今日もこれで貫徹3日目。睡魔が激しく襲って。ペン進まず。
仲良く机を並べ、布団を肩からかけてカリカリと仕事中の二人。一人がクーと眠ると隣からペン先にチクッとつつかれる。
居眠りしたらペンでつっついて起こすという約束だったぞ。
次はもう一人がコクッ、チクッ!! ひ~ 二人同時にコクッコクッ、同時にハッと気づいてペンを構え、
くるかー !!
PART 4
昭和30年9月2日 漫画少年 で新人王になった風田 朗(本名 鈴木 伸一)が下関から上京、新漫画党へ入るとともにトキワ荘へも入る。風ちゃんはまったく奇妙でオカシイ人だ。
鈴木氏は失業保険で半年何もしなくても食えるとか、雪村いずみのファンで、手を握って離さなかったとか、その手を1ヶ月洗わなかったとか、おかしな話を次々します。
テラさんの部屋でチューダー(サイダー+ショウチュウ)、サケ缶、マグロのフレーク、メンチカツとキャベツ、コロッケ、トマトなどで歓迎会を催す。風ちゃんは、ベレー帽の頭をひねり、布団を体に巻きつけて、アラビアのモスクでござい、とかくし芸をしてくれた。
相当、面白い人だったようです。
PART 5
は、石森氏と赤塚氏が揃ってトキワ荘の住人になったので、さっそく見学に行く話。
怪童石森君は18歳、色白の美少年赤塚君は21歳。コマを大きく取ったシネスコマンガなるものを描いて、出版社に断られ憤慨していたが、「すぐにはコマを増やせないだろう」 というと、なんとページの真ん中に枠を引いてコマを倍にした
PART 6
では、ついに石森氏のお姉さん登場 !!
姉が出てくるので、上野まで迎えに行く、という石森氏の言葉に、我孫子氏が思い浮かべるのは、石森氏そっくりの丸顔、アバタ面の垢抜けない女性の顔。その安孫子氏、お昼にお湯を沸かしに台所に入ろうとするとお下げ髪の美少女が!
バタバタと藤本弘氏の所に戻って
台所に、カカカ カレンなる美女がいるぞ !!
その美女が石森氏と挨拶に来て 「いつも弟がお世話になっています。」 というでは無いか!
しかし、フシギだなぁ
なにが
い・いや
石森氏とお姉さんの顔を並べて想像する二人であった。
PART 7
昭和31年7月15日 午後5時よりテラさんの部屋で新漫画党二周年記念会を開く。ご馳走はテラさん推賞のヒナ忠の丸蒸し焼きなり。
会に先立って恒例の記念写真を撮ることになったが、これが・・・。テラさんがリコーフレックスを買ったばかりとて、もう1枚、もう1枚とご馳走を前にしてなかなか終わらない。初めはいろいろにポーズをとったりしていたみんなも最後には怒り顔、真ん中で笑っているのはテラさんばかり・・・。
最後のページは夜のトキワ荘にまん丸お月様、
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず ~
方丈記の言葉でお終いとなります。
長々とお付き合い、ありがとう御座いました。面白くて、はしょれないのです~(泣)