ご無沙汰しておりました。前から書きたかった事を書きます。まんがのことではありませんが、暇つぶしにでもお読みになってみてください。
なお、以下に書きますことは自分の聞きかじり、又聞き、などによるもので事実とは反することもあると思います。創作としてお読みください。
ここに二つの企業が有ります。業種も会社の成り立ちも違うこの企業ズ、仮にA社、B社としておきましょう。会社は違っても、多くの会社の創業者がそうであるように、二つの会社の創業者にも共通点が多く有ります。ひとつはアイデアマンであるということ。
A社の場合 1.
A社の創業社長はA氏。彼は戦前本州の真ん中の山の中の故郷から東京へ出てきて、タクシーの運転手から身を起こし、終戦時は小さなタクシー会社を経営していました。
折から戦後の恐慌期、東京には米軍が乗り込んできて土地など強制接収されるという噂が流れ、東京の土地は二束三文で売りさばかれるという時期がありました。
そこに目をつけたA氏、赤坂や青山、日本橋など都心の一等地を買って平地 (ひらち) のタクシー・ハイヤー駐車場にして、会社を広げていったのです。
同じ事をしたのはA氏ばかりでなく、日本橋の地主の 三○、丸の内の地主の ○菱、新橋・虎ノ門の も○ビル など戦後の混乱期に東京の土地を大量に買った大企業もいくつか有ります。皆が都心を見捨てて逃げるとき、人の反対をすれば儲かる、というのはなにやら
株のことわざ のようですね。(笑)
さてまた、GHQが自分達の使いやすいようにタクシー会社を4社に大同合併させた折も、(中小の会社を4つにグループ分けした) あるグループの盟主となり、順調に業績を伸ばして行きました。
途中やり手のO専務が、出る杭は打たれる習いで会社を飛び出して同業を始めたりとかの造反も有りましたが、見事業界トップの座に君臨するまでになったのです。
ちなみにA社を飛び出したO氏は、後に○ッキード事件で注目を浴びた政商の○佐野賢○氏です。
彼の会社のバスは私の地元の方で幅を利かせており、子供の頃はバスは全部 都バスか国○興業 なんだと思っていました。今でも緑のカラーで走ってますよ~。
社長のA氏は現場叩き上げらしく、事前に告げずにちょいと各営業所に顔を出し、気が付いたところをすぐに直してくれたり、現場の意見も聞いてくれる気安い人だったそうです。
平地の駐車場にしていた都心一等地も高度成長期にはビルを建てて、運送業というより大手不動産業のよう、中小のタクシー・ハイヤー会社も吸収合併して、いよいよ会社は成長を続けて行く中、A氏に不幸が訪れます。それは次期社長にと期待をかけていた長男A´氏が30代の若さで亡くなってしまったことでした。
悲嘆にくれながらもA氏は次期社長に妾腹の次男のa氏を立て、自身は昭和56(1981)~57年頃に亡くなりました。
B社の場合 1.
B社の創業社長はB氏。実はB氏の父親が故郷四国の漁港で漁師相手に漁具を売ったり貸したりしていた会社が元々あったので、本当の創業者ではないのですが、現在の業種にし、四国の田舎から大阪に出、又東京に進出して来たのはB氏なのです。
B氏も戦後都心といえる土地に本社の土地を取得し、小さいながらも建設資材をリースする会社を経営していました。東京に進出してきた初めは、故郷の名士を同郷というだけで突然訪ねて紹介をお願いしたり、社長の奥方は会社で炊き出しをして社員にご飯を食べさせたりといろいろな苦労があったようです。
高度成長期には建物のリースという新しいアイデアを採用し、これが又時代の趨勢にあったものかいよいよ成長し、A社同様、建物のリースのアイデアを出した元常務が飛び出して同業を始めるなどという事件も有りましたが、こちらも業界2位の地位を確保する大躍進となりました。また、B社の自慢は創業以来無借金の優良会社ということです。
B氏は小柄で人懐こい笑顔が印象的な憎めない性格で、同郷というだけで頼って行った故郷の名士たちにも可愛がられ、カバンを肩に日本中の支店・営業所を疲れも知らず行き来して社員にも大変人気が有りました。それは頼りになる親分気質のカリスマ性というよりも、無邪気で私欲の無いこの人の為ならばという 長嶋さん 的な人気だったかも知れません。
実質創業者として人気があったB氏の長男B´氏は大学卒業後、地元名士の中でも有名な、太平洋戦争最後の参謀と言われ、当時大手商社の役員をしていたS氏の元で帝王学を叩き込まれ10年後B社に入社、何年かの後B氏が亡くなったので、2代目社長として会社を背負っていくことになりました。
このS氏、山崎○子氏他、あまたの小説のモデルとなり、晩年TVで自らの人生や日本のこれからについて語り、先頃9月に95歳で亡くなられて話題になったのでご存知の方も多いかも。
B´氏はB氏の次男とB氏の性格を分け合ったようで、可愛げは次男へ、細かいところは長男であるB´氏の方へ行ったなあとか、又、帝王学と言ったって、机上の空論ばかり言って現場を知らないじゃないか、などと陰口を言われながらも父親が大きくした会社を潰すわけに行かないと慎重に会社を運営し、バブル崩壊後も業界2位を不動のものにしています。
さて、長い文章になってしまいました。パート2.は次回に致しましょう。