観光商業のひとつにFestival Market Place (以下FMP)がある。観光客とオフィスの両方のターゲットとする。本邦初は天保山のハーバービレッジだが、企画に関わったのを思い出す。アメリカのラウス社によるボストンのファニュイル・ホール・マーケット・プレイス(1976)が元祖である。その後、ラウスはエンタープライズ社にFMP部門を移転した。特色のあるお店を入れ、半分が物販、半分が飲食でアンカー(キー)テナントがないのが特徴である。テナントは差異化を図った小さな店が多く、またナショナルチェーンでは雑貨のシャーパー・イメージ(一時日本にあった)、ブルックストーン、ウイリアムズ・ソノマや下着のビクトリアズ・シークレットがお決まりであった。ここをお手本にしたのが札幌ファクトリーだという。<o:p></o:p>
当時はウォーターフロント開発の目玉としてもてはやされ、ボルティモアのハーバー・プレイス(1983)までは良かったが、ニューヨークのピア17、ジャクソンビル・ランディングなど売上が低迷した。これは、ウォーターフロントは商圏の半分は水であり小さくなること、季別の集客変動が大きいこと、そこ支えするオフィス集積がないことである。ボストンやボルティモアでは、歴史物(観光の目玉)と観光ルート、オフィス集積、周辺開発と周辺の名店群に支えられ成功した稀有な事例であると1990年に調査して分かった。(拙著 ウォーターフロントーの新建築にまとめてあります)つまりは、珍しいお店くらいではお客は呼べないというのが分かりました。<o:p></o:p>
天保山でも始めは環太平洋(Ring of Fire:海遊館のテーマ)にならい、面白そうなお店(Pabo Real 等)誘致したけれど、集客がはかばかしくなく、だんだん御土産物が増えてしまって京都の新京極か銀閣寺前商店街のようになってしまった。(なお、余談だが海遊館も銀閣寺も200万人/年の集客で、一生一回型の人数に近い)<o:p></o:p>
日本での観光商業の成功事例はFMPではないが、錦商店街周辺がある。お店の配置や通路の狭さがファニュイル・ホール・マーケット・プレイスに似ている。{なおこの施設はベン・トンプソン事務所(ベンはワインが好きで、スペンサーものに出てくるケンブリッジのハーベストというレストランも経営していた。デザインセンターも運営していたな)の作品です。この事務所はお店のあり方まで模型でスタディする商業者の観点がありました}錦は地元の庶民は手が出ないお値段ですが、観光客は本当に多い。また近くの寺町・新京極は修学旅行生の聖地で、三条通りは洒落た路面店が多い。さらに錦の裏はオフィス街であり、お昼はサラリーマンの利用が多い立地である。<o:p></o:p>
ということから観光商業は地元の独自性のあるお店の集積、歴史、観光ルート、オフィス集積がないと成功しないことが分かります。ということはアンカーテナントなしではなかなか難しい開発であると分かると思います。特にウォーターフロントは大変です。但し、「アーバン・リゾート」(死語ですね)としてお洒落なお店を楽しむにはよろしいが、わざわざ行くのを厭わない極めて限られたターゲットとなるでしょう。例えば、道頓堀東やなにわ筋のリバーフロントのレストランが挙げられます。<o:p></o:p>
結論:観光商業は難しい、やるなら小規模で限られたターゲットを捉え、中期的にエリアを育てるつもりで。