今まで、Festival Market Place(以下FMP)はラウス社が、このFanuil Hallを1973年に開発したのが嚆矢だ。以来、40数年、都心のディズニーとしての2千万人/年の継続が認知される「観光拠点」だが、90年から大いに変容している。もともとは:
①観光と地元オフィス・ワーカーの両方をターゲット
②アンカー・テナントが無く、Food Courtと食が主体
③独自性(One of a Kind)を重んじ、地元性、他の店との差異、小規模なPush Cart(当初は埋め草だった:Roy E. Williams の言)の活用
④イベントの展開、歴史の活用
⑤ウォーターフロントなど都市の外縁部で周辺波及開発(Ripple Effect)の起爆剤(Magnet Facility)
が当時のヒアリングにある。
それが変化したのは
①基幹産業となったBioがFan Pier、Cambridgeへ移転
②地元色が薄れた食体験→魅力がない、どこにでもあるフード・コート
③大手企業、高額販売重視→どこにでもあるテナント(ユニクロなど)
④花屋が無くなるなど季節感やイベントが弱い
⑤ウォーターフロントと都心をつなぐBridge機能の位置付けがFMPの役割だったが、Big DigによりウォーターフロントとCBDが連担となり、役割喪失と裏目に、周辺開発の熟成も進行しウォーターフロントは賑わう。
更に、FMPの手法が研究され尽くされたこと、コピーが多いこと、ラウスもボストンとボルティモアくらいしか成功していないこと(ウォーターフロントは商圏の半分が海となり弱い)による
観光商業は、土産物屋(銀閣寺前商店街や新京極などが事例)になりがちで、意外と売れる。その改革がFMPだが、オフィス・ワーカーの日常利用が基盤だ。日本なら阪急三番街が同じ時期できたが未だに交通の要所であり栄えているのが証だ。
観光商業は短期で、細かい改革、立地創造に対する公共のサポートとディベロッパーの矜持が前提だ。いまのFanueil Hall Market Placeはその役割を終えた施設で、収益重視のショッピング・センターと思えばよい。
施設と都市、開発のライフサイクルは昔、「ウォーターフロントの開発とデザイン(1991)」に書いた。そのとおりになった。( P140、141 参照 https://docs.google.com/file/d/0By9_5eJBeiyQQS1xVVA4dkFRaW8/edit )
最近の開発はコンパクト・シティ政策の影響があり都市内で「街並み」整備と、町家などの改修の歴史、通り、独立、小規模が成功の方策だ。いうなれば路地や辻子を探索する観光や都市居住で穴場志向だ。その一方、産業遺産観光も盛んになりつつある。教育と観光の融合だ。地産地消や日本の各県の名物など、特色ある食も注目だ。今までの商業や観光、都市の魅力と提供できる体験が変化している。
ウォーターフロントの熟成のステージを考える時期なのだろう。次世代の研究者を育てよう(当方はもうええわ)