都市と楽しみ

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松竹と東宝(中川右介):東京の演劇の歴史と街の変化が理解できる、おすすめ

2018-12-27 02:11:14 | 都市開発

 松竹は白井松次郎と大谷竹次郎という京都の双子で劇場の売店からの叩き上げ、対する東宝は東京宝塚で裕福な慶応出の女好きな小林一三と対比が出自からある。

 また、松竹の乗っ取り(M&A)に対し、小林の開発(沿線や両端(梅田、宝塚拠点開発))も対比する。この2社が議論をしつつ、因習にまみれる演芸界の近代化と歌舞伎の保存、歌劇の創出をしたのは

知見は:

・小林は26歳で結婚したがすぐ破綻、27歳で馴染みの芸者コウ18歳と再婚、慶応人脈だよりの会社経歴

・明治中頃でも劇場の木戸口にゴロツキと親分、売店、番付、火鉢・布団など場所代を払わない権利者

・松竹の京都制覇の上、南座も手中に、大阪道頓掘五座制覇、近代的経営化を進める

・小林の箕面有馬電気軌道は池田室町のローン付き販売が成功、箕面動物園開設、宝塚大劇場(1924)小林の「大劇場論:安く見せる、一日がかりでない」、その前から宝塚パラダイス(1912)に宝塚少女歌劇(三越の少年音楽隊の発想)、プールの転用

・東京では歌舞伎座買収で松竹難航のちに取得(1913)、明治座買収(1919)、帝国劇場開場(1910)歌舞伎のほか歌劇、新劇も

・松竹は新国劇(1917)を、次に喜劇

・小林 荏原鉄道(後の東急)の専務に

・松竹キネマ部設立(1920)

・阪急百貨店(1925)梅田の賑わい→現在の梅田百貨店戦争に至る

・東京松竹演芸部:水の江瀧子を輩出

・小林の日比谷進出はホワイト・カラー狙い東京宝塚劇場「清く、正しく、美しく」(1934)

・映画の「東宝ブロック」のグループが

・浅草は松竹が押さえる、小林は錦糸町に「江東楽天地」を作り劇場・温泉・飲食店(1937)→宝塚と同じ方式で千葉からの浅草顧客を食い止める方策出店と言われる、ここの調査をしたいものだ

・1928年、松竹は吉本と藝人引抜きに大阪府警と京都府警の調停で覚書を交わし終結

・1956年、新宿と梅田にコマ劇場(舞台全体がコマのように回る)国民劇としてのコマ歌舞伎

 

 小林も松竹も歌舞伎を必要と考えていたのが面白い。当方はあまり見ない。この著作は京都・大阪・東京の盛り場の研究において必読の書だ

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