都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

グリル ロン阪急三番街店(大阪 梅田):この秋初めてのカキフライは軽やかでジューシー

2019-11-06 18:44:38 | 食べ歩き

 値上がりの秋、こちらも値上がり。なんと、しょうが焼き一族がメニュー落ち。

 亡母を偲んで、カキフライ(1,000円 5個)に煮込みハンバーグ(220円)をつける。

 カキフライは、衣がいつもより薄目で、汁気たっぷりのもありうまい。磯臭さがない。醤油とタルタル・ソースがあう。

 大盛ご飯とキャベツをおともに、秋の味を平らげた

 

 

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芸術と社会の約束、表現、資金

2019-11-06 02:26:36 | 都市経営

 最近、芸術でどこまで表現していいかと補助の在り方が議論されている。

 表現は、日常でも言って良いこと、場の雰囲気を言ってはいけないことがある。もちろんパワハラやセクハラはだめだ。これを超える表現とするなら芸術として深化する。つまりは自分の発見、体験などを芸術表現とすることだ。ただ単に、美術館にふさわしくないものを展示するのは、デュシャンの便器( https://www.google.com/search?q=%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BE%BF%E5%99%A8&rlz=1C1CHBD_jaJP871JP871&oq=%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BE%BF%E5%99%A8&aqs=chrome..69i57.663j0j8&sourceid=chrome&ie=UTF-8 )の模倣だ。単に置くなら博物館の役割でその時は、保存の意義や来歴を述べる必要がある。

 補助は、企画の趣旨を見極めなされるべきだが、前衛的な発表が補助を要求するのはあまり事例がない。印象派でも、当時のAcadémie des Beaux-Arts ( https://fr.wikipedia.org/wiki/Acad%C3%A9mie_des_beaux-arts_(France) )への対抗として独立展だった( https://en.wikipedia.org/wiki/Impressionism )。補助付きでないと開催できないのはどうしてかと訝る。

 芸術は、表現だがそこには「どうしても表現したい」という激情の後押しがある。金や舞台ではない。評価が厳しく競争がある。

 こういうことを書いていると、31年前、ロスコの絵を初めてハーヴァードの美術館で見たときを想い出す。上下二つの四角、そして魅力となんでこういうものを、ここでと思った。心に残る「表現」があった。

 ロスコの絵と、最近の展示騒動は違う

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