都市と楽しみ

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祇園の祇園祭(澤木政輝):氏子と研究者としての立場から風俗面を研究、宗教と都市の観点が薄いのが難点

2019-11-20 02:33:34 | 京都

 宮本組の氏子として、かつ新聞記者として史料をまとめている。しかし、八坂神社に焦点を絞り都市と神社の配置や祭礼の歴史などの読込みが少ない。知見は:

 

・三若(ヨーサノ)、四若(ヨーイトセーノ)、錦(四若に準ずる)で中、東、西御座

・弥栄学区が宮本組、手伝いは配膳師(配膳さん→未だに居たのだ)も参加

・三条御供社(ごくうしゃ 又旅社)

・八坂神社の摂社、疫神社「夏越祭」は茅輪 7月31日

・八坂は坂が多いから、秦氏、賀茂氏、乙訓の土師氏が山裾に住みついた

・寛永年間(1624~44)に祇園、八坂、北野、清水の茶店に茶立女の許可(酒や歌舞)

・上地令 建仁寺の一部が祇園町南側、膳所藩本多家屋敷跡が祇園町北側に編入

・円如が現在の八坂神社の地に観慶寺を建立した際、奉斎していた下河原の天神社を鎮守としたが、天神が本社となり、全体観神院祇園社となり延暦寺の別院となった。神仏習合となる。

・祇園祭の発祥は貞観11年か18年(876年)に祇園御霊会が始まる

・山鉾風流の成立:長保元年(999年)無骨法師が作った作り山が発祥か→風流の系譜はあまり深く探っていない、こちらが詳しい( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/c9a7b6b0b19e238503ebcf451888f9df )

・神輿とご祭神

①大宮神輿(六角形)牛頭天王 大政所御旅所→中御座 素戔嗚尊 西御殿(大政所御旅所)

②八王子神輿(四角形)八王子 大政所御旅所→東御座 櫛稲田姫命 西御殿(大政所御旅所)

③少将井神輿(八角形)婆利女 少将井御旅所→西御座 八柱御子神 東御殿(少将井御旅所)

・元祇園の梛神社

・悪王子社は素戔嗚尊の荒御魂を祭る、御供石

・少将井駒頭の駒形

・犬神人の法師武者

・乗牛風流、馬長童

・五瓜に唐花は瓜ではなく窠(鳥の巣)、御簾の帽額(もこう)、長押にあったためもっこう紋というとのこと

・舞子は祇園祭の間、髪型は勝山

・祇園甲部の雀踊、祇園東の小町踊、先斗町の歌舞伎踊、宮川町のコンチキ踊

 

 祇園祭のトリビアとして面白い、祇園祭に神社の神輿と町衆の山鉾の2つがあると対比を明確にすると分かりやすい。

 

しかも八坂神社は祇園舎で寺でもあった。様式は大事だが、当時の平安京は不潔で夏が特に不衛生になった。鉾はこの病気を生む(と思われていた)「悪い気」の流れを切る役目だった。都市の衛生、疫病、飢饉などが不安を生み、来世への期待や念仏などの流行になった背景がある。

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