2017年の博士論文を下敷きにしているようだ。( https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/67088/ )
内容は観念的な庭の整理と、実務作業での庭の構造の2視点があるが、これは著者の経歴によるものではないか。
内容は、建築、庭の定義(大庭(おおば、正面)、坪(囲われ)、屋戸(建物周辺)、島(築山・池など)の定義の根拠)、利用という空間要素と利用(生活、イヴェント、楽しみ)を時間要素(時代変化)で述べようとしている。さらに、実務から工学的裏付けを試みているが、相互の関連性とそれぞれの内容が薄い。
庭の利用として、大名庭園の関連(大名庭園(白幡洋三郎)内容はいまひとつ)、さまざまな庭園の種類としては(京都の庭園 御所から町屋まで(上下)(飛田範夫))、鑑賞や構成は(日本の十大庭(重森千靑))に詳しい。
本著では、平安時代の寝殿造(大部屋)と移動式の家具と室礼で大庭が主体。室町時代は書院造で室礼が家具化、石庭や臨済宗の庭(夢窓疎石など)。の指摘がある。しかし臨済宗庭園の分析は少なく、平面図の提示のみにとどまっている。
江戸時代初めは桂・修学院を代表に小堀遠州と茶道の成熟を見ているが、この間の詳細な数寄屋建築の分析は乏しい。
また、明治時代の無鄰庵などは当時の新開発である疎水の小売りによる滝と園遊会の広場が特色だが指摘がない。歴史的な建築、用途、給排水(庭の基本)の指摘もない。
また、実務の経験については、桂離宮修学院離宮仙洞御所 庭守の技と心 (川瀬昇作)の内容に全く及ばない。工学の知識が深いとも思えない。
結論として、ポリリズム( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 )で物質・生命・精神が、土質・土壌(利用可能な土)・遺構(保存・保全の対象)としているが、内容が理解できない。庭の「理(ことわり)」を解明したとあるがさらに困惑する。
観点は面白いが、庭についての考察は同意できない。室町以降、臨済宗の庭をはじめ、修行として見る庭に変化し、船から見る庭(金閣寺)や茶屋を巡る四季の庭(桂離宮)などに趣味的に変化したのではないか。また、町家の庭にある茶室は洛中でもひなびた風情を楽しむ異界の演出とされている。茶道の影響が大きい。
藤戸石( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%88%B8 )の来歴など他事例の深堀があると面白い
哲学、歴史、工学を交えた新視点の提供の努力があるが、研究の核心とまとまりに努力が必要と思われる