7本ほどの論文や著作をまとめたもので、「重税都市」に関する都市の地方税と住民移転が面白い観点だ。このような経済や都市経営からの都市計画の著作は貴重だ。
知見は:
・京都日出新聞(京都新聞)からの引用が多い
・武田吾一デザインの鈴蘭灯は1924年寺町通、1926年元町通( https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/motomachidori/motomachidori30.html )などに展開
・明治時代の千本通、烏丸通は軒の張出もあり4,5間くらいの有効幅員→平安京の大路小路は両側から浸食された
・尼崎博正(1984)「南禅寺界隈疏水園地群の水系」( https://ncuonolab.wixsite.com/main/ncu-ug04v2 )
・三大事業(1908年)と土木官吏、「都市専門官僚制」
・土地区画整理事業(1926年計画図作成)と公同組合(もと町組(小学校区)の再編)
・国税・府県税・市町村税の(戸数割(賦課基準が不公平で大規模優遇、人頭税に近い))付加の仕組み、都市部に限り家屋税(家屋所有者に賦課)、市町村同士でも負担格差→新規住宅開発が多いなら安くなるなど:1931年まで施行
・京都は戸数割が強く、家屋税がないため家賃が安いのは「借家が儲け」でなく地主・家主が安い戸数割の権益確保としている→本当か?投資の費用、家賃収入などの証明がないように思うが
文献での確認が多く、図面検討や、実際の街並み変容など都市計画の結果としての経済変化についての分析に欠けるのが惜しい。例えば、岡崎は、新しい市街地となり、モダンな邸宅も増え、それがため進駐軍の接収(水洗便所や風呂の完備による)となり、一時はブティック・ホテルに転用され増えたなどがある。
また、土地区画整理事業での西大路・北大路・東大路(白川通)の独自の景観形成なども、京都の都市計画の側面を示す。走ってみれば、ちょっと違う街並みだなと気づく。曳家をした事例も見かける。都市計画と現在の利用の実態感や変化の考察が欲しい
京都都市計画の歴史のある一面を知るには良い