みみずのしゃっくり

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人道的勇気

2013-09-23 | その他

すみません、追記入れます↓

すっかり遅れてしまいましたが6月26日付けNZZ(新チューリヒ新聞)の記事。
時期遅れにならない永遠に貴重な記事です。

「両親や祖父母の逃亡経路を辿ってリスボンへ」というタイトルです。

第二次大戦中、ナチスに追われたユダヤ人のため、本国ポルトガル(当時ドイツ寄り)の指示に従わず、ビザを発行し続けた領事がいました。助かった人々の子供たち・孫たちが「両親や祖父母は、どうして逃げられたのか?」と調べ始め、この領事のおかげであることが分かったのです。

その人の名はアリスティデス・デ・ソウザ・メンデス

ポルトガルの杉原千畝さんです!

NZZの記事


写真部分をちょっと拡大


アリスティデス・デ・ソウザ・メンデスは、第二次大戦中、フランスのボルドーにあるポルトガル領事館の領事でした。ドイツ寄りのサラザールによる独裁政権のポルトガル政府からの指示は「帰国できない者にはビザを発給してはならない」というものでした。ナチスドイツから逃げる人たちは、帰国できないわけですから、この発禁対象者になります。しかし、メンデス領事は3万人に上る「帰国できない人たち」にビザを発給、たちまちポルトガル政府から呼び戻されましたが、帰国の途上でもビザを発行し続け、逃走中のユダヤ人を自分の車に乗せたり、ポルトガル国境でもユダヤ人逃亡のため尽力しました。帰国後、彼は懲戒免職・弁護士資格剥奪の上、家族全員が迫害の対象となり、1954年貧窮のうちに世を去りました。

サラザール政権が終り、民主化したポルトガルで、漸く1988年にメンデス領事の功績が認められ、更にビザを受けた人々の子孫がメンデス領事の「救いの手」を発見、今では、子孫によるツアーも組まれ、旅の最後にはメンデス領事の生地を訪れるそうです。

杉原千畝さんの「六千人」よりメンデス領事の救った人数が遥かに多いのは、ナチスドイツ占領下のフランス・ボルドーという位置から、亡命のためのビザを求める人数も、リトアニアより遥かに多かったためと思われます。
外交官であるにもかかわらず、本国の指令に抗して、独自の判断で、人道的立場から勇気をもって人々を助け続けた2人の功績は永遠に輝く星のようです

重要追記
杉原千畝さんのことを初めて知ったのは、十数年前、ドイツの週刊新聞「ディ・ツァイト」に1ページ全面の大きな記事が載ったからでした。その記事は今でも保存してあるはずですが、どこにあるかなぁ
「ディ・ツァイト」は「デァ・シュピーゲル」と並ぶドイツの代表的な週刊メディアで、世界的に読まれています。
六千人の命のビザ」は今も入手可能です


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