前々回と
前回の続きで更に徒歩北上中
1)前回最後の写真の通り
2)この通りの名前はミンチョ通り

15は「15区」の意味、このシステムでは地図を片手に初めての番地を探すのも簡単
これは北イタリアの
ミンチョ川に因むもので、王朝時代末期の1912年に名づけられました。当時イタリア北部にも領土のあった
オーストリア・ハンガリー帝国にとって、ミンチョ川が重要な防衛線であり、この川に沿って4つの要塞が設置されていました。
帝国時代の防衛線のことも言及されている
ドイツ語ウィキに載っている写真を見ると「重要な防衛線」の意味がわかります。
この辺りは、昔はウィーン郊外の町あるいは村だったわけで、その名残りが微かに感じられます。
3)
4)集合住宅(多分市営住宅)前の緑地
5)こういう風景は今でもウィーン郊外の町で見られます
6)草地のタンポポは刈り取られることはありません
7)ミンチョ通り北端にある小公園
8)ウィーン市HPでも古い大木の保存されていることが紹介されています
9)公園から見えるウィーンの森の丘陵地帯

下の通りが15区と16区の境界です
10)これから下へ降ります
11)ここの斜面にもタンポポがいっぱい
12)下の通りで見たポスター

国民大学の学習ステーション:数学、ドイツ語(つまり国語)、英語
13)入り口:この「学習塾」は無料です!
14)タマリスクがありました(ちょっとショボい)
15)更に進むともう1本タマリスク
以前のタマリスク記事:
花の雲(砂漠仕様)
16)この通りを進むと以前紹介した聖霊教会があります
以前の記事
創造と想像
秘められた名作