みみずのしゃっくり

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80年目

2018-03-13 | その他

80年前1938年の3月12日ナチス・ドイツ軍がオーストリアに入り、13日にはウィーンに到着、事実上のアンシュルス(併合)が行われました。
このとき第一次世界大戦後の1918年に生まれたオーストリア共和国(第一共和国)は消滅したのです。


ヘルデンプラッツ、新王宮から演説するヒトラー(1938年3月15日)


後方にウィーン市庁舎が見えます。このときは25万人が広場に集まったとされます。

ヒトラーとナチス・ドイツ軍は、恐らく過半数以上のオーストリア人に熱狂的に迎えられました。
それには勿論理由があります。
それまでのオーストリア人は、オーストリア帝国(1867年からはオーストリア・ハンガリー二重帝国)という多民族大国(当時のヨーロッパ列強の1国)の国民であり、同時に「支配民族」でもあったのです。第一次大戦でハプスブルク王朝が崩壊すると、オーストリア人は突然、アルプスの小国の孤立した住民となったのです。
「こんな小さくなってしまった国は独立国家として存続できない、生き残る唯一の道はドイツの一部になることだ」という考えは極めて一般的でした。

ドイツでのナチスの台頭の大きな責任は、第一次大戦の戦後処理にあります。イギリスとフランスでは、第一次大戦(当時は単に大戦)に続いてイギリスとフランスの間の戦争になるだろうと危惧する人が多かったのです。それでイギリスもフランスも嫌なことは全てドイツに押し付けて「ごまかす」方法を選びました。全てのしわ寄せを受けたドイツは悲惨な状況になり、ヒトラーが唯一の救いだと思う人も多かったのです。

オーストリアでもナチス党員と信奉者が急増し、ヒトラーの第三帝国に「加わる」ことが唯一の解決策だと思われました。
しかし併合後の現実は多くのオーストリア人にとって全く希望とは違う恐怖政治になりました。併合と同時に多くの政治家やナチス反対者が投獄・処刑されました。

独裁者の常套手段で、合法的な手続きを装うため、4月10日には住民投票が行われました。

投票用紙


1938年3月13日に完了したオーストリアとドイツ帝国(いわゆる第三帝国)との「再統一」を承認するか?
我々のヒトラー総統による治世に賛成するか?
という2つの質問があり、イエスの方は大きな丸、ノーの方は小さな丸があります。
いかにも「大丸を選べ!」と言っているようです。

皮肉なことに、併合によって初めて、オーストリア人は自分たちがドイツ人ではないオーストリア人なのだという自覚を持つようになったのです。
そして第二次世界大戦後、第二共和国が樹立されました。

アンシュルスは第二共和国にとっても極めて重大な歴史的出来事なので、80周年記念の特集番組や記事が沢山あります。

オーストリアがドイツに併合された後、当時の国際連盟加盟国で唯一メキシコが抗議してくれました。
それに感謝し記念するため、1956年にメキシコ広場が出来ました。英語ウィキMexikoplatz