前回の胡て坊記事末尾に「忘れない」と書きましたから今回はウクライナです
ウクライナ出身で、ドイツ、ウクライナ、
ジョージア3国で活動する作家
カーチャ・ペトロフスカヤ
ちょっと前に
彼女のインタビュー記事を読みました。
ジョージアもソ連崩壊後に独立し、領土を巡る対立からロシア軍に侵攻されているため、ウクライナとジョージアの連帯感は大変強いそうです。
南オセチア紛争
彼女は夫とともに様々なウクライナ支援プロジェクトに携わっています。
そして「軍事的にロシアを撃退する以外に道はない。ほかにどんな方法でプーチンを止められますか?」と断言しています。
凄いなあ。正論、超正論です。
ナチス・ドイツの時も「ドイツがソ連と闘ってくれれば自分たちは高みの見物」と米英仏が高を括っているうちに、結局、世界大戦になってしまったのです。つまり、「ヒトラーに適当なエサを与えておけば大人しくしているだろう」という愚かな目論見は全くはずれ、結局、武力(戦争)で決着をつけなけらばなりませんでした。
今回も同じです
既にソ連崩壊後から始まった
コーカサスの様々な紛争も「遠いよそ事」と無視し、
ドンバス戦争も
ロシアのクリミア併合も「この程度で収まれば」と見て見ぬふりをし続けた結果が、ロシア軍によるウクライナ侵攻となり今に至るわけです。
この超正論を主張するのは
バルト三国など、
ロシア帝国、ソ連の帝国主義によって何世紀も圧迫・占領支配されてきた国々です。ジョージアの場合は「あんな遠くの小国くらいロシアに与えても痛くも痒くもない」と殆ど見殺し状態でした。それでもウクライナには一応、武器援助が続けられています。
危険なのは、ロシアの侵攻から半年経った今「支援疲れ」と「戦争慣れ」の兆候が強くなっていることです。
しかし、原子爆弾開発最終段階だった第二次世界大戦当時と違い、今はロシアを頂点に複数国に使用可能な
核兵器が山ほどあります。
核戦争を覚悟で超正論を実行すべきなのでしょうか
もう頭がゴッチャゴチャになるのでふて寝します
ウクライナに言及している以前のボログ記事
涼魚
東と西その1
ガマズミの歌
地下鉄コンサート
流浪の街
多くなり過ぎるのでその他略
ところで・・・カーチャ・ペトロフスカヤはユダヤ人の家系です。
現ウクライナ大統領もユダヤ人家系です。
ペトロフスカヤの最新刊は「私を見つめた写真(Das Foto schaute mich an)」です。
この本は、まだキンドル版になっていないので「
あるいはエステル」のキンドル版を買いました。
ユダヤ系の曾祖母エステルがナチスによって殺された
バビ・ヤール事件をテーマとしたものです。
読んだら報告します。これもウクライナへのささやかな連隊表明です