新カテゴリーを追加しました
シリアのピンボケ写真は全て「ビラードシャーム」に理路整然と分類アップ、最終的には、紀元前4000年から現代までピンボケ写真によるシリア史にする予定でしたが(このプロジェクトは放棄していませんが)、どう分類して、どう並べていくか、豆粒ほどの脳みそで考え出すと「下手な考え休むに似たり」で、もう頓挫しっぱなし
仕方ないので、それはそれとして、みみずボログにも、シリアの項を設けて、順序とかカテゴリーとか気にせず、古いピンボケ写真を時々アップすることにしました
この「シリアの顔」は、ダマスカスのゲーテインスティトュートでアラビア語集中コースを受講しているとき知り合った女性、当時はダマスカス大学の経済学部在籍中でした。
ゲーテインスティトュートでの展覧会で
旧市街のレストランで
スキャンのため赤目修正できず
彼女の家のベランダで
このベランダからは、旧市街のウマイヤ朝のモスクその他の史跡が見え、中東最大のオアシス「グータ」やカシウン山が一望でき、この時は、ベランダのジャスミンが芳香を漂わせていました。
カシウン山
日本語Wikiではカシオンで、英語綴りを読めばカシオウンとなりそう、ドイツ語綴りだとカシユンっぽい・・・文字の違う言語の発音を書き写して再現するのは難しく、どうしても妥協の産物になります。
ビルの下の遊園地
彼女がスカーフ(ヒジャブ)をしないので、知り合った当時「あなた、アラウィートですか?」と尋ねたところ、普通にスンニですと言われました。
大学卒業後は経済学部卒業に相応しい職場を得て活躍するのが夢でしたが、彼女が望む職場がみつからず、いくつかの職場を転々とし、色々な縁談を断り、片思いの人に自分から打ち明けることもできず(積極的な女性は「はしたない」と見られる)、鬱々と歳月を送るうち、6年前に交通事故で世を去りました。
テロリストを養成輸出しているかのように言われていたシリアも、内戦勃発前には徐々にオープンになり、外国からの旅行者も増え、今後の発展が期待されていました。しかし、まだ移行期で、彼女は自立した女性として歩みたいという希望と、良家の娘に期待されるコースの板ばさみになって、思い切った1歩を、とうとう踏み出すことができませんでした。
内戦が続く現在、もし彼女が生きていたら、非常に悩むことでしょう。
私も、昨年中は知り合いや友達に「早く収束するといいね」と言っていましたが、もう、この挨拶は通用しなくなりました。
1975年から1990年まで続いたレバノン内戦ほど長引かず、1日も早く政治・経済・社会が正常化することを祈るばかりです。
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