前回の腹チャックなしで16人の子供を産んだ女性管理職
それが、マリア=テレジアです。
父のカールVI世に男子後継者がなかったため、マリア=テレジアはハプスブルク家の家長となり、オーストリア女大公、ボヘミア女王、ハンガリー女王その他ゴチャゴチャした肩書きをもっています。名目的にカールVI世の後継者として神聖ローマ皇帝となったのはマリア・テレジアの夫君フランツ=シュテファンでしたが、大帝国を統治する政務はマリア=テレジアのみが行ったので「女帝」と呼ばれています。
1752年頃に画家マルティン・ファン・マイテンスが制作した肖像画
そういう膨大な政務にもかかわらず、彼女は16人の子供を出産しています。
1日中、政務で多忙を極める「管理職」の立場で、彼女が繰り返し出産できたのは、言わば「支援体制」が万全だったからです。子育ては、選ばれた養育係の人々が行い、優れた学者が子供たちの教育に当たりました。つまり女帝は出産するだけでよかったのです。
後継者確保に加えて政略結婚のため、子供は大切な「政治手段」でした。もちろん、今日ほど医学の発達していない当時、最高の医療を受けられる皇帝家の子供でも、中の6人は早世しています。
1754年頃、同じ画家が描いたハプスブルク=ロートリンゲン一家
床に見られる星の模様の中央に立つのが後の皇帝ヨーゼフII世。15人目の子供で末娘のマリア=アントニアはフランス王ルイ16世に嫁ぎ、マリー=アントワネットと呼ばれるようになりました。
政務を執る母ばかりでなく、子供たちも早朝から厳しいカリキュラムをこなし、ダンス、演劇、絵画、歴史、正書法、国家学、数学、幾つかの外国語を学びましたが、夕方からは必ず一家団欒を過ごせるよう時間割が組まれていたそうです。
現代の女性の場合も、どんな要職についていても、経済的側面も含めて社会的支援体制が十分整備されていれば、安心して出産できます。
国民がいなくなれば国も消滅するのですから、出産・育児・教育の社会的支援体制は、国家の存続にかかわる重要な事業と言えるでしょう。
別にマリア=テレジアほどの完全体制でなくともいいのです。世界的に見て、社会的支援体制は、まだまだ強化の余地があります。
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