ネット時代になっても年賀状の習慣は残っている。
私は年末に忙しい花屋を営んでいたし親しい人たちには毎年11月に開く野草(イエツァオ)展の案内状を出していたのでほとんど年賀状を書かない生活だった。
それでも年一回案内状を出すことで親しい人たちの事は思い出し又元気にやっていると思っていただいていだろう。
金生町暮らしになっても同じく11月に野草(イエツァオ)展の案内状を出すだけにもかかわらず年賀状はいただけるのはうれしいことだ。
もちろんいただいている人たちには案内状を出しているので正月の挨拶ということでのお互いの消息を確かめ合う役目のようなものは果たしていると思う。
今回案内状を出した人より自作の写真が額縁に入った珍しい賀状をいただいた。
厚さが5ミリほどもある。
写した場所は書かれてないが金生町生活を始めた翌年に開いた伯方島での野外教室の時思わず陸続きになって感激した”ささげ”と呼ばれる島が陸続きになった写真だ。
私はアズキとササゲの区別がつかないのでササゲのつもりで畑でとれた赤い豆を一緒に写した。
”ささげ”と呼ばれる島は清らかな感じの島だった。
毎年何枚かの賀状は一年中飾っているがこの賀状も飾ることになるだろう。