歴史と経済と医療の未来予測・歴史経済波動学

フラクタルと歴史経済波動学で予測
 未来の世界と経済と医療の行方
貴方はいくつの真実を見つけられるか!

類は友を呼ぶ・堕落した悪徳王室オランダと韓国

2014年11月01日 20時01分43秒 | 戦争

★ http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/2878db842851017f7ceab2718f0be65f から転載


オランダ国王が愛する韓国、その嘘

2014-11-01 | ドラマ



12月初旬に出す小説の校正作業の締め切りが近く

相変わらず駆け足の文章であるが・・・・

どうも、マスコミがオランダとの友好のみ伝え、国王の「もう一つの顔」を

隠しているのか、無知なのか・・・・・

国王のいわば「素顔」を知らぬ日本人が多いようなので、

国王が来日前に韓国メディアに語った言葉を転載しておく。

ただ中央日報の記事なので100%は信用置きかねる。

だが一国の国王の言葉をさすが、全部は捏造しないだろう。

部分転載である。

これが日本訪問を目の前に控えた上での、つまり日本人にも

韓国人も読めるという状態での発言であることに留意されたい。

つまり「何らかのメッセージ性」は韓国のみならず、日本に対してもある、と。

http://japanese.joins.com/article/277/191277.html

ハメルや韓国戦争…オランダ国王「コリアとは特別な関係

2014年10月14日09時44分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

韓国人の情緒と前向きな考え方(forward looking focus)を、いつも尊敬しています」。

ハーグのノールドアインデ宮でJTBCをはじめとする一部の韓国メディアと会い、韓国人への賞賛を惜しまなかった。



国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活動してきたアレクサンダー国王は、韓国国民の皆が力を合わせて平昌(ピョンチャン)が2018年冬季オリンピック開催地に選ばれたことに大きく感銘を受けたと明らかにした。

それと共に彼は、すでにいち早く発展している地域である平昌が2018年冬季オリンピックを成功裏に開催した後には世界の人々が好んで訪ねる新たな冬の旅行先として急浮上すると期待した。アレクサンダー国王は、皇太子時期に計4回韓国を訪れ、2003年にはIOC委員として冬季オリンピック候補地の実態調査のために平昌を訪れたことがある。

彼は17世紀に朝鮮に滞在後「ハメル漂流記(邦題:朝鮮幽囚記)」を書いて朝鮮を西洋に紹介したオランダ人のヘンドリック・ハメルとの縁をはじめ、韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦して亡くなったオランダ人らを例にあげて韓国とオランダが特別な関係であることを強調した。

彼は皇太子時期に韓国を訪れるたびに常に安らかな印象を受けたとして、今回の国賓訪韓についても大きな期待を見せた。アレクサンダー国王は今回の訪韓に関して「妻と私は国賓訪韓をとても待ちこがれており、両国間の良好な協力を確認して増進するものと期待する」と話した。

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宮中晩餐会におけるスピーチと同様、こちらにももの申し上げたい箇所が幾つかあるが、持ち時間が乏しいので、一つに絞る。



>朝鮮を西洋に紹介したオランダ人のヘンドリック・ハメルとの縁



これは、朝鮮でオランダ人たちが虐待され、日本へ逃れ

日本人に助けられて、オランダに無事帰ったオランダ人の
話なのだが、誤解していらっしゃるか、あえて朝鮮側の美談に

加担していらっしゃるのか?






Wikiが比較的忠実に事実を再現しているかと思われるのだが・・・



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%AB


◆ハメルらは遭難の後の最初の数ヶ月は丁寧に取り扱われた。しかしながら、物珍しさが無くなるとすぐに、彼らは再び朝鮮が岸辺より遠ざけたい異国人となった。日本からのスパイに違いないという憶測が、このオランダ人達の運命に恐らく加わった。



◆ハメルは、彼らが明白な惨禍として被った、後の屈辱のいくらかについても記している。自由を求めて拒絶された彼らは、その地の習慣を厳守しなければならず、かくして朝鮮での幽囚の身となった。



◆朝鮮人が彼らの行動を制限し続けるつもりであることは、オランダ人にとって明白だった。現地の慣習に従えば、彼らは奴隷も同然だった。



◆耐えかねた一行のうちの2人が清の使節に日本への送還を直訴したことは、一行の待遇を悪化させた。



◆時に給与が滞ったときには物乞いをして命を繋ぐこともあった。1659年(孝宗9年)には熱病の流行で一行より多くの死者を出し、1660年(顕宗元年)から1663年(顕宗3年)の飢饉で、全羅兵営が彼らを養いきれなくなった後には、全羅左水営、順天、南原に分散されてしまった。厄介者であった彼らに対して、朝鮮は次第に注意を払わなくなり、彼らは時に綿花の交易のため、周辺を航海することもあった。そしてそれが、後の脱出に繋がることになった。

◆1666年、彼らが囚われてから13年後、ハメルを含む8名が脱出に成功した。彼らはどうにか小船を奪い、オランダとは友好関係にあった江戸時代の日本、現在の長崎県の五島列島に辿り着いた。五島淡路守盛勝は彼らを保護し、オランダ商館のある長崎湾の人工島・出島へ送った。長崎奉行はハメルらをオランダ商館に預け、朝鮮の事情や滞在中の生活について尋問した後に帰国を許可した。オランダ商館長ウィレム・ボルガーの依頼を受け、いまだ朝鮮に滞在している「デ・スペルウェール」号の生存者についても、宗氏を通じて日朝間で送還の交渉が行われ、朝鮮への残留を希望した1名を除く7名が、対馬を経由して日本へ送られ、オランダ商館に引き渡された。




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国王はこのような経緯を知らず、朝鮮側が捏造美化した「お話」を信じこんでいらっしゃるのか・・・・とふと思うのは、韓国にこのような建物があるからだ。



麗水市にあるヘンドリック・ハメル博物館

このような立派な博物館があるということは、これはハメルらオランダ人が朝鮮で餓死寸前にまで虐待され、朝鮮を脱出したオランダ人たちが日本に救われた、という話は歪曲されている、と考えるのが妥当であろう。

さればこそ、国王も韓国とオランダとの絆を示すオマージュとして
語られたのであろう。

だが事実は朝鮮によるオランダ人虐待であり、日本がオランダ人を救い祖国へ戻してやったのである。

オランダにあるハンメル像。

それにしても、訪日を直前の国王の韓国への熱いエール。
日韓の歴史そして、現在の韓国との日本の関係性をご存知の上で
発されたメッセージである。それを我々は腹に据えておきたい。

韓国は日本に虐げられたオランダの仲間。

日本は共通の敵。

オランダの歴史を見るに、徹底した有色人種蔑視でそれは

王室もそうである、というより王室が率先してそうであったのだが、

たかだか70年間でその体質が変わるわけもない


とすれば韓国人は日本を敵国として看做す同盟国として

準白人のランキングなのかもしれぬ。

先の大戦で、韓国人は日本人として戦っていたことは見事にスルー。

それからこれは、言うにはばかるがあくまでも「一説として」捕虜虐待他の

悪行には韓国人兵(当時は日本人)が多かったという・・・・・

いささか感情的な言い方でもあろうが、とりあえずそのような説も

あることも、国王はご存じないか・・・・あるいは晩餐会におけるスピーチに

網羅された知識からして、オランダ王室がもろもろを

ご存じないわけもなかろう、とも思うのだ。

承知で、事の真偽などうでもいい、正義など国益の前には煙、
あくまでも自国に有利な構造を作る。

オランダ王室にとっては造作も無いことである。
歴史の中でさんざん習熟している。


駆け足の拙文にて。

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左から右まで狂っている日本・犯罪者にお金をあげる・アホ馬鹿国家日本・北は永遠にほっとけ!

2014年11月01日 12時36分08秒 | 戦争

★ http://www.sankei.com/premium/news/141101/prm1411010017-n1.html 



【朝鮮半島ウオッチ】
拉致再協議 日本は騙されていないか、「徐大河」は本当に権限あるのか…愚弄?北の不自然対応に重大疑惑

協議に臨む北朝鮮の徐大河・特別調査委員長=28日午前9時26分、平壌(代表撮影)

「拉致解決、強い決意を最高指導部に伝えた」と日本政府が胸を張る拉致再調査協議だが、早くも北朝鮮側の対応に重大な疑惑が浮上した。軍服に星ひとつ(少将)を付けて現われ、秘密警察の国家安全保衛部副部長を名乗る徐大河・特別委員会委員長について、韓国の専門家が「少将で保衛部副部長はあり得ないこと」と指摘しているのだ。保衛部の現トップ、金元弘部長は星4つの大将で、金正恩体制初期の保衛部第1副部長だった禹東測氏(粛正か死亡で現在は行方不明)も大将だった。保衛部には副部長が複数とされるが通常は上将(星3つ)とされる。日本は騙されているのか?(久保田るり子)


「特別調査委員会」に実態はあるのか?

 疑惑を指摘したのは2005年に脱北するまで北朝鮮労働党の工作機関、統一戦線部幹部で、北朝鮮の権力機構の内情に詳しい張真晟氏だ。

 「国家安全保衛部に星ひとつの副部長などあり得ない。保衛部副部長は上将(星3つ)、局長が中将(星2つ)だ。少将は局長以下で幹部などではない。日本は北朝鮮側に騙され、愚弄されているのではないか。徐大河氏が、保衛部に所属しているかどうかについては私は確認できない」(張氏)と述べている。

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● そもそも、拉致被害者を返すからお金を寄こせと言うのが、犯罪者の論理と言うのが
  分かっていない。先の大戦で多くの人がなくなり、現在でも自殺者は
  3万人前後出ています。この人たちの命は何なのです?

● 西欧・例えばUSAの国民を拉致して、お金を寄こせという国はないでしょう。直ちに
  制裁と爆撃が待っています。これが普通の国です。

● お金をくれるのが当然と言うのが、日本が狂っている証拠です。すべての日本人が今の段階で
  洗脳されているのに、今更騙されているのでは?などと言うのは馬鹿に大の字が
  付こうと言うものです。初めからコケにされているのです。

● 拉致犯罪を推奨するような今の日本政府の態度だから、世界からお金を無心に来るのです。
  悪徳国家ほど得するのが、今の日本の政府や皇室の現状です。いったん立ち止まって
  考えましょう? 何故わずかな人の為に、犯罪者に何故お金を出すのです

 お金ではなく、くれるのは経済封鎖と爆弾の雨あられでしょう

● その意味では北朝鮮に強気のフリする自民党の関係者は、安倍さんも含めて、敵に塩を送る
  、殆どスパイモドキの輩です。

● テロやヤクザや詐欺国家に対処する原点を思い起こすのは、当然の事なのです。その意味では
  殆どの政治家は、反日連中と殆ど変りません。この国の行く末が心配です。
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反日説教強盗オランダに・項垂れる日本の象徴・皇室・国益優先出来ず・臆病では模範は示せず

2014年11月01日 11時45分41秒 | 戦争

★  以下 http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/1a6169b3873e87fd39d13c2dcb421ecc から転載


国王陛下のスピーチ

2014-10-31 | 歴史・政治



オランダ国王陛下の晩餐会におけるスピーチをめぐって、前の私の文章に関して、コメント欄でいささか論議になっていたので、参考までに国王のスピーチの全文を転載しておく。

ただ12月初旬に出す小説の校正中で、時間がないのでこれに対して
感想を述べる時間はない。

シンプルな英語でしかし格調高く、天皇陛下への礼は尽くしつつ、欠点のない見事な挨拶文である。

むろん、日蘭の政治と歴史に通暁したプロが作成、それにおそらく
文章の手練れが手を入れたと推察される。

心情的に謳い上げるところは謳い上げ、良い仕事をしている。

ただ内容に対しては、もう本当にたくさん言わせていただきたいことが
あるのだが・・・・たとえば歴史を述べるにしてもオランダが日本に
やって来たのは端的に侵略目的であった。


一事が万事で、残りの文言も全て自国の悪辣さは棚に上げ、あくまでも自らは善意の犠牲者の立場に据え、日本をさりげく「悪人」と規定、それも露骨ではなく優雅な手法で、なかなか外交的には立派な文章である。しかし感心してもいられない。加害者としての自らを棚に上げ、被害者として自己を位置づけ、賠償金を取りに来る国は他にもあるが

一端しか述べる時間がない。

いずれ改めて書くかもしれぬが。

追記

たとえば出島に関するこの記述。

Deshima was the place where we learnt each other's language and studied each other's science and culture.



嘘ではないが、事実の一端にしか触れず、日本侵略と奴隷化目的を腹に持っていた根っこはスルー、という華麗な技。



更に追記

出島入口に立てられた「制札」にいわく、




  禁 制

一、 傾城之外、女入事

出島には遊女以外の女性の出入りは禁止。



日本の遊女を抱いていたオランダ人が、韓国の尻馬に乗って慰安婦を問題にするとは笑止

遊女を選ぶオランダ人。



白馬事件は個人の事件で処刑含めて、処理済み。これをもって、日本がその件に関して潔白とは金輪際言わぬし、反省も必要だがそれをもってして、毎度毎度永久に外交の席で言われなばならぬ一件ではない。インドネシアではオランダ、お主たち何をしたか・・・・



いや書きたいが時間切れ。



更に追記 時間を細切れで見つけつつ・・・








1944年4月 軍司令部が4ヵ所の慰安所を閉鎖。 小田島董大佐の勧告による
1948年 オランダのバタヴィア臨時軍法会議にかけられる。 12名のうち11名が有罪、うち1名が死刑。
1990年 対日道義的債務基金(JES)設立。 総額2億5500万円をオランダ人女性に支払い始めた。
2001年 総額2億5500万円を支払い終わる。



これで決着。



韓国への妥協案で韓国に騙されて出された虚偽に満ちた河野談話を、オランダが引き合いに出すのは筋が違う。いつまでネチネチと言い続ける気か。



参考までに。



*1810年、オランダが皇帝ナポレオンの率いるフランスに併合され、翌11年にはバタヴィアがイギリスの占領下に置かれたため、1810年から3年間、出島には1隻のオランダ船も入港しなかった。この間、食料品などの必需品は、幕府が無償で提供し、長崎奉行は毎週2、3回、人を遣わして不足品があるかないかを問い合わせていた。その他の支払いについては、長崎会所の立て替えを受けてしのいでいたが、それでも文化9年(1812年)には、その総額が8万200両を超えた。この間、オランダ商館は商館長ドゥーフの所蔵している書籍を売るなどして財政難をしのいだ。その後、1815年にはネーデルランド王国が成立。つまりこの5年間、世界中でオランダ国旗がひるがえっていたのはここ出島だけだった。(Wiki)



救けられたことへの感謝無く、ひたすら被害者として責める手口もどこかと同じ。

要するに「たかが色付き人種」がインドネシアを開放したことに、恨み骨髄なのである。植民地は今オランダは小さな島しか持ってない。今現在もオンタイムでひしひしと感じる、欠落感と怨念であろう。しかも黄色い猿にしてやられた悔しさ。



オランダはインドネシアに謝罪と保障を十分にしたのだろうか?



女王陛下が「植民地支配はお互いに恩恵を与えた」と言い放つ国だから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://www.koninklijkhuis.nl/globale-paginas/taalrubrieken/english/speeches/speeches-archive/2014/oktober/speech-by-his-majesty-the-king-at-the-state-banquet-on-the-occasion-of-the-state-visit-to-their-majesties-the-emperor-and-empress-of-japan-tokyo/

Speech by His Majesty the King at the state banquet on the occasion of the State Visit to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan, Tokyo

29 oktober 2014

29 October 2014

Your Majesty,

It is a great pleasure for my wife and I to be here as your and Empress Michiko's guests. And we are all the more grateful that Crown Prince Naruhito and Princess Masako are here to welcome us too. I have visited your country on many occasions. But this is the first time that I am here as King of the Netherlands. Our first State Visit outside Europe is to your country. A country with which we share a unique history and - we are sure - a successful future.

Let me quote a haiku written in 1679 by the great poet Basho:

Oranda mo
Hana ni kinikeri
Uma ni kura

The Dutchmen too have
come to see the cherry blooms
Saddle my horse!

It is now autumn, not spring. Yet I wanted to bring this poem to mind. It recalls a time when the Dutch were the only Westerners permitted to enter your country.

For over 200 years, the Dutch trading post of Deshima was the only link between Japan and the West. A narrow bridge between two worlds - two civilisations. A bridge which carried not only spices, sugar, textiles and copper, but also books, instruments, artworks,
knowledge and ideas.

The city of Nagasaki deserves praise for the restoration of this historic site and the reconstruction of the bridge. I hope I'll get a chance to walk across it one day.

Deshima was the place where we learnt each other's language and studied each other's science and culture. An important role was played here by Japan's rangakusha, who studied Western learning through Dutch texts. In fact, a man who spoke Dutch - the renowned Fukuzawa Yukichi ­- graces your 10,000 yen notes to this day. It is fascinating to think that for so many years, Japan looked out at the Western world through a small Dutch window.

Your Majesty,
Even when Japan opened up to the rest of the world, the relationship between our countries remained close. For instance in the fields of medical science and water management. The Dutch engineer Johannis de Rijke is still famous in your country.

We realise, though, that even back then, Japan had a long tradition of hydraulic expertise. Deshima, for example, was an engineering triumph. An artificial island in the sea, built on piles, which survived many a typhoon.

We will not forget the history of our forefathers. Their hard work, their creativity, their achievements and their interaction shaped the world in which we now live. Their history will never be 'over'. Its fruits will remain with us - both the sweet and the bitter.

So we will not forget - cannot forget - the experiences of Dutch civilians and soldiers in the Second World War. The wounds inflicted in those years continue to overshadow many people's lives. Grief for the victims endures to this day. Memories of imprisonment, forced labour and humiliation have left scars on the lives of many.

The Japanese people, too, suffered terribly during the war, especially in the final phase, marked by such destructive violence.

Acknowledging the suffering of others provides a foundation for reconciliation. Many in Japan and the Netherlands have actively worked to foster such reconciliation, enabling new trust to grow.

For centuries, a tiny bridge only five metres wide was the only link between our two countries. Today, countless bridges of friendship and partnership connect Japan and the Netherlands. Across the seas, the skies and cyberspace.

Over 450 Japanese businesses are active in the Netherlands. They directly employ over 35,000 Dutch people. In turn, Dutch entrepreneurs and experts are contributing to economic advances in Japan.

We are working closely to find sustainable sources of energy. The Netherlands is also glad to be able to help rebuild the horticulture sector in Miyagi, one

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● インドネシア独立の時、オランダがのこのこと舞い戻ってきて、インドシナを再び植民地にすべく
  虐殺弾圧したのは歴史の常識ですが、ここまでしつこいとは改めて白人国家の醜悪さを
  見せつけられる思いです。それも王室が率先するとは、下から上まで腹黒いと
  言えます。

● 何故、彼らはこのように異常に腹黒いのでしょうか? ユダヤ人などが多いからでしょうか?
  ぜひとも知りたいものです。
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