このたびの 福島・新潟地方の豪雨による 洪水被害の報道の中で
大変興味深い 報道がありました
報道したテレビ局も 日時も 覚えていませんが
信濃川の支流の1つ刈谷田川の 越流堤と遊水地のことでした
NHKニュースのページに 同様の記事がありました
長くなりますが 以下に 引用します
水田を遊水地にして決壊防ぐ 8月3日 20時2分
新潟県を流れる川の中には、
7年前の新潟・福島豪雨の被害を教訓に、
今回は水田を遊水地として利用し、
増水した川の水を一時的に流し込む方法で
氾濫を防いだところもありました。
信濃川の支流の1つ刈谷田川は、
7年前の豪雨では見附市や現在の長岡市中之島で
堤防の6か所が決壊して 3人が死亡し、2500棟余りが水につかりました。
この教訓から新潟県は川が増水した際に、
水田を遊水地として利用し、一時的に川の水を流し込んで
氾濫や堤防の決壊を防ぐ方法を取る ことにしました。
このうち見附市では、
7年前に堤防が決壊した場所に近い川の両側の6か所を遊水地にし、
堤防の高さを周辺より2メートルから3メートル低くしました。
川の水を逃がす「越流堤」と呼ばれる低い堤防を造り、
川が増水したときはここから水田などに水を流し込む代わりに、
農家や地権者に対して 県が土地の価格の35%を
補償金として 支払う取り決めを結びました。
今回の豪雨では刈谷田川から流域の水田に水が流れ込み、
稲などが被害を受けましたが、
刈谷田川が「はんらん危険水位」に達することはなく、
新潟県は水田を利用した遊水地が功を奏したのではないかとしています。

遊水地として 水田を提供している農家の 矢沢嘉一郎さんは
「稲穂が出ていて 泥が付いた稲は 収穫は難しいと思う。
ほかの人の命を守ったと考えれば しかたがなく、
米はまた栽培すればよい」と話していました。
新潟県長岡地域振興局治水課の石本宜弥主任は
「整備事業の効果がうまく現れたと思う。
事業に協力してくれた農家の方に感謝したい」と話していました。
以上が引用です
私が 遊水地や 越流堤について 興味を持ったのは
富山和子さんの 『川はいきている』を 読んだからです
この件についても 以下に 引用を 載せます
出典 『http://d-munahaku.com/culture/kiyou/files/kiyou_100401/106-112.pdf』
江戸時代に武田信玄は、信玄堤(霞堤)を築いて
釜無川の氾濫から甲府盆地を守った。
加藤清正は、熊本平野に越流堤を築いて白川・菊池川を治めた。
二人の治水には共通点がある。
それは、河川の氾濫を封じ込めるのではなく、
溢れた水を分散して 地面に戻す方法である。
地面に戻すために堤と合わせて、森林や竹藪を整備し、水に逆らわず、
自然の性質を上手に利用したのが、信玄と清正の治水だ。
これらの生き生きとした川の営みを、
子どもから大人にまで見事に示したのが、
富山和子の『川は生きている』(講談社・青い鳥文庫)である。
【以上・引用】
この本を読んだのは 30年も前もことですが
こういう場所を 直接見てみたいものだと 思っていました
しかし なかなか実現はしませんでした
今回 遊水地について 調べていたら
身近にも 遊水地があることが分かりました
県内にも 遊水地があって 平常時は 公園などになっているそうです
少し涼しくなったら 行って 見てこようと思います
最後に この度の水害の被災者の方々に 心よりお見舞い申し上げます
大変興味深い 報道がありました
報道したテレビ局も 日時も 覚えていませんが
信濃川の支流の1つ刈谷田川の 越流堤と遊水地のことでした
NHKニュースのページに 同様の記事がありました
長くなりますが 以下に 引用します
水田を遊水地にして決壊防ぐ 8月3日 20時2分
新潟県を流れる川の中には、
7年前の新潟・福島豪雨の被害を教訓に、
今回は水田を遊水地として利用し、
増水した川の水を一時的に流し込む方法で
氾濫を防いだところもありました。
信濃川の支流の1つ刈谷田川は、
7年前の豪雨では見附市や現在の長岡市中之島で
堤防の6か所が決壊して 3人が死亡し、2500棟余りが水につかりました。
この教訓から新潟県は川が増水した際に、
水田を遊水地として利用し、一時的に川の水を流し込んで
氾濫や堤防の決壊を防ぐ方法を取る ことにしました。
このうち見附市では、
7年前に堤防が決壊した場所に近い川の両側の6か所を遊水地にし、
堤防の高さを周辺より2メートルから3メートル低くしました。
川の水を逃がす「越流堤」と呼ばれる低い堤防を造り、
川が増水したときはここから水田などに水を流し込む代わりに、
農家や地権者に対して 県が土地の価格の35%を
補償金として 支払う取り決めを結びました。
今回の豪雨では刈谷田川から流域の水田に水が流れ込み、
稲などが被害を受けましたが、
刈谷田川が「はんらん危険水位」に達することはなく、
新潟県は水田を利用した遊水地が功を奏したのではないかとしています。

遊水地として 水田を提供している農家の 矢沢嘉一郎さんは
「稲穂が出ていて 泥が付いた稲は 収穫は難しいと思う。
ほかの人の命を守ったと考えれば しかたがなく、
米はまた栽培すればよい」と話していました。
新潟県長岡地域振興局治水課の石本宜弥主任は
「整備事業の効果がうまく現れたと思う。
事業に協力してくれた農家の方に感謝したい」と話していました。
以上が引用です
私が 遊水地や 越流堤について 興味を持ったのは
富山和子さんの 『川はいきている』を 読んだからです
この件についても 以下に 引用を 載せます
出典 『http://d-munahaku.com/culture/kiyou/files/kiyou_100401/106-112.pdf』
江戸時代に武田信玄は、信玄堤(霞堤)を築いて
釜無川の氾濫から甲府盆地を守った。
加藤清正は、熊本平野に越流堤を築いて白川・菊池川を治めた。
二人の治水には共通点がある。
それは、河川の氾濫を封じ込めるのではなく、
溢れた水を分散して 地面に戻す方法である。
地面に戻すために堤と合わせて、森林や竹藪を整備し、水に逆らわず、
自然の性質を上手に利用したのが、信玄と清正の治水だ。
これらの生き生きとした川の営みを、
子どもから大人にまで見事に示したのが、
富山和子の『川は生きている』(講談社・青い鳥文庫)である。
【以上・引用】
この本を読んだのは 30年も前もことですが
こういう場所を 直接見てみたいものだと 思っていました
しかし なかなか実現はしませんでした
今回 遊水地について 調べていたら
身近にも 遊水地があることが分かりました
県内にも 遊水地があって 平常時は 公園などになっているそうです
少し涼しくなったら 行って 見てこようと思います
最後に この度の水害の被災者の方々に 心よりお見舞い申し上げます