旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

三徳山三仏寺

2009年08月10日 | 旅 歴史
 鳥取県東伯郡三朝町三徳にある三徳山三仏寺です。
 三徳山三仏寺(みとくさんさんぶつじ)は天台宗のお寺です。慶雲3年(706)に役(えん)の行者が白雲に乗って飛来して神窟を開き建物を投げ入れたことが創建と伝えられています。
 寺運が衰えていた三仏寺を、嘉祥2年(849)慈覚大師円仁が再興しました。釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊像を安置した事から「浄土院美徳山三仏寺」と命名したといわれています。
 三仏寺は古くから山岳信仰に密教を加味した修験道場の中心地でした。末法思想に対する恐怖心から平安貴族から寄進を受けました。源頼朝や足利尊氏などからも帰依を受け、歴代の鳥取藩主からも庇護を受け最盛期には38の堂宇があったそうです。
 崖(がけ)の岩屋に建てられた奥院の投入堂(なげいれどう)は平安時代の建築で、役の行者が法力により、お堂を投げ入れたことから「投入堂」と呼ばれるようになったそうです。
 投入堂は、日本最少の懸造りで、優美な姿が断崖に浮かんでいます。超一級の建築物で、国宝に指定されています。
 投入堂のほか国の重要文化財に指定されている文殊堂や地蔵堂、納経堂などの堂宇も険しい崖上に建っています。山全体が史跡名勝指定されています。
 登山事務所の前には入山できない旨の張り紙があったので、県道21号線沿いにある投入堂遥拝所から眺めました。

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風の丘資料館

2009年08月10日 | 旅 歴史
 鳥取県東伯郡琴浦町大字別所にある風の丘資料館です。
 風の丘資料館は鳥取県と韓国との交流の歴史を記念して造られた日韓友好交流公園「風の丘」の中にあります。道の駅「ポート赤碕」に隣接しています。
 文政2年(1819)に韓国を出航した商船が嵐で難破して琴浦町赤碕沖に漂着しました。鳥取藩は船長以下12名を保護して手厚くもてなして長崎まで送り届け、無事本国へ生還させました。
 また昭和38年(1963)釜山港を出航した漁船が故障で赤碕沖に漂着しました。乗組員8人は地元民の介助と募金等の援助により船体の修理を終え無事釜山港に帰還しました。
 これらの経緯等により、鳥取県赤碕町(平成16年(2004)東伯町と赤碕町は合併して琴浦町になりました)と韓国との交流及び情報発信拠点としてこの公園ができたそうです。韓国色豊かな建築物や石塔、石造モニュメントが日本海を見下ろしています。

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住雲寺

2009年08月10日 | 旅 歴史
 今日は鳥取県西伯郡大山町古御堂にある住雲寺を紹介します。
 仏通山(ぶっつうざん)住雲寺は建武元年(1334)に創建されました。隠岐の島に流された後醍醐天皇を名和長年が船上山に迎え、北条氏の鎌倉幕府と戦って勝利を収めた後醍醐天皇ゆかりのお寺です。
 天明6年(1786)の火事で焼失し、現在の建物は寛政3年(1791)に再建されたそうです。住雲寺は古御堂の鍋倉長者五郎太夫兼光の子の兼定が、父の冥福を願って建てたものだと伝えられています。
 住雲寺は別名「ふじ寺」と呼ばれ、境内には樹齢40数年のふじの大木が4本あります。ここにあるふじは花の房が六尺まで垂れ下がる「六尺フジ」という種類です。昭和36年(1961)埼玉県春日部市にある樹齢千年以上の六尺ふじの樹木から分けてもらった貴重なものだそうです。
 また住雲寺の敷地内で、弥生時代中期の大型建造物跡とみられる柱穴などの遺構が見つかりました。最大で直径1.2mで近くにある国内最大規模の妻木晩田遺跡(弥生時代後期の集落跡)の柱穴よりも大きいそうです。祭殿などの大型施設として使われていた可能性があるそうです。

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