鳥取県米子市内町にある後藤家住宅です。
後藤家住宅は米子城の外堀であった旧加茂川河口近くの京橋のたもとにあります。江戸時代に海運業を営み、藩の米や鉄の回漕の特権を与えられた回船問屋だったそうです。
明治初期には北側道路に面した敷地に数多くの蔵や付属建物があったそうですが、現在は母屋と一番蔵、二番蔵、味噌蔵が残されています。これらは国の重要文化財に指定されています。
「内町(うちまち)後藤」と呼ばれる後藤家は天文年間に石見国浜田(島根県)から移住し、鳥取藩の海運の中心地・米子で造船業と海運業を行う廻船問屋を営みました。川を隔て、約200m先には「灘町後藤」があります。
明治期には山陰地方初となる鉄道敷設の際、現在地へ米子駅を誘致することに大きく貢献したそうです。その功績により、「後藤駅」などと名前が残されているそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
後藤家住宅は米子城の外堀であった旧加茂川河口近くの京橋のたもとにあります。江戸時代に海運業を営み、藩の米や鉄の回漕の特権を与えられた回船問屋だったそうです。
明治初期には北側道路に面した敷地に数多くの蔵や付属建物があったそうですが、現在は母屋と一番蔵、二番蔵、味噌蔵が残されています。これらは国の重要文化財に指定されています。
「内町(うちまち)後藤」と呼ばれる後藤家は天文年間に石見国浜田(島根県)から移住し、鳥取藩の海運の中心地・米子で造船業と海運業を行う廻船問屋を営みました。川を隔て、約200m先には「灘町後藤」があります。
明治期には山陰地方初となる鉄道敷設の際、現在地へ米子駅を誘致することに大きく貢献したそうです。その功績により、「後藤駅」などと名前が残されているそうです。
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