旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

鶴林寺

2009年08月26日 | 旅 歴史
兵庫県加古川市加古川町北在家にある鶴林寺を紹介します。
 565年に、朝鮮から恵便という高僧が仏教を広めるため我が国へ来ました。 当時の我が国では、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏が対立していました。物部氏は、兵を出して恵便をとらえようとしましたが恵便はあちこちと逃げた末現在の鶴林寺のあたりに潜みました。 
 聖徳太子は、恵便に仏教の教えを受けようとはるばるこの地を訪れ付近の住民が建てた「木の丸殿」という丸太造りの御殿で教えを受けたということです。太子が16歳(589年)になったとき、秦川勝に命じて精舎を建立し刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが「鶴林寺」の始まりであると伝えられています。
 「播磨の法隆寺」と呼ばれる刀田山鶴林寺(かただやま かくりんじ)には堂塔16棟、国宝2、重要文化財18、県指定文化財10、市指定文化財16、計46件のほか、寺宝200余点があります。古くから「刀田の太子さん」と人々に親しまれ、鬼追い(1月8日)、太子会式(3月21日~23日)は 多くの人出でにぎわうということです。
 養老2年(718)、武蔵の大目「身人部春則」が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立しました。そして、天永3年(1112)に寺号を「鶴林寺」と名を改めています。太子堂はこの年に建てられたようです。太子信仰が高まり鎌倉・室町時代には、寺坊は30数ヶ坊、寺領2万5千石もあったといわれています。信長、秀吉による宗教弾圧で疲弊し、続く江戸時代の政策で8カ坊、117石に激減、明治維新の排仏棄釈で宝生院、浄心院、真光院の3カ寺だけとなっています。 

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高砂神社

2009年08月26日 | 旅 歴史
 高砂市高砂町東宮町にある高砂神社です。
 高砂神社は、社伝によれば神功皇后が外征のとき、大己貴命(おおむなちのみこと)の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎖護のために大己貴命を祭られたのが始まりだということです。
 「高砂やーこの浦舟に帆を上げてーー」で有名なおめでたい謡曲「高砂」で知られる由緒ある神社です。境内には縁結びの象徴として有名な「相生の松」があります。
 創建まもなく境内に生え出たのがこの相生の松だと伝えられています。根は一つで雄雌の幹が左右に分かれていたのでそれを見た人々が神木霊松などと称えていたところ、ある日、「尉と姥」の二神が現われて「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げられました。この時より人々により「相生の霊松」と呼ばれるようになりました。この松を前にして結婚式を挙げるようになったそうです。
 姫路城主本田忠政は相生の松の枯死を惜しみ三代目相生の松を継植しました。大正13年に天然記念物に指定されましたが昭和12年松食い虫に冒され、その幹だけ相生古霊松舎に名残をとどめています。

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播磨国分寺跡

2009年08月26日 | 旅 歴史
 姫路市にある播磨国分寺跡です。
 1432(永享4)年の地震で大破しましたが修理され、天正年間に焼失しました。慶長年間に再建、そして再び焼失しました。寛永16年(1639)に城主松平忠明に菩提所となる建物が与えられました。塔礎石だけが17個完全なかたちで残されています。一辺のサイズが9.3mとなっているため、そこから推測すれば高さ60m前後の七重塔が建てられていたのではないかと見られています。


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