旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

斑鳩寺

2009年08月24日 | 旅 歴史
 兵庫県揖保郡太子町鵤にある斑鳩寺(いかるがでら)を取り上げます。
 法隆寺の別院として播磨の国に建てられた寺です。1300年前頃、聖徳太子が御開創になった霊刹です。 昔は七堂伽藍、数十の坊庵がある壮大な寺でしたが450年前戦禍によって焼失しました。その後当山中興昌仙法師等により再建されました。
 仁王門を入ると、法隆寺夢殿を模して作られたという八角円堂の聖徳殿が建っています。寛文5年(1665)に再建された建物で、太子堂とも呼ばれています。会津飯盛山のさざえ堂とそっくりです。聖徳太子16才のとき、父の用明天皇の病気平癒を祈る聖徳太子を写した太子植髪像を祀っています。
 587年4月、用明天皇が新嘗大祭の最中に病気で倒れられました。16才の太子は飲食を絶って七日七夜の間、日夜を問わず柄香炉を捧げてその枕辺に立ち、常行三昧の行法を行い、父の病気平癒を祈ったそうです。植髪太子像はそのときの皇子の姿なのです。
 聖徳殿に対峙するように三重塔が建っています。永禄8年(1565)、赤松政秀の志願で再建された塔で、国の重要文化財に指定されています。輪柱には太子伝来の仏舎利が納められているそうです。
 講堂は、丈六の巨大な三体の座像を本尊として祀っています。ここも国の重要文化財に指定されています。中央に釈迦如来、向かって右手に薬師如来、左手に如意林観音を配しています。止利仏師一刀三礼の作と伝えられています。

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花岳寺

2009年08月24日 | 旅 歴史
 今日は兵庫県赤穂市加里屋にある花岳寺(かがくじ)を紹介します。
 この寺の門は、明治6年に廃城として撤去が決まった赤穂城の塩屋惣門を移築したものだそうです。大石邸長屋門とこの門は赤穂市内に残っている貴重な元禄以前の建物です。額の「臺雲山」(たいうんさん)は花岳寺の山号です。
 正面にある大きな松は、大石内蔵助の母・松樹院が亡くなったときに相生村の裏山から移植したものです。浅野家断絶後、赤穂を発つときに、この松の下でなごりを惜しんだことから「大石なごりの松」といわれています。残念なことに、昭和2年松喰い虫のため枯れ、今のは2代目です。 
 花岳寺は、浅野長直が常陸笠間藩から赤穂藩へ転封になった正保2年(1645)に、浅野家の菩提寺として建立しました。この寺の梵鐘は、2代藩主浅野長友が父長直のために鋳造したものです。
 元禄16年(1703)2月4日に義士たちが切腹した報が赤穂に届くと、町民たちは死を悼み悲しんで花岳寺の梵鐘をつきまくったといいます。それ以来この梵鐘からは音が出なくなり、「鳴らずの鐘」になったといいます。 


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