旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

経王寺

2009年08月30日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町下谷にある経王寺です。
 出石は、街道口や要衝に多くの寺院を配置しています。高櫓を設け、塀に狭間を穿った寺院が見られます。経王寺は京街道の丹波口の守りです。戦の時に砦の役割をもっているのです。
 経王寺は宝永3年(1706)に信州上田から移封された仙石氏の菩提寺でした。山門の左手にある鐘楼は城の隅櫓のような形をしており、弓や鉄砲を打ち出す挟間(ざま)があいています。
 経王寺はもとは真言宗のお寺だったそうです。約430年前に、この地を布教のために回ってきた僧の強化を受けて日蓮宗に改宗したそうです。
 4代藩主仙石久行(ひさゆき) の墓や藩士の墓があります。山門を入ると、直ぐ左手に樹齢80年程度の沙羅の木があります。初夏には花が咲き、この世の無常を伝えます。


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宗鏡寺

2009年08月30日 | 旅 歴史
 今日は兵庫県豊岡市出石町東篠にある宗鏡寺(すきょうじ)を紹介します。
 出石の町の東方にある入佐山のふもとに臨済宗大徳寺派の宗鏡寺があります。山名氏の菩提寺として明徳3年(1392)山名氏清によって創立されました。
 寺名は氏清の法号、宗鏡寺殿から名付けられたといわれています。山名氏滅亡後、寺は荒廃してしまいます。元和2年(1616)沢庵和尚が来住し、出石城主小出吉英に再興をすすめ、援助を得て再興しました。
 小出吉英は小出吉政の嫡男です。吉政とその父小出秀政は関ヶ原の合戦で西軍についてしまいました。しかし二男の小出秀家は東軍方につき活躍しました。
 その功を持って、秀政、吉政も許され、但馬出石の6万石の旧領を安堵された経緯がありました。秀政の死後、小出吉英が和泉岸和田を継ぎ、出石領は吉英の弟、小出吉親が別家として継ぐことになりました。
 その後、岸和田藩宗家の小出吉英が、但馬出石に移され、吉親は、丹波園部へ移り、園部藩を作りました。但馬出石の宗家はその後、無嗣断絶してしまいますが、園部藩の小出家は幕末まで続いたそうです。
 小出家無嗣断絶後、藤井系松平氏の松平忠周(ただちか)が入りました。忠周は将軍綱吉の側用人に抜擢され従四位に任ぜられたほどの人物でした。 

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