旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

因幡万葉歴史館

2009年08月17日 | 旅 歴史
 鳥取県鳥取市国府町町屋にある因幡万葉歴史館です。
 因幡万葉歴史館は奈良時代から平安時代に因幡国国府が置かれていた国府町に立地する大伴家持ら万葉集の歌人と、因幡国の歴史民俗文化に関する資料を展示しています。
 大伴家持ホールでは758年に因幡国司として当地に移住し、759年1月に万葉集の最後の歌を詠んだ大伴家持の生涯と芸術を紹介しています。
 また町内に残る古墳や石堂などの古代遺跡を原寸大の模型で再現したり、因幡の歴史や独特の文化を多くの展示品やマルチメディアを駆使して紹介しています。民俗展示室では因幡地方の民俗行事、一本角の「麒麟獅子舞」と「因幡の傘踊り」も紹介しています。

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池田家墓所

2009年08月17日 | 旅 歴史
 鳥取県鳥取市国府町奥谷宮下にある池田家墓所を取り上げてみます。
 史跡鳥取藩主池田家墓所は初代光仲(みつなか)から11代慶栄(よしたか)までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されています。現在、合わせて78基の墓碑が立ち並び、周囲には260基をこえる灯籠が家臣等により供えられています。
 玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、中央に初代光仲の墓所があります。3段に重ねた亀腹台石の上に「亀趺(きふ)」と呼ばれる神獣を象った台石を据え、鳥取市用瀬町から運ばれた石を加工した円頭扁平な墓標が立てられています。
 初代鳥取藩主池田光仲は寛永9年(1632)父・忠雄が死去し、わずか3歳で家督を継ぐこととなりました。幼少のために江戸藩邸に在住し、領国は荒尾氏を筆頭とする家老を中心とした側近に委ねられました。
 光仲が領国に初入国したのは慶安元年(1648)、藩主となって16年を経てからだったそうです。初入国以後は領国経営に力を入れ、慶安元年(1649)幕府に東照宮勧進を出願し、慶安3年(1650)鳥取東照宮(現:樗谿神社)を完成させています。
 承応元年(1652)には藩の実力者で米子城代・筆頭家老の荒尾但馬守成利に責問十余条を突き付けて罷免し、藩主の権力を強化しました。元禄6年(1693)脳卒中のため鳥取城にて死去。享年64歳でした。因幡国法美郡奥谷村に埋葬され、以後ここが鳥取藩主池田家墓所となりました。法号は興禅院殿俊翁義剛大居士。
 2代藩主綱清の墓碑のみ、時の将軍であった徳川綱吉の「生類憐れみの令」に配慮し亀趺がありません。各藩主の墓前には廟門・霊廟・回廊が築かれていたそうですが、明治以降老朽化のため撤去され現在はありません。

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福田家住宅

2009年08月17日 | 旅 歴史
 今日は鳥取県鳥取市紙子谷にある福田家住宅を紹介します。
 福田家住宅は江戸時代には庄屋をつとめた旧家で現在も人が住んでいます。建造年代は江戸初期と推定されていて、因幡地方の民家の伝統を伝える農家建築です。
 主屋は西面し、桁行17.8m、梁間9.8mの入母屋造りの茅葺です。後世に改造を受けていますが、主要部分は創建当初のものが比較的よく残っています。
 建築当初は三間取り構造で、土間に沿って建物の奥行いっぱいに広がる大広間を持っていたようです。県下に広く分布した三間取り広間型古民家の典型とされ、国の重要文化財に指定されています。

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