鳥取県鳥取市上町にある樗谿神社(おおちだにじんじゃ)を取り上げてみます。
樗谿神社(おうちだにじんじゃ)は慶安3年(1650)鳥取藩初代藩主池田光仲が、曽祖父である徳川家康(東照大権現)を祀るため、日光東照宮から分祀して創建したものです。古くは因幡の東照宮といわれていたそうです。
光仲はわずか3歳で藩主となりました。慶安元年(1649)に藩主となって初めてお国入りをしました。この際、藩主としての威厳を示すため、鳥取城下への東照宮勧進を幕府に願い出て許可されたのでした。
江戸時代初期の神社建築としては屈指のもので、石玉垣をめぐらした本殿、平唐門の中門、入母屋造の拝殿、幣殿ともに、国指定重要文化財となっています。本殿桁にある鷹の彫刻は、左甚五郎の作と伝えられています。
明治7年(1874)樗谿神社に改称され、池田忠継、忠雄、光仲が合祀されました。更に明治11年(1878)最後の藩主の慶徳も合祀されています。東照宮の中では小規模な方ですが、欅を白木のまま化粧材として使用し、桃山風の飾り金具を用いています。簡素ながらも気品に満ちた建物です。
鳥取県の無形民俗文化財である麒麟獅子舞は、樗谿神社を建立した際に、権現祭の神幸行列で行なわれたのが始まりといわれています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/

樗谿神社(おうちだにじんじゃ)は慶安3年(1650)鳥取藩初代藩主池田光仲が、曽祖父である徳川家康(東照大権現)を祀るため、日光東照宮から分祀して創建したものです。古くは因幡の東照宮といわれていたそうです。
光仲はわずか3歳で藩主となりました。慶安元年(1649)に藩主となって初めてお国入りをしました。この際、藩主としての威厳を示すため、鳥取城下への東照宮勧進を幕府に願い出て許可されたのでした。
江戸時代初期の神社建築としては屈指のもので、石玉垣をめぐらした本殿、平唐門の中門、入母屋造の拝殿、幣殿ともに、国指定重要文化財となっています。本殿桁にある鷹の彫刻は、左甚五郎の作と伝えられています。
明治7年(1874)樗谿神社に改称され、池田忠継、忠雄、光仲が合祀されました。更に明治11年(1878)最後の藩主の慶徳も合祀されています。東照宮の中では小規模な方ですが、欅を白木のまま化粧材として使用し、桃山風の飾り金具を用いています。簡素ながらも気品に満ちた建物です。
鳥取県の無形民俗文化財である麒麟獅子舞は、樗谿神社を建立した際に、権現祭の神幸行列で行なわれたのが始まりといわれています。

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