今日は姫路市本町にある姫路城を紹介します。
姫路城は、日本を代表する最も完成された城郭建築です。木造城郭建築群と石造りの城壁、白色の土塀から構成される構造が最もよく残っています。しかも、長い歴史の中で一度も戦や火災に巻き込まれることなく、現在にその姿を伝えているのです。
今日に見る姫路城の全容を整えたのは本多忠政だといわれています。元和4年(1618)長男忠刻とその室千姫(豊臣秀頼に嫁ぎ落城の際助けられた徳川秀忠の長女)のために、西の丸を整備して、現在の規模にしたということです。
姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333)ここに砦を築き、その子貞範が正平元年(1346)城を構えたことに始まりました。そして戦国期は領主は小寺氏が領主でした。小寺氏は天文14年(1545)御着城に移り姫路城は家老の黒田重隆に守らせました。
重隆の孫が黒田官兵衛孝高、後の黒田如水です。如水は早くから、信長、秀吉へ恭順の意を明らかにし、姫路城を秀吉に献じ自らは別の城に移りました。羽柴秀吉が天正8年(1580)西国攻略の際、如水の進言によりここを根拠地とし、翼9年3層の天守閣を完成させました。
天正8年(1580)秀吉が池田輝政、黒田孝高を普請奉行に任じ拡張工事を行ない。巨大な要塞にしました。羽柴秀長、木下家定と続き、関が原の役後、徳川家康の女婿池田輝政(52万石)が入封しました。池田氏は3代続きました。
池田氏が鳥取に転封となると、伊勢から本多氏が入城しました。本多忠政は今日に見る姫路城の全容を整えました。その後、城主は松平氏、榊原氏と変わり、寛永3年(1749)酒井忠恭が入城後は10代120年に渡って酒井氏が治め明治維新を迎えました。

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