旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

倭姫宮

2009年11月19日 | 旅 歴史
 三重県伊勢市楠部町にある倭姫宮(やまとひめのみや)です。
 倭姫宮は倉田山の一角にある内宮の別宮の一つです。天照大御神のご鎮座の地を伊勢と定めた倭姫命(やまとひめのみこと)を祀っています。原始の森の中に大正12年(1923)に創建されました。
 国が荒廃し、疫病が流行り、苦しむ民を見た崇神天皇は、皇女豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に託し、天照大御神を宮中から、大和の笠縫邑に祀ったのでした。
 倭姫命は、第11代垂仁天皇の皇女で、豊鋤入姫命に代わって、天照大御神の御杖代として大御神の安らかに鎮まる地をさがし求める旅に出たのです。
 伊勢の地へこられ「是の神風の伊勢の国は、常世の重浪の帰する国なり。傍国の可怜し国なり。是の国に居らむと欲ふ」と大神の言葉により、この五十鈴川上の宮に鎮座されたのでした。


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神宮美術館

2009年11月19日 | 旅 歴史
 今日は三重県伊勢市神田久志本町にある神宮美術館を紹介します。
 平成5年(1993)の第61回神宮式年遷宮を記念して創設された美術館です。寝殿造りや書院造りなど、日本古来の建築様式をふんだんに取り入れたものとなっています。
 美術館で収蔵、展示している作品は、文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員・重要無形文化財保持者の、当代を代表する美術・工芸家から神宮に献納されたものだそうです。
 今後も神宮崇敬の精神を伝えるという構想から、遷宮が行われる20年ごとに絵画・書・彫塑・工芸の多彩な秀作を収め、我が国の美術・工芸を残していくそうです。



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神宮徴古館

2009年11月18日 | 旅 歴史
 三重県伊勢市神田久志本町にある神宮徴古館です。
 神宮の「内宮」(皇大神宮)と「外宮」(豊受大神宮)の中間にあたる倉田山のふもとの広大な敷地に神宮徴古館が建っています。伊勢神宮の歴史と文化の総合博物館です。
 神宮の撤下御装束神宝をはじめ、神宮崇敬の歴史を物語る史料や日本文化の移り変わりを示す古文化財、近代絵画や工芸品の数々を展示しています。
 明治42年(1909)神宮徴古館は日本初の私立博物館として誕生しました。設計は赤坂離宮の設計者・片山東熊で煉瓦造に石貼仕上げとする端正な意匠のルネッサンス様式の建物です。昭和20年(1945)戦火をうけ、建物と収蔵品の大部分を惜しくも焼失しました。
 昭和28年(1953)第59回神宮式年遷宮を記念して復旧されました。花崗煉瓦石積の壁面はそのままにして、二階建に改装し、さらに昭和60年(1985)には新館もできました。平成10年に国の登録有形文化財となりました。



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小坡美術館

2009年11月18日 | 旅 歴史
 今日は三重県伊勢市宇治浦田にある小坡美術館を紹介します。
  伊勢市内宮前にある猿田彦神社の横から旧参宮街道沿いの牛谷坂を上ると白壁が美しい小坡美術館があります。明治から昭和期にかけて活躍した女流日本画家「伊藤小坡」の作品を展示する美術館です。
 小坡は明治10年(1877)猿田彦神社宮司宇治土公家に生まれました。このことから幼い頃から古典文学や茶の湯に親しみ古典的な女性の美しさを描き続けたようです。
 平成8年(1996)に小坡美術館はオープンしました。展示館内には猿田彦神社と伊勢に関わりのある文献も併せて公開しています。  



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猿田彦神社

2009年11月17日 | 旅 歴史
 三重県伊勢市宇治浦田町にある猿田彦神社です。
 伊勢神宮内宮のそばに「猿田彦神社」はあります。天孫降臨の際、神々の先頭に立ち道案内した記紀神話の神「猿田彦大神」を祀っています。社殿は平成9年(1997)に改修されています。
 天孫降臨の時、道に迷った神様の一行、行く手に立つ人物を怪しみ瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は天鈿目命(あめのうずめのみこと)をこの男の所に行かせたそうです。 
 「貴方はどなたか」と尋ねると、「皆さんを、案内して差し上げようとお待ちしているのです」と答えたのが「猿田彦命」だったのです。そして一行を神の国から、この世に導いたのでした。
 身の丈七尺と背が高く、鼻が天狗のように高く、キリリとした良い男、その為、日本書紀に「俳優神」「衢(ちまた)の神」と書かれ、皆に崇められてきました。
 口は輝き、目は三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)のようにてりかがやいていたそうです。猿田彦大神はこのことから天狗のモデルともいわれ、鉄腕アトムのお茶の水博士のモデルでもあるそうです。
 猿田彦命が天孫降臨の際、道案内役を務めたことから万時善い方へ導く、「みちひらきの大神」として広く崇敬されているそうです。方位除け、交通安全にも御利益があるそうです。
 猿田彦命の子孫の「大田命」[おおたのみこと]は五十鈴川の上流の霊域を献上し「伊勢神宮」を創建したと言うことです。更にその子孫の「宇治土公」[うじのつちきみ]は神宮の《玉串大内人》と言う特殊な職掌に任ぜられ、代々これに務めているそうです。


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おかげ横丁

2009年11月17日 | 旅 歴史
三重県伊勢市宇治中之切町にあるおかげ横丁です。
 土産物屋や味処などが軒を並べる一角には、伊勢路の明治初期の町並を復元した新しい名所・おかげ横丁もあります。
 約2700坪のこの横丁には、郷土料理が味わえる老舗や土産店など27棟、42店舗が軒を連ねています。「おかげ座」では、江戸時代に流行した「おかげ参り」を体感できるそうです。
 宝永4年(1707)に創業した「赤福」が中心になって「おはらい町」の中に平成5年7月に誕生させた横丁ということです。



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おはらい町

2009年11月16日 | 旅 歴史
 伊勢市宇治今在家町・宇治中之切町にあるおはらい町です。
 内宮の宇治橋から五十鈴川に沿って続く800mほどの通りが参宮街道である「おはらい町」です。明治以前は、宇治橋を渡った神苑の中にまで家並みが続いていたそうです。
 伊勢特有の切妻・妻入りの町並が続くこの「おはらい町」では、昔ながらの食事処やおみやげ物屋、銘菓の老舗、旅館が軒を連ねています。
 宇治橋前から赤福本店あたりまでは昔に戻ったように人力車も走っています。元の神宮司庁舎の神宮道場や神宮祭主の宿泊所であった祭主職舎「旧慶光院」などの歴史的建造物もあります。
 江戸時代、この町には「御師(おんし)」の館が立ち並んでいたそうです。御師とは全国津々浦々を回って伊勢信仰をひろめた権禰宜(ごんねぎ)たちのことで、全国に伊勢参宮ブームを巻き起こさせた人々です。
 はるばる伊勢を訪れた参宮客を自分の屋敷に泊め、神楽を奏し、お祓(はらい)して「お札」をあげてもてなしたそうです。ことから「おはらい町」といわれるようになったそうです。
 現在は伊勢に御師の館はありませんが、おはらい町の中に2カ所立派な門が残っているそうです。住時の繁栄がわかりそうです。


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伊勢神宮内宮(皇大神宮)

2009年11月16日 | 旅 歴史
 今日は三重県伊勢市宇治舘町にある伊勢神宮内宮(皇大神宮)を紹介します。
 皇大神宮は一般には内宮と呼ばれ、日本国民の大御親神(おおみおやがみ)と崇められる皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っている最高最大の大神宮です。
 第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)に伊勢の地に鎮座されたようです。大和朝廷の東国進出とも関係があるようです。
 幅の広い参道には玉砂利が敷きつめられ、樹齢数百年という杉がうっそうと繁っています。まさに神域といった感じです。神苑は外宮よりやや広くて約93万平方mあり神路山の麓、五十鈴川の右岸に位置しています。
 崇神天皇のとき、それまで皇居の中に祀られていた三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)をその神威を恐れて大和の笠縫邑に移すことにしたそうです。
 八咫鏡とは天照大神が天の岩戸に隠れたとき、石凝姥命が作ったという鏡です。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出したといわれています。のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれています。
 崇神天皇の次の第11代垂仁天皇の代に皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)を大神につけ鎮座にふさわしい土地を求めさせたのです。
 倭姫命は近江、美濃などを巡歴した後、伊勢の国に至り、そこに宮を建てたのが内宮のおこりです。宮津市大垣にある籠神社は伊勢神宮の元になったとされています。伊勢神宮はここから伊勢へ移されたので元伊勢籠神社といわれています。
 宮域内には神楽殿、東宝殿、 西宝殿、五丈殿、忌火屋殿(いんびやでん)、御酒(みさか)殿、内宮正殿、外幣(げへい)殿、風日祈宮などがあります。
 御手洗場(みたらし)、手水舎(てみずしゃ)、祓所(はらえど)、内御厩(うちのみうまや)、由貴御倉(ゆきのみくら)、御贄調舎、御稲御倉などもあります。広く美しい内宮神苑には季節の花が咲いています。
 宇治橋の外側と内側には高さ7.44mの大鳥居が立っています。外宮旧御正殿の棟持柱が用いられ、20年後には桑名の「七里の渡し」の神宮遥拝の鳥居となるのだそうです。
 宇治橋は長さ101.8m、巾8.42mあります。五十鈴川にかかり、俗界と聖界との掛け橋といわれ檜で造られています。内宮側の鳥居は、内宮旧御正殿の棟持柱が使われ更に20年後は鈴鹿峠の「関の追分け」の神宮遥拝の鳥居に使われるそうです。
 手水舎で清めて、表参道を進むと正面に第一鳥居があります。鳥居をすぎると右側には御手洗場があり、五十鈴川の清流が流れています。この石畳は元禄5年(1692)徳川綱吉の母、桂昌院が寄進したものだそうです。
 杉の大木に囲まれた参道の一番奥には広い30余段の石段があります。この上に正殿があります。板垣南御門に進むと、生絹の御幌(みとばり)がかけられている外玉垣南御門前で参拝できます。。
 正殿の後ろには東宝殿、 西宝殿があり、 この3つの殿舎を囲んで内側から端垣、 内玉垣、 外玉垣、 板垣が巡らされています。天照大御神が祀られいて、御神体は、三種の神器の一つ八咫鏡(やたのかがみ)です。
 正殿は外宮と同じく唯一神明造りと呼ばれる建築様式で南に面して建てられています。屋根は切り妻造りの平入で萱(かや)で葺いています。柱は堀立式の丸柱で地中に埋め建ててあり、素木造りで造られています。
 棟には鰹木が10本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)になっています。棟上に堅魚木(かつおぎ)をおき、妻の上にはV字型に千木を出しています。千木の先端は水平の内削ぎになっています。
 伊勢神宮では、20年に一度、正殿を引越しして建て替えます。これを式年遷宮といい神宮最大の神事になっています。現在の正殿の西隣に同じ広さの宮地があり、ここは式年遷宮御敷地と呼ばれ、平成25年に正殿が建て替えられる予定地です。

   第二の鳥居を過ぎ、内御厩(うちのみうまや)を過ぎると左手に入母屋造の神楽殿が見えます。「神楽殿」、「御饌(みけ)殿」、「御神札授与所」が並んで建っています。
 内宮・荒祭宮・風日祈宮の御札やお守り、神宮暦の授与、また、献金の申し込みや御神楽の奉奏・御饌の奉奠(ほうてん)や参拝記念の御朱印もこちらで扱っています。
 神楽殿を過ぎ御正宮に向かうとすぐ左に五丈殿があります。名前の由来は正面の長さからきています。雨天の時にここで御祓い(修祓)・大祓・遙拝など諸祭が行われます。
 御稲御倉は、御正宮より規模は小さいですが、唯一神明造りになっています。皇大神宮所管社で、 神宮新田から収穫した抜穂 (ぬいぼ) が納められ、 祭典の際はこの稲から大御饌が調進されます。
 御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)を祀っています。高床式建築で棟の両端を支える棟持柱があり、屋根は茅葺きで、千木がつけられています。棟の上には鰹木(かつおぎ)が並んでいます。
 正宮の西側の式年遷宮御敷地の手前左側に、御稲御倉があり、その奥に外幣殿があります。忌火屋殿の裏手にあたります。
 ここ外幣殿には、古神宝類がお納めしてあります。ここも高床式の建物です。規模は小さいのですが、左右一対の棟持柱、屋根の上の千木・鰹木など見ることができます。
 荒祭宮は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祀っていて、伊勢神宮の14の別宮の中でも第一に位置づけられています。
 荒御魂というのは、事にあたって動きを示す荒く猛々しい時の御魂をいうそうです。普通の時の御魂は和御魂(にぎみたま)というそうです。
  「荒祭宮」の前の石段には「踏まぬ石」といわれる石があります。石の割れ目が天の字に見えることから、天から降ってきた石といわれ、踏んではいけないということです。


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伊勢神宮外宮(豊受大神宮 )

2009年11月15日 | 旅 歴史
 三重県伊勢市豊川町にある伊勢神宮外宮(豊受大神宮 )です。
 高倉山の麓にある豊受大神宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀っています。天慶年間(938-947)頃から内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)といわれるようになったそうです。
 豊受大御神は天照大御神の御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌(みけ)、つまり神々への食物を調達し農業をはじめ諸産業をつかさどる神とされています。
  雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神の教えを受け、豊受大御神を丹波(たんば)の国に鎮座したそうです。内宮の伊勢鎮座の500年後にここ山田の原に遷されたそうです。
 宮域内には神楽殿、九丈殿、忌火屋殿(いんびやでん)、御酒(みさか)殿、斎館(さいかん)、外宮正殿(げくうしょうでん)、東宝殿、西宝殿、外幣(げへい)殿などがあり、正宮の南に風宮などの別宮が木々に包まれて建っています。東北隅にある御饌殿(みけでん)は内宮にはありません。
 外宮のつくりやお祭は内宮とほぼ同じですが、外宮の方が境内は一回り小さい感じです。 神様にお供えする御料米や衣服、野菜、果物、御塩、鮑などは神宮の御料地で神宮が直接その生産、調製をしているそうです。
 正殿は板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣をめぐらした斎庭に建てられています。内部には豊受大御神と御伴神(おとものかみ)3座が祀られているそうです。
 正殿は唯一神明造り(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれる建築様式で建てられています。一般神社の神明造りと区別されています。屋根は切り妻造りの平入で萱(かや)で葺いています。柱は掘立、全て直線的です。
 棟には鰹木が9本列び(内宮は10本です)、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)になっています。棟上に堅魚木(かつおぎ)をおき、妻の上にはV字型に千木(ちぎ)を出しています。千木の先端は内宮は水平なのに対し外宮では垂直に切られています。
 風宮は土宮の東方、向かい側にある外宮の別宮です。風の神、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀っています。農業に深い関係のある風と雨の順調をお祈りする。
 風宮ははじめは多賀宮へと続く参道沿いにあった小さな社だったそうです。弘安4年(1281)の元冦に際して蒙古の敵軍を全滅に至らしめた神威の発顕によって内宮の同じ御祭神をもつ風日祈宮とともに一躍別宮に加列されるようになったそうです。
 土宮は亀石の橋を渡ると右手に見えるお宮で、多賀宮への参道の右側にあります。 外宮の別宮で、外宮宮域の地主の神である大土御祖神(おおつちみおやのかみ)を祀っています。
 平安時代末期の崇徳天皇の大治3年〈1128〉に宮川治水、堤防の守護神として別宮に加列されたそうです。氾濫による被害が相次ぎ宮川堤防の守護神ということに重きが置かれたものと推察されます。その結果、祈年祭、月次祭、神嘗祭の際、官幣に預かることになったようです。
 多賀宮は小高い檜尾山上にある外宮第一の別宮です。98段の石階をのぼると檜尾山に南面して建っています。豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま)を祀っています。
 多賀宮と荒祭宮は各祭典とも正殿に引き続いて行なわれる格式が高い別宮です。正殿に続いて勅使が参向せられ、奉幣の御儀が行なわれるそうです。丘の上の高いところにお鎮まりになっていることから、明治以前は、高宮とも書かれたそうです。



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伊勢神宮

2009年11月15日 | 旅 歴史
 今日は三重県伊勢市にある伊勢神宮です。
 お伊勢さんと呼ばれて親しまれている伊勢神宮は正式には単に「神宮」といいます。豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)という二つの正宮からなっています。
 両社の間は約6km離れていて「外宮先祭」といって、外宮から参拝するのが習わしとなっているそうです。「神宮」にはそれぞれに別宮、摂社、末社、所管社があり大きな組織となっています。
 神宮は2千年前、皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおかみ)の御鎮座の地を求めて長旅に出て、伊勢に定めたのが始まりだといわれています。
 本来、皇室しか奉幣できませんでしたが、貴族や武士、さらには庶民も参拝できるようになりました。旅も自由にできなかった江戸時代に伊勢参宮は特別許可されたこともあり半年に500万人が訪れた事もあったそうです。



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夫婦岩

2009年11月14日 | 旅 歴史
 三重県伊勢市二見町江にある夫婦岩です。
 二見浦にある「夫婦岩」です。海食により大小二つの岩が形成された奇勝です。沖合700mの海中に沈むご神体「興玉神石(おきたましんせき)」の自然の鳥居を形造っているそうです。
 高さ9mの大きい岩を男岩、4mの小さい岩を女岩と称し、二つの岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は「結界の縄」と呼ばれ、神様達が寄る神聖な場所として俗世と区別されてきたそうです。
 この大注連縄長さ35m、重さ40kgあるそうです。鎌倉時代の後半である約650年前にはすでに張られいたそうです。現在も5月、9月、12月の年3回、大注連縄張り替えの神事が行なわれているそうです。
 二見興玉神社境内には猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(ふたみかえる)が多数奉納されています。禊の浜として二見浦に現れた白蛇、大蛇を鎮めるため献納されたそうです。
 これらの蛙は人々の暮らしの安全を加護した「無事カエル」や「若がえる」「貸した物がかえる」など縁起物として親しまれています。




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二見興玉神社

2009年11月13日 | 旅 歴史
 三重県伊勢市二見町江にある二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)です。
 二見興玉神社は二見浦の夫婦岩のそばに建っています。沖合いの海中に沈む神石を、夫婦岩を通して拝するための遥拝所が起源となっています。のちに僧の行基(ぎょうき)が建立したそうです。
 二見浦は一昔前までは伊勢神宮にお参りする人々が「清き渚」で身を清めて内宮、外宮へ向かった習わしのあった神聖な場所だったそうです。
 <縁結の歌碑>
 「お伊勢まいりに見そ免(め)た あなた むすぶ縁能(の)夫婦岩」
 二見浦の海岸沿いに建つ石碑です。

 倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおかみ)の御鎮座の地を求めてこの地を訪れた時あまりの美しさに二度も振り返ったとことから二見浦と呼ばれるようになったそうです。
 「みちひらき」の神、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀っています。また豊受大神とも称される宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)も祀っています。明治43年(1911)興玉社と三宮神社を合祀して現在の二見興玉神社という名称になったそうです。
 現在の社殿は平成8年(1996)に造営されたそうです。ご神体は海中にある興玉神石で、縁結び、夫婦円満、交通安全、海上守護、厄除け、開運招福の御神徳があるそうです。
 天の岩屋(あまのいわや)は表参道の右手にある岩窟で旧三宮神社の遺跡の跡です。日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられます。日の出に対し日の入り(お隠れ)になった処とされています。
 稲を司るといわれる宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)を祀っています。洞の入口に小祠と鳥居があります。


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ミキモト真珠島

2009年11月13日 | 旅 歴史

 今日は三重県鳥羽市鳥羽にあるミキモト真珠島を紹介します。
 島全体が真珠の博物館です。真珠王とよばれる御木元幸吉が世界で最初に真珠の養殖に成功した島なのです。真珠のすべてをあらゆる角度から紹介している「真珠博物館」などがあります。
 また「御木本幸吉記念館」には幸吉の波瀾に富んだ生涯と業績が、数多くの写真や実物、説明パネルによって、時代順に展示されています。また年間を通して海女の実演も見ることができます。
 御木元幸吉は鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男に生まれ、さまざまな商売を経験するなかで志摩の名産だった真珠の魅力に着目しました。
 「世界中の女性の首に真珠をつけさせよう」という強い信念で試行錯誤や失敗を繰り返し、明治26年(1893)に世界で初めて真珠養殖に成功したのでした。


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鳥羽水族館

2009年11月12日 | 旅 歴史
 三重県鳥羽市鳥羽にある鳥羽水族館です。
 昭和30年(1955)に日本で26番目の水族館としてオープンしています。ここには世界で唯一、人魚伝説のジュゴンをペアで飼育しています。
 社会教育施設として文部科学省の博物館の指定を受け学術研究にも努めています。スナメリの赤ちゃんが誕生したり、日本初のラッコ2世の誕生、そしてジュゴンの世界唯一飼育記録も更新中ということです。
 全面ガラス張りで海の底の気分が味わえるコーラルリーフダイビングゾーンや、アマゾンの一日を コンピューターで再現するジャングルワールドなど、見所いっぱい。
 館内は11のテーマにゾーン分けされ、順路を気にすることなく自由に観覧できるようになっています。850種もの海や川の生物が、自然を取り入れた環境とともに飼育されています。


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伊雑宮

2009年11月12日 | 旅 歴史
 今日は三重県志摩市磯部町上之郷にある伊雑宮(いざわのみや)を紹介します。
 伊雑宮は皇大神宮の別宮の一つです。昔、大神の遙宮(とおのみや)ともいわれ、志摩の国の大社として有名です。 
 伊勢神宮内宮の別宮の中でもとりわけ高い格式を誇っています。倭姫命(やまとひめのみこと)が志摩の国を巡られたとき伊佐波登美命に命じて造営されたとされています。
 崇神天皇の第3子、垂仁天皇は、「いま私の世に、天神地祇を祭司することを怠ることができようか」と述べられ、天照大神に倭姫をお付けになったそうです。  倭姫は大神の御魂を依り代柱にして常住するところを求め、大和の笠縫邑を出発しました。伊賀・近江・尾張の国々から北伊勢、南伊勢に行き滝原宮に鎮座したそうです。
 しかし、大神はここでは住み心地が悪いと倭姫に告げたので、五十鈴川の河口から川上の現在の宇治に鎮座したといわれています。
 皇大神宮の遥宮である伊雑宮は祭祀はすべて本宮に準じて行なわれているそうです。祭神の天照坐皇大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)を祀っています。
 神饌として米を奉納する為、「御田」(おみた)が隣接されています。ここで6月24日に行なわれる御田植祭は、日本三大御田植祭として有名です。平成2年(1990)国の重要無形文化財に指定されたそうです。




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