旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

安乗崎灯台

2009年11月11日 | 旅 歴史

 三重県志摩市可児町安乗にある安乗崎灯台(あのりざきとうだい)です。
 安乗崎は志摩半島の中央部に深く切れ込んだリアス式海岸です。的矢湾(まとやわん)の入り口に位置し、伊勢志摩国立公園の一部を成しています。
 ここは江戸幕府の燈明台が置かれていたところだそうです。明治5年(1872)に英国人技師ブライトンが設計した木造八角形の灯台が建てられたそうです。
 75年間海を守り続けた後、この灯台は東京の「船の科学館」に移されれたそうです。昭和22年(1947)現在の四角い灯台が新設されたのです。
 この灯台も映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になっています。眼下にせまる太平洋の海原と、真っ白で四角形の灯台、青い空とのコントラストがとても美しく感じました。
 安乗神社の祭礼に奉納する人形芝居として400年あまりの歴史と伝統を持つ民俗芸能「安乗文楽」があります。航海の幸運を神社に祈るために奉納芝居として上演されていたものです。国の重要無形民俗文化財に指定されています。




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大王埼灯台

2009年11月11日 | 旅 歴史
 今日は三重県志摩市大王町波切にある大王埼灯台を紹介します。
 志摩半島と熊野灘を二分するように突出する大王埼は陰礁、暗岩が散在しています。高さ8.4mの大王岩は「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と謡われたほどの海の難所だったそうです。
 大正時代に3000トンの巡洋艦「音羽」が大王岩に激突して座礁してしまう大惨事があり、その後8年かけて灯台が完成したそうです。
 大王埼灯台は「喜びも悲しみも幾年月」「君の名は」「浮草」「学校の怪談4」など数々の映画に登場する灯台です。また、この地は織田水軍の将、九鬼義隆が生まれた地としても知られ、「波切城跡地」としても知られています。



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琵琶湖

2009年11月10日 | 旅 歴史
 滋賀県にある琵琶湖です。
 琵琶湖を擁する滋賀県は、日本列島のほぼ中央に位置しています。四周を1000m級の山地に囲まれ人口130万人余り、面積が約4000K㎡の内陸県です。実に400万年以上の歴史を持つところなのです。
 琵琶湖は約670K㎡の水面積を持つ我が国最大の湖であるばかりでなく、バイカル湖やタンガニイカ湖などとともに世界でも有数の歴史を持つ古代湖として知られています。
流入河川は数多ありますが自然の排出河川は淀川一本というのも大きな特徴です。大津京、比叡山、渡岸寺、安土城、白髭神社、彦根城に代表される史跡の宝庫で、穏やかな気候に育まれた人と湖が共存した独自の文化を発達させてきました。


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百済寺

2009年11月10日 | 旅 歴史

 今日は滋賀県東近江市百済寺町にある百済寺(ひゃくさいじ)を紹介します。
 湖東三山の中で最も古い天台宗の寺です。推古天皇の頃、聖徳太子の勅願により御堂は百済の梵閣「龍雲寺」を模して建てられたと伝えられています。
 平安から室町時代にかけて巨大寺院として栄え、堂塔三百余坊を容し「天台別院」と称されました。しかし織田信長の焼き討ちなどでほとんどの建物が焼失しました。
 江戸時代に本堂、仁王門、山門等が再建されました。古仏や文化財が多く、本尊は秘仏の十一面観音。天下遠望の池泉回遊式庭園、千年菩提樹、春椿、弥勒石像も有名です。


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金剛輪寺

2009年11月09日 | 旅 歴史
 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺にある金剛輪寺です。
 湖東三山の一つ、金剛輪寺は聖武天皇の祈願寺として行基菩薩が天平13年(741年)に開かれました。
 本尊聖観世音菩薩は行基の作といわれています。
 彫刀途中に赤い血が出たことから、あら彫りのままの本尊は『生身の観音さま』と呼ばれています。
 鎌倉時代に建造の本堂は国宝に、三重の塔と二天門は重要文化財に指定されています。庭園は国指定名勝です。紅葉が美しく血のように紅く染まることから『血染めの楓』として知られています。
 本堂の大悲閣は元寇の役に際し、大祈祷を行った霊験に感謝して弘安11年(1288年)再興されたものです。代表的な鎌倉期建造物として国宝に指定されています。
 この辺りのお寺は織田信長の焼討ちにあった所が多くここも例外ではありませんでした。本堂、三重塔などは当山僧侶の働きにより、辛うじて焼失を免れ、その後、徳川家康の寄進を基に復興してきました。



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西明寺

2009年11月09日 | 旅 歴史
 今日は滋賀県犬上郡甲良町池寺にある西明寺(さいみょうじ)を紹介します。
 承和元年(834)に仁明天皇の勅願により三修上人により開かれた天台宗の寺院です。本堂は鎌倉時代の代表的建築物で国宝第1号に指定されました。
本尊の薬師如来を守護する十二神将は、それぞれの頭上に12支の干支の動物を乗せ、自分の生年の守り本尊とされます。
平安、鎌倉、室町の各時代を通じて祈願道場・修業道場として栄えましたが、織田信長により比叡山の直後に焼き討ちにあいました。
 湖東三山の一つです。本尊 薬師如来像、釈迦如来、不動明王と二童子、二天王の重要文化財の他、親鸞聖人自作と伝えられる 親鸞聖人像などの仏像が多数あります。
  庭園は江戸初期の有閑の作庭で国指定の名勝です。樹齢250年の不断桜が満開になる11月には紅葉も同時に楽しめます。




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多賀大社

2009年11月08日 | 旅 歴史
 滋賀県犬上郡多賀町大字多賀にある多賀大社です。
 母が病気の時に豊臣秀吉も祈願し叶ったという多賀大社です。門前に架かる太閤橋は秀吉の奉納で築造されました。
 伊勢神宮に祀られている天照大神の親である、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)が祀られています。
 「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」と歌われました。
 御祭神である伊邪那岐大神と伊邪那美大神がお互いに誘い合って行われた「国生み」の大業は我国の全ての源です。「縁結びの神様」として広く信仰されています。



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彦根城

2009年11月08日 | 旅 歴史
 今日は滋賀県彦根市金亀町にある彦根城を紹介します。
 江戸時代初期の元和8年(1622)、井伊直勝が琵琶湖北東岸の金亀山に、父・直政の意志を継いで完成させた城が彦根城です。
 直政は、慶長六年(1601)徳川家康から石田三成の近江国の旧領を与えられて佐和山城に入ったのですが、中世の山城で交通が不便なこともあり、新たに近世城郭の建設を構想しました。合戦時の鉄砲傷が原因で直政は慶長7年に死没し家老の木俣守勝の進言により、金亀山を最適地として同8年(9年説も)から築城を開始した。
 築城から城郭完成まで二十年の歳月をかけた大工事で幕府の総力をあげた国家的事業となりました。この時、天守は近くの京極高次の大津の城から移されたと伝えられます。
 西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城、太鼓門は石田三成の佐和山城からそれぞれ移築されたといわれています。 
 彦根城は築城から明治の廃藩置県まで、一度の領主替えもなく井伊氏十四代が在城し続けました。
 彦根城は、幕末の安政の大獄で有名な彦根藩十三代藩主である大老井伊直弼など、時代と共に幕府の中核となる人物を輩出しました。



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大洞弁財天 長寿院

2009年11月07日 | 旅 歴史
 彦根市古沢町にある大洞弁財天 長寿院です。
 彦根城の北東に位置し、鬼門除けとして建立されました。彦根日光といわれ、権現造りのお堂は内外塗装、極彩 色が施されています。これは藩主直興が日光の総普請奉行であった関係で本堂を日光東照宮に似た典型的な権現造りにしたのです。

 山門の扉が額縁となって彦根城が真正面 に見渡せます。楼門(二天門)は、日月の二神像を安置し、楼上には大黒天像四千体を安置しています。
 重要文化財の本堂は元禄9年(1696)竣工されました。内陣には6尺有余の大弁財天尊を祀ってあります。

 西国、秩父、阪東などの観音100カ所、諸国の仏社281カ所の土砂を取集して路石に埋めてあります。一度参拝すればそれらの地で巡礼したことになるといわれています。



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龍潭寺

2009年11月07日 | 旅 歴史
 今日は滋賀県彦根市古沢町にある龍潭寺(りょうたんじ)を紹介します。
 石田三成の居城があった佐和山の西麓に開運の「だるま寺」としても有名な井伊家の菩提寺、龍潭寺があります。
 井伊氏の始祖、共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行基によって遠江国(現静岡県)井伊谷に開基されました。臨済宗妙心派の寺院です。
 井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天が佐和山(232.5m)山麓に移築しました。むかしは全国有数の禅宗大学寮として栄えました。
 学僧の教科目に造園があり、学僧が実習として造った庭園が残っています。特に方丈南庭は白砂48の石を組んだ普陀落(ふだらく)の庭として有名です。
江戸時代初期に建立された方丈は、彦根にある数少ない方丈建築の1つだそうです。寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っています。 




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比叡山延暦寺

2009年11月06日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市坂本本町にある比叡山延暦寺です。
 杉木立にかこまれ、荘厳なたたずまいをみせる延暦寺は、かずかずの名僧を輩出した天台宗の総本山です。
 比叡山には延暦寺という名の建物はありません。比叡山そのものが延暦寺を表わしているのです。その寺域は広大で、標高848mの比叡山の山中に数百の建物があり、東塔・西塔・横川(よかわ)の三地域に分かれています。
 延暦7年(788)、京都の北東の鬼門にあたる比叡山の山頂に、唐へ留学した伝教大師最澄が帰国後、平安京鎮護のために一乗止観院という草庵を建てたのが始まりです。
 最澄没後の弘仁14年(823)嵯峨天皇より延暦寺の寺号を賜りました。円澄が西塔、円仁が横川を開き、東塔(根本中堂)と合わせて三塔が成立しました。
 数々の名僧を輩出しています。浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮、等もこの延暦寺で学びました。数多くの宗派の母なる寺院なのです。
 延暦寺の強大な力を恐れた織田信長は元亀2年(1571)全山を焼き討ちにしました。この時、延暦寺は根本中堂をはじめ大半の建物を失ったのです。
 その後豊臣秀吉や徳川家康らによって再建されました。家康の死後、天海僧正により江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺が建立されてからは、宗務の実権は江戸に移りました。
 東塔には、延暦寺の中心である国宝の根本中堂をはじめ、戒壇院、阿弥陀堂、山王院など主要伽藍が建ち、西塔には、法華堂、常行堂、釈迦堂など、横川には横川中堂、恵心堂などが静かに建ち並んでいます。
 根本中堂には「不滅の法灯」が1200年の間、輝きつづけています。平成6年(1994)12月「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産登録されました。


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三井寺

2009年11月06日 | 旅 歴史

 今日は滋賀県大津市園城寺町にある三井寺を紹介します。
 天台寺門宗の総本山である三井寺は正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。再三の兵火にあい焼失しました。豊臣・徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。
 平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、千百余年の歴史があります。
 天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)」の勅額を賜わり、「長等山園城寺」と称したのにはじまります。
 「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来しているからです。
 円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されたのです。
 その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師の教法は今日に伝えられています。
 この重要文化財の大門(仁王門)は宝徳4年(1452)滋賀県甲賀郡石部町の常楽寺に建てられました。のちに伏見城に移され、さらに慶長6年(1601)徳川家康の寄進によりここに移されたそうです。


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近江神宮

2009年11月05日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市神宮町にある近江神宮です。
 琵琶湖を見下ろす景勝地に20万平方メートルもの広大な境内を持つ近江神宮があります。大津京を造営した天智天皇を祀る神社です。
 昭和天皇が日本紀元2600年にあたる昭和15年(1940)に創建しました。天智天皇が667年に都を近江大津京に定めて、我が国の法律の源である近江令を制定したゆかりの地に建立したのです。
 石段を上りつめ堂々とした楼門をくぐると、正面に外拝殿、内拝殿、本殿が棟続きに建っています。
 近江造りという檜の素木、流造りの素朴で重厚な建築様式です。社殿は深い森に包まれており、荘源さが漂っています。
 天智天皇が我が国で初めて水時計を設け、時刻制度を確立されたことから、境内には世界の時計約3千点を集めた時計博物館もあります。
「秋の田の          
かりほの庵の苦をあらみ
わが衣手は露に濡れつつ」
       天智天皇 



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浮御堂

2009年11月05日 | 旅 歴史
 今日は滋賀県大津市本堅田にある浮御堂を紹介します。
 寺院名は臨済宗大徳寺派海門山満月寺(まんげつじ)といい、寺伝によれば、平安時代に恵心僧都源信(げんしん)(942-1017)が湖上安全と衆生救済のために、建立したとされています。
 源信自ら刻んだという1千体の阿弥陀仏を祀って、千仏閣とか千体仏堂と称したようです。ひたすら行に務め、毎日のように水想観(すいそうかん)を行ったといわれています。
 水想観というのは、紅白の蓮華(れんげ)が乱れ咲くといわれる西方浄土(さいほうじょうど)の池に思いをこらすものでした。
 源信が浮御堂でこの行を始めると、部屋の中いっぱいに水が湧き出て、それこそ浄土の池にいるような心境になったといわれています。
 現在の浮御堂は室戸台風による倒壊の後、昭和12年(1937)に再建されたものです。昭和57年(1982)にも修理が施され、往時の情緒をそのままに残しています。
 湖中に浮かぶ堂は、大津に数ある景勝地の中でも特にすばらしいものの1つであり、古くから絵画や詩歌にたくさん描かれています。
 近江八景の「堅田(かたた)の落雁(らくがん)」では、雁が列をなして冬の空を渡っていく姿を背景に浮御堂が美しく描かれ、多くの人々に深く愛されました。
 芭蕉の句が残されているほか、小林一茶・歌川広重・葛飾北斎らも詩歌や絵画を残しています。
「鎖(じょう)あけて
  月さし入れよ
       浮御堂」
          芭蕉
「湖も      
  この辺にして
      鳥渡る」
             高浜虚子      



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白鬚神社

2009年11月04日 | 旅 歴史
 今日から滋賀県に移ります。滋賀県高島市鵜川にある白鬚神社が最初です。
 近畿の厳島神社ともいわれる白鬚神社の朱塗りの大鳥居です。琵琶湖の湖面に建っています。白鬚神社は約2000年前の垂仁天皇の時代に再建されたといわれる近江最古の神社です。



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