フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月2日(金) 晴れ

2007-02-03 11:30:06 | Weblog
  午前、予約している近所の歯科医院でスケーリング(歯石や歯垢の除去)。昼から大学へ。「たかはし」のお弁当を食べながら、新学部の基礎演習のワーキンググループの会合。第3回の担当教員説明会(3月9日の予定)に向けて、詰めておかなくてはならないことがたくさんある。郵便局で古本(社会学研究会編『文化社会学』昭和7年)の代金を振り込み、あゆみ書房で以下の本を購入。

  田間泰子『「近代家族」とボディ・ポリティクス』(世界思想社)
  中西輝政編『「日本核武装」の論点』(PHP研究所)
  宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房)

  振り込みの領収証とあゆみ書房の領収証を事務所に持っていき、本日が締切の科研費での処理をお願いする。これで残額0のはずである。研究室に戻ってメールのチェックをしたら、一文の学務係のKさんから、「至急・採点簿提出のお願い」という件名のメールが届いていた。昨日の二文の学務係のMさんからの「学年末採点簿提出のお願い」と比べて、切迫感のある件名である。内容も、「2月6日までにご提出いただけると幸いです」といった締切の譲歩はなく、「至急ご提出くださいますようお願いいたします」と「至急」の連呼である。もしかすると、昨日のフィールドノートで、私が「まだ余裕がある」と書いたのがいけなかったのかもしれない。とりあえず一文の演習と二文の基礎演習、一文・二文合併科目「現代人の精神構造」の採点簿を作成し、事務所にもっていく。あと2科目は週明けの提出だ。
  夜、録画したままで未見だった先日の『N響アワー』を観る。「思い出の名演奏」ということで、テノール歌手のエルンスト・ヘフリガーが1992年に来日した際のリサイタルの映像が紹介されていた。日本の歌をドイツ語で歌うという試みだったが、最初の曲「この道」を聞いて、私はすぐに「ああ、そうだよ」と思い出した。当時、私はこの番組をTVで観たことがある。印象的な番組だった。彼が番組の中で唱った歌は以下の8曲(作曲者)。

  「この道」(山田耕筰)
  「待ちぼうけ」(山田耕筰)
  「ちんちん千鳥」(近衛秀麿)
  「朧月夜」(岡野貞一)
  「故郷」(岡野貞一)
  「雪の降る街を」(中田喜直)
  「花」(滝廉太郎)
  「荒城の月」(滝廉太郎)

  ふつう外国の声楽家が唱う外国語の歌の歌詞をわれわれは耳で聞いただけでは理解できない。愛する人を失った悲しみを唱った歌であるとか、恋のときめきを唱った歌であるとか、その程度の大まかな了解の下で、その歌唱を聴いているわけだ。しかし、今回は違う。ヘフリガーが情感たっぷりに唱うそのドイツ語の歌詞の意味を、いや、その向こう側にある「正確な訳」をわれわれは知っている(もし忘れていたとしても、画面の下には日本語の歌詞が出ているので、すぐに思い出す)。われわれはドイツ語の歌を聴きながらそれをわれわれの歌として了解する。これはとても新鮮な体験だ。そして改めて気づいたことがある。日本語の歌詞や古風なタイトルのせいでうっかりしやすいが、これらの曲はもともと西洋的な曲なのだ。ハイカラな曲なのだ。ちょうど浅井忠や黒田清輝が日本の風景や日本人を描いた油絵が、日本画ではなく洋画であるように。ヘフリガーの繊細な表現はわれわれを魅了する。しかしそれは彼が日本人の感性を深く理解しているからというよりも、これらの曲が彼にとって理解しやすいもの、西洋的なものであるからだろう。Amazonで検索したら、このときの日本公演で唱った演目を収録した彼のCD(3枚)が去年の9月に復刊されていたので、購入することにした。