フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月12日(月) 晴れ

2007-02-13 00:37:32 | Weblog
  午前10時半、起床。朝食はソーセージ&エッグ、大根の味噌汁、御飯。連休最終日の今日は、外出はせず、一昨日購入した北杜夫『どくとるマンボウ回想記』を読んで過ごした。昼食は中村屋の中華饅頭(肉まんとあんまん)。夕食はハヤシライス。
  北杜夫は昭和2年(1927年)の生まれだから、私の母と同い年の79歳である。数年前に肺炎で入院して以来、めっきり体力が落ちたそうで、それに加えて腰痛もひどく、杖がないと歩行も困難とのことである。入れ歯も具合も悪く、ものを噛むのもしんどいという。まるで晩年の私の父のようである。そんな彼が子ども時代から今日までのことを思い出すままに淡々と回想したのが本書である。彼には『どくとるマンボウ青春記』に代表される回想ものが多数あるが、本書はさながら回想の総集編ともいえる趣がある。中学生の頃からの読者としては残念というか、淋しいことだが、体力の低下のため、あるいは口述筆記なのだろうか、文章にハリがない。同じ話が何回か出てくる。北杜夫もいよいよ晩年を迎えたかという思いを深くする。もっとも彼は2001年に『マンボウ遺言状』(新潮社)という本を出していて、それからすでに6年が経過しようとしているわけなので、だまされてはいけないとも思う。
  最初に読んだ彼の作品は『どくとるマンボウ青春記』(1968年)だった。私が中学生の頃に出た作品で、同じクラスに北杜夫の信奉者がいて(その友人はいま東京理科大で教師をしている)、彼に勧められて読んだのである。北杜夫文学の特色である抒情性とユーモアがいかんなく発揮された傑作だと思う。それから私は遡って『どくとるマンボウ航海記』(1960年)や『どくとるマンボウ昆虫記』(1961年)を読んで、すっかり北杜夫のファンになった。本は小学生の頃からよく読んでいたが、個々の作品ではなく、特定の作家のファンになったのは北杜夫が最初であったと思う。大学3年の夏、ヨーロッパ旅行に出かけたとき、出版されたばかりの『木霊』(1975年)を機上で読んで感動し、予定を変更して、小説の舞台になっているドイツ(当時は西ドイツ)南部の街チュービンゲンを訪れたりした。しかし、その後は、『或る青春の日記』(1988年)と『どくとるマンボウ医局記』(1993年)を読んだくらいで、しだいに北杜夫の作品とは縁遠くなっていった。彼が躁鬱病ないし躁鬱性気質の作家であることは彼自身が公言している事実であるが、ある時期以降の彼の作品のほとんどは躁期に書かれたもので、読むに値する作品とは思えなかった。例外は「茂吉」4部作(『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『晩年茂吉』)で、これはいつかじっくりと読んでみたいと思っている。

  「わが人生をふり返ってみて、さして満足もしないが、それほど後悔するわけではない。なにより私が幸せだと思うのは、高校に入る頃から父をずっと尊敬し、これまた変わり者であった母をもまた好きであったことである。
  また好きな文学の道を歩いてきて、何とか暮らせたのもやはり幸せであったと言ってよかろう。さしてこれと言った仕事もできなかったが、それ以上を別に望むことは全くない。」(「序にかえて-わが人生」より)