午前9時、起床。朝食はベーコン&エッグ、トースト、紅茶。食後、フィールドノートの更新。盛岡の実家に帰省中の学生Kさんからメールが届いて、盛岡冷麺を食べられる店がラゾーナ川崎にあると教えてくれた。今日の昼食はそれにしようと決めた。昼食は要らないからと妻に言って、散歩に出る。土日のラゾーナ川崎は相変わらず混んでいる。目指す「ぴょんぴょん舎オンマーキッチン」は1Fのダイニングセクションと名付けられた13の飲食店が集まっているフロアー(個々の店は壁で仕切られておらず、ちょうど夏場の海の家のように個々の店の周辺にテーブルと椅子が配置されている)の中にあった。空席を探すのがまず一苦労で、ようやく見つけた空席に鞄を置いて、注文カウンターで冷麺を注文し、受付番号の書かれた札を受け取る。後から分かったのだが、このカードは無線が内蔵されていて、注文したものが出来上がるとブザーと光で教えてくれるシステムなのだ。だからそれまで席に座って待っていればよかったのだが、私はそれを知らなかったので、ずっとカウンターの付近で待機していた。鞄のことが気になって、ときどき席の方を見ていたら、若い女性2人組がやってきて、「ここ空いているのかしら」というような(声は聞こえないが)会話を交わしている。私は、「空いてないよ。鞄が置いてあるでしょ」とテレパシーを彼女たちが送り続けたが、その甲斐もなく、2人は「この鞄の持ち主はどこにいるのかしら」というふうに周囲をキョロキョロ見渡した後に、私の鞄を椅子の上から取り上げ、床の上に置いて、椅子に座ってしまった。見かけは美しいが、ひどい女たちだ。私は彼女たちのところへ行き、「あれっ?」という表情(都会というところはきびしいな~)を作りながら、床の上に置かれた私の可哀相な鞄を拾い上げた。そのとき彼女たちは顔を見合わせて、「あらっ」という顔をしながら首をすくめた。「よかったな君たち」と私は心の中で呟いた、「私が興信所の人間じゃなくて。もし私が興信所の人間だったら、君たちの縁談は間違いなく破談になるところだぜ」。ほどなくして注文した盛岡冷麺ができてきた。私はトレーに盛岡冷麺を載せ、しばしの放浪の後、空席を見つけ、相席の3人家族の幼児(両親は注文した料理が出来上がるのを私同様カウンターの付近で待っている)に見つめられながら、そそくさと食事をすませた。盛岡冷麺はたぶん美味しかったのだと思うが、あまりよく覚えていない。
丸善で買物。ここに来ると本よりもまず文具のコーナーに行く。今日は鉛筆コーナーで立ち止まった。自宅で本を読みながら、傍線を引いたり、余白にメモをするとき、私は鉛筆を使う(外ではシャープペンを使うが、それは鉛筆削りが使えないためだ)。シャープペンよりも鉛筆を好むのは、木の温もりと、柔らかな書き心地(使っていると芯が丸味を帯びてくる)がいいからだ。愛用しているのは伊東屋オリジナルのイートンペンシル(60円)で、デザインが洗練されている上に、よく消える消しゴムが軸に付いている。ただ一つ、残念なことは、硬度がHB相当一種類しかないことだ。鉛筆の硬度はH(hard)とB(black)の記号で表示されているが、HBはHとBの中間の硬度で、一番よく出回っている。しかし、私はHBとHの中間のFが好みなのである。好みというものを合理的に説明することは難しいが、HとBで構成されている硬度の尺度に、ポツンと異邦人のように紛れ込んでいるF(firm)に心惹かれるのかもしれないし、「F」というアルファベット(その形状と発音)が好きなのかもしれない。というわけで、三菱鉛筆のユニ(90円)とハイユニ(140円)、トンボ鉛筆のモノ(90円)とモノ100(140円)、ドイツのSTAEDTLER(150円)、同じくFABER-CASTELL(140円)の計6本(すべてF)を購入。ついでに三菱の「消せる赤鉛筆」と「消せる青鉛筆」(各150円)も購入。思えば、高級鉛筆ブームが起こったのは私が小学生のときであった。まずユニとモノが発売され、ほどなくしてハイユニとモノ100が発売された。それまで鉛筆というものは1ダース単位で箱で買う物であったが、これらの高級鉛筆は1本、2本とばら売りで買うことしかできなかった。筆箱にはたくさんの鉛筆が入っていたが、そのうちの1本だけが高級鉛筆で他は普通の鉛筆だった。全部を高級鉛筆で揃えていたのは不動産業の社長の息子だけだった。子どもたちはユニ派とモノ派に分かれていたように記憶している。私はユニ派で、その小豆色のデザインに魅了されていた。ユニとハイユニのデザインの違いは、ハイユニに入っている一本の金色のリングにあったが、その輝きは、1970年代の消費社会の到来を予告するものであったと思う。
その昔、鉛筆の時代というものがあった
文具コーナーのレジで支払いを済ませてから、書籍の方へ回り、以下の本を購入。
北杜夫『どくとるマンボウ回想記』(日本経済新聞社)
E.M.フォスター『老年について』(みすず書房)
川本三郎『言葉のなかに風景が立ち上がる』(新潮社)
東海林さだお『パイナップルの丸かじり』(朝日新聞社)
小川洋子『物語の役割』(ちくまプリマー新書)
長友健二・長田美穂『アグネス・ラムのいた時代』(中公新書ラクレ)
小山龍介『タイムハック!』(東洋経済新報社)
原尻淳一・小山龍介『アイデアハック!』(東洋経済新報社)
丸善直営の「M&Cカフェ」で珈琲を飲みながら購入したばかりの本を読む。まず『パイナップルの丸かじり』を読み、次に『物語の役割』を読む。『物語の役割』は、昨日、現代人間論系の会合で安藤先生と会ったときに紹介された本であるが、ホロコースト文学の話が興味深かった。しばらくしたら小腹が空いてきたので(冷麺は消化がいいのだろう)、「えん」というお茶漬け専門の店で鯛茶漬けを食べる。それから蒲田に戻り、ルノアールでまた本を読んでから、帰宅。
夕食は豚肉の生姜焼き、茄子とベーコンの煮物、千枚漬け、ジャガイモと若布の味噌汁、御飯。夜更け、雨になるが、しばらくして上がる。
丸善で買物。ここに来ると本よりもまず文具のコーナーに行く。今日は鉛筆コーナーで立ち止まった。自宅で本を読みながら、傍線を引いたり、余白にメモをするとき、私は鉛筆を使う(外ではシャープペンを使うが、それは鉛筆削りが使えないためだ)。シャープペンよりも鉛筆を好むのは、木の温もりと、柔らかな書き心地(使っていると芯が丸味を帯びてくる)がいいからだ。愛用しているのは伊東屋オリジナルのイートンペンシル(60円)で、デザインが洗練されている上に、よく消える消しゴムが軸に付いている。ただ一つ、残念なことは、硬度がHB相当一種類しかないことだ。鉛筆の硬度はH(hard)とB(black)の記号で表示されているが、HBはHとBの中間の硬度で、一番よく出回っている。しかし、私はHBとHの中間のFが好みなのである。好みというものを合理的に説明することは難しいが、HとBで構成されている硬度の尺度に、ポツンと異邦人のように紛れ込んでいるF(firm)に心惹かれるのかもしれないし、「F」というアルファベット(その形状と発音)が好きなのかもしれない。というわけで、三菱鉛筆のユニ(90円)とハイユニ(140円)、トンボ鉛筆のモノ(90円)とモノ100(140円)、ドイツのSTAEDTLER(150円)、同じくFABER-CASTELL(140円)の計6本(すべてF)を購入。ついでに三菱の「消せる赤鉛筆」と「消せる青鉛筆」(各150円)も購入。思えば、高級鉛筆ブームが起こったのは私が小学生のときであった。まずユニとモノが発売され、ほどなくしてハイユニとモノ100が発売された。それまで鉛筆というものは1ダース単位で箱で買う物であったが、これらの高級鉛筆は1本、2本とばら売りで買うことしかできなかった。筆箱にはたくさんの鉛筆が入っていたが、そのうちの1本だけが高級鉛筆で他は普通の鉛筆だった。全部を高級鉛筆で揃えていたのは不動産業の社長の息子だけだった。子どもたちはユニ派とモノ派に分かれていたように記憶している。私はユニ派で、その小豆色のデザインに魅了されていた。ユニとハイユニのデザインの違いは、ハイユニに入っている一本の金色のリングにあったが、その輝きは、1970年代の消費社会の到来を予告するものであったと思う。
その昔、鉛筆の時代というものがあった
文具コーナーのレジで支払いを済ませてから、書籍の方へ回り、以下の本を購入。
北杜夫『どくとるマンボウ回想記』(日本経済新聞社)
E.M.フォスター『老年について』(みすず書房)
川本三郎『言葉のなかに風景が立ち上がる』(新潮社)
東海林さだお『パイナップルの丸かじり』(朝日新聞社)
小川洋子『物語の役割』(ちくまプリマー新書)
長友健二・長田美穂『アグネス・ラムのいた時代』(中公新書ラクレ)
小山龍介『タイムハック!』(東洋経済新報社)
原尻淳一・小山龍介『アイデアハック!』(東洋経済新報社)
丸善直営の「M&Cカフェ」で珈琲を飲みながら購入したばかりの本を読む。まず『パイナップルの丸かじり』を読み、次に『物語の役割』を読む。『物語の役割』は、昨日、現代人間論系の会合で安藤先生と会ったときに紹介された本であるが、ホロコースト文学の話が興味深かった。しばらくしたら小腹が空いてきたので(冷麺は消化がいいのだろう)、「えん」というお茶漬け専門の店で鯛茶漬けを食べる。それから蒲田に戻り、ルノアールでまた本を読んでから、帰宅。
夕食は豚肉の生姜焼き、茄子とベーコンの煮物、千枚漬け、ジャガイモと若布の味噌汁、御飯。夜更け、雨になるが、しばらくして上がる。