フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月26日(月) 晴れ

2007-02-27 09:26:45 | Weblog
  9時、起床。朝食はハム&レタス・トースト、紅茶。午前中に銀行と電気屋に用事があって出たついでに、くまざわ書店で以下の本を購入。

  伊園旬『ブレイクスルー・トライアル』(宝島社)
  海堂尊『螺鈿迷宮』(角川書店)
  『数字でみる日本の100年(改訂第5版)』(矢野恒太記念会)
  『論座』3月号

  『ブレイクスルー・トライアル』は現代版金庫破りといった話で、第5回(2007年)「このミステリーがすこい!」大賞受賞作。
  『螺鈿迷宮』は第4回『このミス』大賞受賞作家の新作。「螺鈿」(らでん)とは、オウムガイなどの貝殻の真珠色の部分を磨いて薄片にし、いろいろな形に切って漆器などの表面にはめ込み、あるいは貼り付けておく技法。
  『数字でみる日本の100年』は清水研究の資料として。
  『論座』3月号は、本田由紀さんの「苛烈化する『平成学歴社会』」を読みたかったのと、「『人文書』の復興を!」という特集テーマに惹かれて。
  帰宅して、昼食(テイクアウトの寿司)を食べてから、『論座』をパラパラと読む。本田さんは現代の「学歴社会」論を70~80年代の「学歴社会」論と比較して、①社会的競争から降りる人々の増加、②出身階層と社会的格差の関連への注目、③学卒後の若者の職業経歴の変化(非正社員や失業者や無業者の増加)の3点をあげた上で、もう一つ重要な点があるという。

  「現代においては、これまで競争のターゲットとされてきた学力・受験・学歴などにさらに付け加わる形で、別種の基準が新しい支配力をもつようになっている。それは、コミュニケーションスキルや意欲、創造性、問題解決能力など、感情や人格の深部に根ざすような曖昧で柔軟な諸能力-いわゆる「人間力」-である。このような能力の重要性は社会の至るところで主張されるようになっている。…(中略)…むろん、「人間力」などという概念そのものがあやしげなものであり、相対的に有利な社会集団が、「ゲームのルール」を自らにとって都合のよいものにするために打ち出した恣意的な選抜基準をそう名づけているにすぎない可能性があることについては、十分に注意する必要がある。このよくわからない基準を、あまり真に受けてそれに振り回されすぎてはならない。ただ少なくとも、「いまや学歴だけでは足りない」という感覚が、多くの人々に分け持たれるようになっていることだけは確かである。」(p.228)

  学歴のほかに資格が必要だと焚き付けられる。それだけでなく○○力が必要だと焚き付けられる(○○力は齋藤孝の十八番だが、最近では渡辺淳一の「鈍感力」なんていうのもある。それから「場の空気を読む」力なんていうのも盛んに言われている)。まさに現代の競争は総力戦である。かつて学歴で出世が決まると思われていたときには、出世できないことは、学歴という自己の社会的属性の一つに不備があったからだと解釈された。自己はそうやって自身を保護してきた。ところがさまざまな○○力が出世に影響を与えるとなると、出世できないことは自己の存在の全否定につながる。これが総力戦の厳しいところである。庄司薫が『狼なんかこわくない』(1971年)を書いたとき、そこに「若々しさのまっただ中で犬死にしないための方法序説」という副題をつけたが、いま、人間力という名の新たな狼を「こわくない」と言い切るための方法序説が必要とされている。