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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月7日(水) 薄曇り

2007-02-08 03:04:17 | Weblog
  8時半、起床。昨日はフィールドノートの更新をせずに寝たので(眠かったのだ)、目玉焼き、ソーセージ、紅茶、トーストの朝食を書斎でとりながら、フィールドノートの更新をする。竹山道雄・武藤光朗『知識人と狂信』(自由社、1971年)所収の武藤の論文「核脅威下の日本の自由」(1966年)を読む。おのずと清水幾太郎が1980年に雑誌『諸君』に発表して大きな話題となった論文「核の選択 日本よ国家たれ」と重ね合わせながら読むことになるわけだが、実に興味深い。清水の論文は、内容的には目新しいものではなく、ただ、それを書いたのが「あの清水幾太郎」であるというのがセンセーショナルだったのである。清水の論文に先立つこと14年、武藤の論文には清水の論文の土台となる論点がほぼすべて含まれているといってよい。清水の論文が革新陣営の知識人たちの非難の的となったのはその内容からして当然だが、保守陣営の知識人たちからも両手をあげて歓迎されたとは言い難かったのは、すでに自分たちが何度も言ってきたことを改めて言っているに過ぎないと彼らには思えたからだろう。
  昼食は外に食べに出る。喜多方ラーメンの「」でねぎラーメンを食べる。一方堂書林(古書店)で、以下の本を購入。

  谷崎精二『葛西善蔵と広津和郎』(春秋社、1972年)
  埴谷雄高『影絵の時代』(河出書房新社、1977年)
  山本夏彦『最後の波の音』(文藝春秋、2003年)

  一方堂書林は蒲田界隈では一番古参の小さな古本屋で、入口の平台の上はエロ本ばかりだが(これは小さな古本屋の典型的な商品配置である)、棚の本はちゃんとした古本である(新刊のリサイクル本ではない)。店主は老婦人で、シャキッとした感じの方である。3冊で3200円。
  シャノアールで珈琲を飲みながら、『知識人と狂信』所収の武藤の別の論文「知識人と政治」(1967年)を読む。知識人が政治的態度決定にいたる内面的過程と主体的根拠の問題を、ヤスパースとサルトルを比較しながら分析した論文で、これも興味深く読んだ。有隣堂で、高橋源一郎『ミヤザワケンジ・グレーテストヒット』(集英社)と『英辞郎』第三版(アルク)を購入。
  今夜は妻と娘がラーメンズの公演を観に行っているので、夕食は母と息子と3人で外に食べに出た。駅前の「しのだ鮨」に行く。大トロ、鯛、鰺、メジナ、コハダ、イクラ、穴子、かんぴょう巻…。帰宅して、風呂を浴び、武藤のまた別の論文「福祉国家と反抗的人間」(1968年)を読む。西ドイツの新左翼学生運動についての考察で、これまた非常に興味深かった。面白く読めるのは、私が武藤と見解を同じくするからではない。武藤の議論には肯ける点もあるし、首をかしげる点もある。にもかかわらず、武藤の論文が私にとって面白いのは、彼がそれぞれの論文で設定するテーマに私も関心があるからである。武藤の議論の展開に同伴しながら私もそのテーマについて考えてみようと思えるからである。
  深夜、ヒートアップした頭を『ハケンの品格』(録画)を観てクールダウンする。小松政夫がいい味を出している(たぶんギャクはアドリブに違いない)。