フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月23日(金) 小雨のち晴れ

2007-02-24 04:09:53 | Weblog
  7時、起床。朝食は鰺の干物、味噌汁、御飯。8時に家を出て、久しぶりにラッシュアワーの京浜東北線に乗って、大学へ。今日は文学部の入試である。8号館の200人の教室の試験監督を助手のK君と補助監督の学生4名で担当。補助監督への指示はK君がテキパキとやってくれたので、私はマイクで受験生への説明だけをしていればよかった。新しい建物なので机や空調の問題はなく、問題訂正などのトラブルもなく、体調の悪くなる受験生も出ず、粛々と、淡々と進む。昼食は「たかはし」の豚肉生姜焼き定食。英語と国語は1時間半なので、長く感じたが、最後の世界史は1時間なので、長くは感じなかった(受験生にはアッという間であったろう)。
  地下鉄の駅までの道は受験生たちと一緒になる。駅周辺はかなりの混雑なので、それに喉も渇いたので、シャノアールで一服していくことにする。受験生たちには喫茶店に入るという習慣はまだないようで、店内は空いていた。クリームソーダを注文。出されたお冷やには手を出さない。いまお冷やを飲んでしまったら、クリームソーダの最初の一口の美味しさが半減してしまう。ビールの最初の一口の旨さを味わうときと理屈は一緒である。ほどなくしてクリームソーダがテーブルに運ばれてきた。透明なグリーンとホワイトのコントラストが目に爽やかである。ストローをグラスに挿入するときの氷の音も耳に心地よい。まず一口。口腔と喉の粘膜をピリピリと刺激しながら、ソーダ水が胃の腑に落ちていく。「溜飲を下げる」という表現をここで使うのは明らかに誤用であるが、「胸がスッキリする」という意味ではつい使いたくなってしまう。この一口のために今日一日の労働があったのだと思えてくる。続いてもう一口。限界効用低減の法則により、最初の一口よりも快感のレベルは落ちるものの、乾いた砂地にオアシスの水が染み込んでいく感覚は持続している。ここで初めてパフェ・フロート系の飲食物に固有の大きな耳かきのような形をしたスプーンを使ってアイスクリームを口に運ぶ。クリームソーダにおけるアイスクリームの占める位置は、チャーシュー麺におけるチャーシューの位置に似ている。それは、どんなに激しく心惹かれるものがあったとしても、最初の一口からかぶりつくものではない。願望の充足の先送りこそ人間の願望のありかたの特徴である。まずはソーダ水を味わいながら、必然的に視野の中に入ってくるアイスクリームをことさら無視するような素振りをしてみせなくてはならない。最近のフロート系の飲食物にはソフトアイスが使われることが増えているように思えるが、クリームソーダは原則としてハードアイスである。だからすぐに溶け出したりはしない。だからといって、ソーダ水を全部飲んでしまってから、アイスクリームに取りかかるというのは、下品である。アイスクリームの身になって考えれば、「私は一体あなたの何?」ということになる。そこまで放って置いてはいけない。ソーダ水を二口。しかるのちにアイスクリームを一口。この呼吸というかタイミングが肝要である。クリームソーダは奥が深い。語るべきことがまだまだあるが、今日はここまでにしておこう。
  階下のあゆみブックスで、城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか』(光文社新書)と浅羽道明『右翼と左翼』(幻冬舎新書)を購入。前者は去年の9月に出た本でかなり売れているらしいことは知っていたが、あまり食指を動かされなかったので放って置いたのだが、昨日、本田由紀さんの論文を読んで、企業の人事コンサルタントの立場から書かれた本書は、企業の「〈やりがい〉の搾取」の戦略を知る上で有益かもしれないと考えて読んでみることにした。
  レジに並んでいると、同僚の長谷先生に声を掛けられ、地下鉄で一緒に帰る。先日の私のフィールドノート(「明日は休み?」の巻)を「カミさんと一緒に読んで大笑いしました」と言われる。よかった、長谷家の幸せのために貢献できて。いまシャノアールでクリームソーダを飲んでいてね、という話を振ってみたがのだが、長谷先生は胃弱の体質で医者から冷たいものは禁じられいるそうで、あまり関心を示してもらえなかった。いるんだ、世の中にはそういう人…。神様は彼からクリームソーダの快楽を奪った代わりに、映像の快楽を人一倍与え給うたわけだ。なんでもいま昔のTVドラマ(「ロンバケ」など)を一生懸命DVDで観ているとのこと。TVドラマを素材にした論文集を編集しているところなのだそうだ。映画好きな人にはありがちなことだが、長谷先生はTVドラマをほとんどみない。今回は15年ぶりくらいだというから驚く。楽しみとして観るのではなくて、研究対象として観ているわけだ。ちょうど文化人類学者が、異文化の社会に入っていって、「ふむ、ふむ、これが彼らのいうTVドラマというやつか…」といったまなざしで観ているわけである。私がときどきフィールドノートに書いているドラマ評などは、TVドラマ好きな人の気持ちを理解する上で、大変参考になるという。かわいげのないこと甚だしい。悪かったな、ミーハーで。でも、そんな彼も、『拝啓、父上様』は毎週面白く観ているそうだ。彼も私同様、倉本聰、山田太一のTVドラマに夢中になった世代なのだ。
  蒲田の有隣堂でしばらく立ち読みをして(何も買わなかった)、7時、帰宅。夕食はハンバーグ、コーンとレタスのサラダ、ベーコンと玉葱のスープ、御飯。今日は早起きで、一日立ちん坊だったので、疲れた。早々に寝ることにする。(だが、深夜、目が覚めて、このフィールドノートを書いている)。