月曜日は大学に出ない日なのだが、今日は昼休みに現代人間論系の説明会があるので、出かけていく。集まった学生は60人ほど。まあ、こんなものかな。論系全体、および4つのプログラムの説明が中心。私は関係構成論プログラムの説明を担当した(私自身は人間発達プログラムの所属だが、御子柴先生は外国、長田先生は所用で出席できないため)。説明会の時間(45分)はあっという間に終わった。できればもっと学生の質問を受け、できればマイクを使わず、身近に話がしたかった。今日配布した論系の教員の自己紹介シートには、メールアドレスや研究室の場所が書いてあるので、ぜひ気軽にアクセスしてほしい。
五郎八で食事(鴨せいろ)。あゆみブックスで、小玉武『「洋酒天国」とその時代』(筑摩書房)と田山花袋『温泉めぐり』(岩波文庫)を購入し、シャノアールで読む。自然主義文学の旗手、田山花袋は紀行文の名手でもあった。
「温泉というものはなつかしいものだ。長い旅に疲れて、何処かこの近所に静かに一夜二夜をゆっくり寝て行きたいと思う折りに、思いもかけずその近くに温泉を発見して、汽車から下りて一、二里を車または乗合馬車に揺られ、山裾の村に夕暮の烟の静かに靡(なび)いているのを見ながら、そこに今夜は静かにゆっくり湯に浸って寝ることができると思うほど、旅の興を惹くものはない。それがもし名山に近く、渓流またすぐれた潺湲(せんえん)を持っていて、一夜泊まるつもりの計画がつい二日三日に及ぶというようなことも偶にはあるが、そういう時には殊に嬉しい忘れ難い印象を残さずにはおかない。」(11頁)
私がしたくてできないものの一つがここにある。気ままなる旅というやつだ。花袋は若い頃から旅行癖があった、と自伝『東京の三十年』(岩波文庫)の中で書いている。
「私には孤独を好む性が昔からあった。いろいろな懊悩、いろいろな煩悶、そういうものに苦しめられると、私はいつもそれを振り切って旅へ出た。それにしても旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった。
百姓、土方、樵夫(きこり)、老婆、少女、そういうものはすべて私の師となり友となった。私は美しい世間を見た。またつらい世の中を見た。人間と人間との交際をも早く知ることが出来た。」(234-235頁)
そんな花袋であったが、結婚してからはそうそう気ままな旅に出るわけにはいかなくなった。職場(出版社)の窓から空を眺めては旅への憧れを募らせる日々となった(ところが幸運なことに『大日本地誌』の編纂の従事することになって、仕事がらみではあるが、再び旅に出られるようになったのである)。花袋でさえそうなのだから、普通の大人にとって気ままなる旅なんて夢のまた夢だ。フランスはあまりに遠いからせめて新しい背広を着てきままなる旅に出てみようかと萩原朔太郎は詠ったけれど、あれも結局は気ままなる旅への憧憬の詩であって、実際に出かけたわけじゃないのだろう。憧憬Aを憧憬Bに差し替えただけのことだ。曲がったことのない街角を曲がったら、それはもう旅なのですと、永六輔は言った。これならなんとかいけそうな気がする。たとえいきつけの食堂であっても、まだ注文したことのないメニューを注文したら、それはもう旅なのです。これはいま私が思いついた台詞。食い意地が張っているか。じゃあ、これはどうだろう。まだ一度も話しかけたことのない人に話しかけたら、それはもう旅なのです。ナンパか。
五郎八で食事(鴨せいろ)。あゆみブックスで、小玉武『「洋酒天国」とその時代』(筑摩書房)と田山花袋『温泉めぐり』(岩波文庫)を購入し、シャノアールで読む。自然主義文学の旗手、田山花袋は紀行文の名手でもあった。
「温泉というものはなつかしいものだ。長い旅に疲れて、何処かこの近所に静かに一夜二夜をゆっくり寝て行きたいと思う折りに、思いもかけずその近くに温泉を発見して、汽車から下りて一、二里を車または乗合馬車に揺られ、山裾の村に夕暮の烟の静かに靡(なび)いているのを見ながら、そこに今夜は静かにゆっくり湯に浸って寝ることができると思うほど、旅の興を惹くものはない。それがもし名山に近く、渓流またすぐれた潺湲(せんえん)を持っていて、一夜泊まるつもりの計画がつい二日三日に及ぶというようなことも偶にはあるが、そういう時には殊に嬉しい忘れ難い印象を残さずにはおかない。」(11頁)
私がしたくてできないものの一つがここにある。気ままなる旅というやつだ。花袋は若い頃から旅行癖があった、と自伝『東京の三十年』(岩波文庫)の中で書いている。
「私には孤独を好む性が昔からあった。いろいろな懊悩、いろいろな煩悶、そういうものに苦しめられると、私はいつもそれを振り切って旅へ出た。それにしても旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった。
百姓、土方、樵夫(きこり)、老婆、少女、そういうものはすべて私の師となり友となった。私は美しい世間を見た。またつらい世の中を見た。人間と人間との交際をも早く知ることが出来た。」(234-235頁)
そんな花袋であったが、結婚してからはそうそう気ままな旅に出るわけにはいかなくなった。職場(出版社)の窓から空を眺めては旅への憧れを募らせる日々となった(ところが幸運なことに『大日本地誌』の編纂の従事することになって、仕事がらみではあるが、再び旅に出られるようになったのである)。花袋でさえそうなのだから、普通の大人にとって気ままなる旅なんて夢のまた夢だ。フランスはあまりに遠いからせめて新しい背広を着てきままなる旅に出てみようかと萩原朔太郎は詠ったけれど、あれも結局は気ままなる旅への憧憬の詩であって、実際に出かけたわけじゃないのだろう。憧憬Aを憧憬Bに差し替えただけのことだ。曲がったことのない街角を曲がったら、それはもう旅なのですと、永六輔は言った。これならなんとかいけそうな気がする。たとえいきつけの食堂であっても、まだ注文したことのないメニューを注文したら、それはもう旅なのです。これはいま私が思いついた台詞。食い意地が張っているか。じゃあ、これはどうだろう。まだ一度も話しかけたことのない人に話しかけたら、それはもう旅なのです。ナンパか。