2限の社会学演習ⅠBはグループワーク。今度の日曜に鴨川セミナーハウスで研究発表の合宿がある。全員お尻に火がついている。手を放したらそのまま月まで飛んでいってしまいそうである。
「五郎八」で昼食(揚げ餅うどん)。5限の基礎演習の準備をすませてから、飯田橋ギンレイホールにピーター・ネス監督の『クジラとモーツァルト』(2004年)を観に行く。アスペルガー症候群(知的障害のない自閉症)の男女のラブストーリー。かつて『レインマン』でダスティン・ホフマンが自閉症の青年を演じ、近年ではTVドラマ『僕の生きる道』でも草剛が自閉症の青年を演じた。この2人に比べると、ジョシュ・バーネット演じる青年ドナルドはずいぶんと外向的である。ラダ・ミッチェル演じる美容師イザベラも滅茶苦茶明るく、行動的である。ときにパニック症状が出ることを除いたら、普通の男女のラブストーリーとそれほど変わらないのではなかろうか(誰だって恋に落ちているときは冷静沈着に振る舞えないだろ)。おそらくそれこそがこの映画のメッセージなのだろう。挿入歌が多用されていて、その歌詞の日本語訳が字幕で出るのだが、そのときどきの主人公の気持ちを代弁しずぎているように感じた。あれは余計なのではないかな。ちなみにタイトル(原題も同じ)の意味は、ハロウィンのときに、ドナルドがクジラの仮装をし、イザベラがモーツァルトの仮装をしたことに由来する。クジラとモーツァルト、なんとファンタジックな組み合わせだろう。
映画館を出て、東西線の飯田橋のホームで電車を待っていたら、道場親信さんとばったり会った。これから大学ですかと聞かれたので、いえ、今日は午前中から大学に出ているのですが、いまは散歩の時間なんですと答えた(映画の時間なんですとは言いにくかった)。いいですねえ、と道場さんは言った。
5限の基礎演習21は、前期は今日で終わりなので、夏休みの課題(レポート草稿4000字程度)と後期の授業のやり方について説明してから、一人ずつ、現時点で考えているレポートのテーマと、大学1年の最初の3ヵ月の感想を述べてもらった。27名中26名出席で、欠席の1名も、昨日、BBSにレポートのテーマをちゃんと書き込んでいるので、問題はない。わがクラスは一人の脱落者もなく夏休みを迎えることができた。無事これ名馬なり。OK牧場。
生協戸山店で以下の本を購入し、帰りの電車の中で読む。
ハリー・ハルトゥーニアン『近代による超克 戦後期日本の歴史・文化・共同体』上下(岩波書店)
ジグムント・バウマン『アイデンティティ』(日本経済評論社)
坂井昭裕・柏葉武秀編『現代倫理学』(ナカニシヤ出版)
ところが蒲田駅で降りるとき、読んでいた『近代による超克』の上巻以外の本を網棚に置き忘れてしまった。すぐに気付いて駅事務所に届け出る。帰宅して妻にそのことを話すと、誰かが持っていって古本屋に売り払ってしまうだろうと言う。私はそれはないだろうと言った。これは妻の性悪説に対して、私が性善説の立場に立っているからではない。私が網棚に置き忘れたのは、書店でくれた巾着タイプの白い(中身の見えない)ビニール袋に入った3冊の専門書である。週刊誌や漫画本が網棚に放置されているのとはわけが違う。前者は忘れ物であり、後者はゴミである。ゴミを持ち去るのは犯罪ではないが、忘れ物を持ち去るのは犯罪である。網棚に放置された週刊誌を回収して古本屋に売り払うのはプロの仕事である。プロは忘れ物を持ち去ったりはしないし、もし彼らが新刊本をいつもの取り引き相手の古本屋に持っていったらかえって怪しまれて今後の取り引きには応じてもらえなくなるであろう。経験的かつ論理的に考えてそうなるはずである。そして案の定、ほどなくして蒲田駅の職員から忘れ物が大船駅で回収されという連絡の電話が入った。大船駅で預かっているから17日までに取りに行ってくれと言う。しかしこの週末は学会やら合宿やらでその時間が取れそうにない。事情を言うと、蒲田駅で手続きをすれば着払いの宅急便で自宅に届けてもらえるという。それはありがたい。蒲田-大船間の往復運賃は1080円である。宅配便の料金とさして違わない。時間をかけて(片道40分ほど)行くことを考えたら、絶対に宅配便の方が得である。明日、出がけに手続きをしよう。
「五郎八」で昼食(揚げ餅うどん)。5限の基礎演習の準備をすませてから、飯田橋ギンレイホールにピーター・ネス監督の『クジラとモーツァルト』(2004年)を観に行く。アスペルガー症候群(知的障害のない自閉症)の男女のラブストーリー。かつて『レインマン』でダスティン・ホフマンが自閉症の青年を演じ、近年ではTVドラマ『僕の生きる道』でも草剛が自閉症の青年を演じた。この2人に比べると、ジョシュ・バーネット演じる青年ドナルドはずいぶんと外向的である。ラダ・ミッチェル演じる美容師イザベラも滅茶苦茶明るく、行動的である。ときにパニック症状が出ることを除いたら、普通の男女のラブストーリーとそれほど変わらないのではなかろうか(誰だって恋に落ちているときは冷静沈着に振る舞えないだろ)。おそらくそれこそがこの映画のメッセージなのだろう。挿入歌が多用されていて、その歌詞の日本語訳が字幕で出るのだが、そのときどきの主人公の気持ちを代弁しずぎているように感じた。あれは余計なのではないかな。ちなみにタイトル(原題も同じ)の意味は、ハロウィンのときに、ドナルドがクジラの仮装をし、イザベラがモーツァルトの仮装をしたことに由来する。クジラとモーツァルト、なんとファンタジックな組み合わせだろう。
映画館を出て、東西線の飯田橋のホームで電車を待っていたら、道場親信さんとばったり会った。これから大学ですかと聞かれたので、いえ、今日は午前中から大学に出ているのですが、いまは散歩の時間なんですと答えた(映画の時間なんですとは言いにくかった)。いいですねえ、と道場さんは言った。
5限の基礎演習21は、前期は今日で終わりなので、夏休みの課題(レポート草稿4000字程度)と後期の授業のやり方について説明してから、一人ずつ、現時点で考えているレポートのテーマと、大学1年の最初の3ヵ月の感想を述べてもらった。27名中26名出席で、欠席の1名も、昨日、BBSにレポートのテーマをちゃんと書き込んでいるので、問題はない。わがクラスは一人の脱落者もなく夏休みを迎えることができた。無事これ名馬なり。OK牧場。
生協戸山店で以下の本を購入し、帰りの電車の中で読む。
ハリー・ハルトゥーニアン『近代による超克 戦後期日本の歴史・文化・共同体』上下(岩波書店)
ジグムント・バウマン『アイデンティティ』(日本経済評論社)
坂井昭裕・柏葉武秀編『現代倫理学』(ナカニシヤ出版)
ところが蒲田駅で降りるとき、読んでいた『近代による超克』の上巻以外の本を網棚に置き忘れてしまった。すぐに気付いて駅事務所に届け出る。帰宅して妻にそのことを話すと、誰かが持っていって古本屋に売り払ってしまうだろうと言う。私はそれはないだろうと言った。これは妻の性悪説に対して、私が性善説の立場に立っているからではない。私が網棚に置き忘れたのは、書店でくれた巾着タイプの白い(中身の見えない)ビニール袋に入った3冊の専門書である。週刊誌や漫画本が網棚に放置されているのとはわけが違う。前者は忘れ物であり、後者はゴミである。ゴミを持ち去るのは犯罪ではないが、忘れ物を持ち去るのは犯罪である。網棚に放置された週刊誌を回収して古本屋に売り払うのはプロの仕事である。プロは忘れ物を持ち去ったりはしないし、もし彼らが新刊本をいつもの取り引き相手の古本屋に持っていったらかえって怪しまれて今後の取り引きには応じてもらえなくなるであろう。経験的かつ論理的に考えてそうなるはずである。そして案の定、ほどなくして蒲田駅の職員から忘れ物が大船駅で回収されという連絡の電話が入った。大船駅で預かっているから17日までに取りに行ってくれと言う。しかしこの週末は学会やら合宿やらでその時間が取れそうにない。事情を言うと、蒲田駅で手続きをすれば着払いの宅急便で自宅に届けてもらえるという。それはありがたい。蒲田-大船間の往復運賃は1080円である。宅配便の料金とさして違わない。時間をかけて(片道40分ほど)行くことを考えたら、絶対に宅配便の方が得である。明日、出がけに手続きをしよう。