フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月2日(日) 晴れ

2008-11-03 02:24:29 | Weblog
  午後、私が散歩に出ようとしていたときに、母が「昨夜の松茸ご飯は美味しかった」と言ったので、「あれはトルコ産なんだ。今度は国産のを買って来ようかな」と答えたら、びっくりしたような口調で、「そんなもったいないことをするもんじゃありませんよ」と言った。子どもを叱るような口調だ。妻は「買いたいならどうぞ」と言った。言い出したらきかないんだから、という調子で。愛人なら何と言うだろう。「・・・」。母とも妻とも違う第三の台詞を言いそうな気がするのだが、人生経験が乏しいので、それが何だかわからない。
  母とそんな会話をしているところへ、「なつ」が顔を見せた。母は「母猫が死んでひとりぼっちになってかわいそうに」と言ったが、なんのなんの、「なつ」は器量がよくて愛想もいいので、贔屓にしていくれている家が何軒かあって、律儀にというか要領よくというか、全部の家を回って歩いているのである。行く先々で何かもらっているようで、だからわれわれが食べ物を与えても申し訳程度にちょっと口をつけるだけのことがよくある。けれど今日はカリカリした粒状のキャットフードを与えたら、ペロリと平らげた。冬に向って体毛の密度が濃くなってきているようである。
  
         

  「テラス・ドルチェ」で昼食(炒飯と珈琲)をとりながら、持参したオースター『幻影の書』の続きを読む。オースターは抜群のストーリーテラーだが、文章の密度が濃いので、速くは読めないし、速く読む必要もない。文体を味わいながら、細部を楽しみながら、ストーリーを追う。こういう読書が一番いい。
  読書は季節に関係ないと思っているので、「読書の秋」というコピーには違和感がある。日没の時刻がだんだん早くなっても、会社や学校はいつもと同じ時計の時間で動いているわけだから、読書の時間が増えるものではないだろう。ただし「読書の秋」はピンとこなくても「秋の読書」ということであれば、わからないでもない。それはちょうど「秋のTVドラマ」というのと同じことだ。ちなみに今期は「風のガーデン」(木曜10時)と「流星の絆」(金曜10時)の2本だ(NHK土曜9時の「ジャッジ」はビデオに録っているがまだ観ていない)。
  商店街の電気屋の店先に人だかりができていて、なんだろうと思ったら、大きな液晶TVで秋の天皇賞をやっているところだった。白熱のレースだったようで、写真判定(ハナの差2センチ)で武豊騎乗のウォッカが勝った。(夜は巨人がラミレスのサヨナラHRで西武に勝って、対戦成績を1-1の五分に戻した。こちらも緊迫したいい試合だった。天皇賞も日本シリーズも「秋のスポーツ」に相応しい)。

         

  くまざわ書店で以下の本を購入し、「カフェ・ド・クリエ」で黒酢&ミックスベリーヨーグルトを飲む。

  野家啓一『物語の哲学』(岩波現代文庫)
  鶴見太郎『柳田国男入門』(角川選書)
  大沢真幸編『アキハバラ発<00年代>への問い』(岩波書店)