アメリカはインディアナポリス在住の日本人の女性からメールをいただく。このブログを愛読していただいているそうで、いろいろと感想を書いてくださったのだが、その中で、タイトルの一部になっている天気の記録が役に立ったいるというのがあって、「へぇ」と思った。どういうことかというと、ご主人の母親が大田区の鮫洲に住んでいるので、電話で話をするときの話題として(昨日はずいぶんと雨が降ったようですねとか)役に立つということなのだ。私が日々のブログのタイトルに天候のことを書くのは、深い意味があってのことではなく、それが日記というものの型であるからだ。「○月○日 晴れ」と記すことで、「書く」という行為がスムーズに始動するのである。ただし、たまに一歩も外へ出ずにカーテンを引いた書斎にずっと篭っている日もあり、そのときは天気の記憶がなく、「今日の天気はどうだった?」と妻に聞いたりすることもある。これからはちゃんと自分の目で確かめて書こうと思う。今日は「晴れ」と記したわけだが、「晴れ」の範囲は存外広い。雲ひとつないレベルから、雲が空の7、8割を占めているレベルまで、「晴れ」である(気象庁の定義でもそうだと思う)。たとえ雲が多くとも、青空の部分に太陽があれば、つまり地上に影ができれば、「晴れ」というのがわれわれの日頃の感覚であろう。
今日は「雲の多い晴れ」
2限の演習(現代社会のセラピー文化)は回を追うごとに演習らしくなっている。最初、手を挙げて発言する学生が少なかったので、もしかしらた肩を痛めているのかと心配したが、原因は整形外科的なものではなく心理的なものだったようで、今日の報告のテーマであった「自己啓発セミナー」のロジックで言えば、本来備わっている「発言力」が社会的抑圧の殻(「私は人前で話すのが苦手だから」という自己定義)を破って表出されるようになってきたということだ。演習の教室というのは一種の孵化器のようなものである。決して冷蔵庫のようなものであってはならない。
5限の大学院の特論(質的調査法)では、ライフストーリー・インタビューの最初のケース報告があった。最初ということで、報告の途中で私がいろいろと質問しつつ、これからのケース報告で心がけてほしい点を説明した。その結果、1ケースの報告に1時間以上かかったが、次回からは1ケース30分くらでいけるだろう。
池袋のシネマ・ロサで『イキガミ』を観た。国家繁栄維持法というものがあって、小学校入学時に強制的に実施される注射に0.1%の割合で特殊な薬品が入っていて、それを接種された子供(ランダムに選ばれる)は18歳から24歳の間に死ぬことになる。これは国民が「死」を意識することを通して「生」の大切さを知ることを目的とするもので、この法律が実施されるようになってから、自殺率や犯罪率が低下したという。松田翔太演じる主人公の公務員は、24時間後に死が迫った対象者(本人はそのことを知らない)にその事実を通知する仕事をしている。24時間後の死(それもかなり理不尽な死)を知らされた人間がどういう行動に出るのかというのが見所になるわけだが、3人のケースから構成されていて、ミュージシャンの青年は、テレビの生放送の音楽番組で、本来歌うはずだったデビュー曲ではなく、売れないストリートミュージシャン時代に友人と歌っていた曲を歌う(その友人はTVでそれを見ていた)。引きこもりの青年は、選挙演説中の母親をピストルで撃とうして、一瞬ためらい(子ども時代の母との思い出が頭をかすめたのだ)、警官に射殺される。サラ金の取立て屋をしている青年は、子どもの頃の事故で盲目になった妹に自分の角膜を移植してもらえるように奔走する。一番感動的だったのは(私の感覚では)最初のケースで、二番目の話は説明不足に思え(つまり感動できず)、三番目の話は普通に「いい話」だった。オムニバス映画ではエピソードの選択とその配列が重要と思うが、この作品はそれがいまひとつだったように思う。面白くはあったが、記念にプログラムを買うほどではなかった。代わりに、映画館の近くの「池袋古書館」で、都築道夫『くわえ煙草で死にたい』(新潮文庫)と『萩原朔太郎』(ちくま日本文学全集)を購入。
今日は「雲の多い晴れ」
2限の演習(現代社会のセラピー文化)は回を追うごとに演習らしくなっている。最初、手を挙げて発言する学生が少なかったので、もしかしらた肩を痛めているのかと心配したが、原因は整形外科的なものではなく心理的なものだったようで、今日の報告のテーマであった「自己啓発セミナー」のロジックで言えば、本来備わっている「発言力」が社会的抑圧の殻(「私は人前で話すのが苦手だから」という自己定義)を破って表出されるようになってきたということだ。演習の教室というのは一種の孵化器のようなものである。決して冷蔵庫のようなものであってはならない。
5限の大学院の特論(質的調査法)では、ライフストーリー・インタビューの最初のケース報告があった。最初ということで、報告の途中で私がいろいろと質問しつつ、これからのケース報告で心がけてほしい点を説明した。その結果、1ケースの報告に1時間以上かかったが、次回からは1ケース30分くらでいけるだろう。
池袋のシネマ・ロサで『イキガミ』を観た。国家繁栄維持法というものがあって、小学校入学時に強制的に実施される注射に0.1%の割合で特殊な薬品が入っていて、それを接種された子供(ランダムに選ばれる)は18歳から24歳の間に死ぬことになる。これは国民が「死」を意識することを通して「生」の大切さを知ることを目的とするもので、この法律が実施されるようになってから、自殺率や犯罪率が低下したという。松田翔太演じる主人公の公務員は、24時間後に死が迫った対象者(本人はそのことを知らない)にその事実を通知する仕事をしている。24時間後の死(それもかなり理不尽な死)を知らされた人間がどういう行動に出るのかというのが見所になるわけだが、3人のケースから構成されていて、ミュージシャンの青年は、テレビの生放送の音楽番組で、本来歌うはずだったデビュー曲ではなく、売れないストリートミュージシャン時代に友人と歌っていた曲を歌う(その友人はTVでそれを見ていた)。引きこもりの青年は、選挙演説中の母親をピストルで撃とうして、一瞬ためらい(子ども時代の母との思い出が頭をかすめたのだ)、警官に射殺される。サラ金の取立て屋をしている青年は、子どもの頃の事故で盲目になった妹に自分の角膜を移植してもらえるように奔走する。一番感動的だったのは(私の感覚では)最初のケースで、二番目の話は説明不足に思え(つまり感動できず)、三番目の話は普通に「いい話」だった。オムニバス映画ではエピソードの選択とその配列が重要と思うが、この作品はそれがいまひとつだったように思う。面白くはあったが、記念にプログラムを買うほどではなかった。代わりに、映画館の近くの「池袋古書館」で、都築道夫『くわえ煙草で死にたい』(新潮文庫)と『萩原朔太郎』(ちくま日本文学全集)を購入。