大会二日目午前の部は院生のAさんが発表する部会に出る。Aさんがトップバッターであったが、途中で貧血を起こして倒れてしまった。元々体調がいまひとつだったところに強い緊張が加わったせいだろう。救護室でしばらく安静にしていたら回復したので、部会に戻り、最後の報告者として再登場し、発表を完結させた。思わぬアクシデントだったが、あとから振り返って印象深い思い出になることだろう。指導教授として悔いが残るのは、Aさんを救護室まで背負って行こうとして背負ったはいいが、立ち上がれなかったことだ。しばらくジムでの筋トレを怠っているツケが回ったきたのである。たぶん無理をして立ち上がろうとしたらぎっくり腰になっていたであろう。師弟がぎっくり腰と貧血で一緒に倒れたらギネスブックものだろう。危ないところだった。
昼食はAさんと構内の生協食堂でとる。あれこれチョイスする方式だったので、鯖の味噌煮、肉野菜の中華炒め、けんちん汁、温泉卵、ポテトサラダ、ごはん。〆て750円は少々チョイスのし過ぎであったかもしれない。
食堂には久しぶりに会う顔がたくさんあった。会釈をされ、誰だかよくわからないままに会釈を返し、あとから「あっ!」と思い出す人もいた。歳月は人の見た目を変える。もちろんこれはお互い様で、私を見て、確信のないままに会釈をする人もいたことだろう。
午後は「若者」をテーマにしたシンポジウムに出る。ただし3時26分発の新幹線に乗らないとならないので、2人目の報告者が終る頃に退出する。仙台駅のホームで購入した牛肉弁当を大宮の手前で開き、上野に着くまでに食べ終わる。上野着は5時2分。京浜東北線に乗り換えて、王子まで行く。改札口で、待ち合わせたわけではないが、妻と母と合流する。同じ電車に乗っていたのだ。雨の中、北口から徒歩2分の場所にある劇場王子PIT北/区域で劇団獣の仕業第一回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生のための歌」を観る。定刻(6時)を5分ほど遅れて開演。
舞台は日本工学院の新校舎建設のための地上げで見慣れた街の風景が消失しつつある蒲田。7年前に池上線の雪谷にある高校を卒業した仲間たちが集まって地上げに抗議するデモを企てる。とはいっても、そうした社会的なテーマがこの作品のメイン・テーマではない。それはいわば作品の額縁で、作品そのものは高校生→大学生→社会人という人生の風景が大きく変化する時期を生きる若者たちの心象風景を描いたものである。何かを選び取ることは何かを断念することである。何かを忘れようと努めることは、逆にその何かにこだわり続けることである。未来に向って進もうとする意志と、過去の記憶の中に引きこもろうとする身体。停滞した時間の中で反復されるエピソードは、出口のない迷路のようで、息苦しいが、それでも、地下のネジ工場にも一条の光は射し込み、地上のタイヤ公園にも小さな花は咲く。ハッピーエンドというのとは違うが、未来への祈りをもって作品は終る。正方形の舞台の二辺を客席に向けた配置、オープニングの多数の役者によるダンスと台詞のパフォーマンス(卒業式の「よびかけ」とモダンダンスを掛け合わせたような)が斬新だった。照明や音楽や衣装にも工夫が見られた。劇場を出る客たちを見送る役者たちの整列の中にK君がいたので、「がんばったな」と声をかけた。
昼食はAさんと構内の生協食堂でとる。あれこれチョイスする方式だったので、鯖の味噌煮、肉野菜の中華炒め、けんちん汁、温泉卵、ポテトサラダ、ごはん。〆て750円は少々チョイスのし過ぎであったかもしれない。
食堂には久しぶりに会う顔がたくさんあった。会釈をされ、誰だかよくわからないままに会釈を返し、あとから「あっ!」と思い出す人もいた。歳月は人の見た目を変える。もちろんこれはお互い様で、私を見て、確信のないままに会釈をする人もいたことだろう。
午後は「若者」をテーマにしたシンポジウムに出る。ただし3時26分発の新幹線に乗らないとならないので、2人目の報告者が終る頃に退出する。仙台駅のホームで購入した牛肉弁当を大宮の手前で開き、上野に着くまでに食べ終わる。上野着は5時2分。京浜東北線に乗り換えて、王子まで行く。改札口で、待ち合わせたわけではないが、妻と母と合流する。同じ電車に乗っていたのだ。雨の中、北口から徒歩2分の場所にある劇場王子PIT北/区域で劇団獣の仕業第一回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生のための歌」を観る。定刻(6時)を5分ほど遅れて開演。
舞台は日本工学院の新校舎建設のための地上げで見慣れた街の風景が消失しつつある蒲田。7年前に池上線の雪谷にある高校を卒業した仲間たちが集まって地上げに抗議するデモを企てる。とはいっても、そうした社会的なテーマがこの作品のメイン・テーマではない。それはいわば作品の額縁で、作品そのものは高校生→大学生→社会人という人生の風景が大きく変化する時期を生きる若者たちの心象風景を描いたものである。何かを選び取ることは何かを断念することである。何かを忘れようと努めることは、逆にその何かにこだわり続けることである。未来に向って進もうとする意志と、過去の記憶の中に引きこもろうとする身体。停滞した時間の中で反復されるエピソードは、出口のない迷路のようで、息苦しいが、それでも、地下のネジ工場にも一条の光は射し込み、地上のタイヤ公園にも小さな花は咲く。ハッピーエンドというのとは違うが、未来への祈りをもって作品は終る。正方形の舞台の二辺を客席に向けた配置、オープニングの多数の役者によるダンスと台詞のパフォーマンス(卒業式の「よびかけ」とモダンダンスを掛け合わせたような)が斬新だった。照明や音楽や衣装にも工夫が見られた。劇場を出る客たちを見送る役者たちの整列の中にK君がいたので、「がんばったな」と声をかけた。