フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月12日(木) 晴れ

2012-01-13 02:12:12 | Weblog

  8時半、起床。ドライカレーの朝食。

 午前中は授業の準備。

 昼食は蒲田駅東口にある「三州家屋本店」でとる。昨夜、『孤独のグルメ』を観たせいで、煮魚定食が食べたくなったのである。今日の煮魚はこの店の名物である鯛のかぶと煮。大きな鯛の頭がドーンと出てくる。これで800円ですからね(単品だと580円)。煮汁がよく染みていて美味しい。美味しいだけでなく、かぶと煮をほじほじして食べるのは楽しい。「おっ、こんなことろにも肉が」「おっ、こんなところにプリプリのゼラチン質が」と、洞窟探検隊のようなわくわく感がある。ああ、美味しかった。

  大学のスロープを上りながら見上げると、低層棟の向うに建設中の新高層棟が少し見えてきた。これからどんどん高くなっていくのだろう。

  教務室で雑用を片付けていると、妻からメールで、母を連れて病院に行ったが、レントゲン検査の結果、手術をするには及ばない、あと二週間ほどバンドで固定しておきましょうということになったそうだ。それはよかった。

  6限は「ライスストーリーの社会学」。今日のテーマはロストジェネレーションのライフストーリー。学校を卒業して実社会に出るタイミングでバブル崩壊後の不況とぶつかってしまった世代をロストジェネレーションと呼ぶ。学校から労働市場へという移行はどの時代の若者も経験することであるが、そのときの市場の状況の良し悪しは、若者たちの人生に大きく影響する。運が悪かったといえばそれまでであるが、人間は生まれる時代を選ぶことができないかわりに、どのような時代にも適応して生きていける。最近よく耳にする若者の「コンサマトリー化」(未来にではなく、いま・ここの世界に満足を感じること)は、そうした適応現象の1つだといわれている。けれど、加藤周一によれば(『日本文学史序説』)、「いま・ここの世界」への関心(そして外側の世界への無関心)は日本人の土着の世界観の特徴である。最近の若者に限った話ではないのだ。過度の未来志向、すなわち現在の楽しみを犠牲にして、未来の目標の実現のために日々を生きるという生き方の方が日本文化の中では特殊なのである。その意味では、「コンサマトリー化」とは「日本の伝統への回帰」でもある。そんなことでは日本は国際社会の中で生き残れない・・・という社会的ダーウィニズムは開国以来折にふれて語られてきたことで、「日本の伝統への回帰」に歯止めをかけてきた外来の思想である。土着の思想(コンサマトリー化)と外来の思想(社会的ダーウィニズム)は、ライスストーリーの形態としては、幸福の物語と成功の物語として、ずっと近代日本人の人生の物語の二大テーマであった。

  8時半ごろ、大学を出る。お昼をしっかり食べたせいで、講義を終えても(7時45分)それほど空腹は感じない。大学の周りでは食事はせず、蒲田に着いてから、「喜多方ラーメン小法師」で葱ラーメン(味玉子を付ける)を食べる。

  深夜、録画しておいた(つもりが録画していなかったが、妻が録画してくれた)『最後から二番目の恋』の初回を観る。鎌倉が舞台というのがいい。これから毎週木曜日の夜が楽しみだ。