8持半、起床。マーボー豆腐、トースト、ホットミルクの朝食。
午前中は授業の準備。昼過ぎに家を出る。山田時計店で腕時計の電池を交換する。この前の電池交換もここでやってもらった。1年2ヶ月前のことである(ブログはこうしたことの検索に便利である)。通常、電池の寿命は2年くらいと聞いているが、時計そのものが古いので(使い始めて30年近くになる)電池の消耗が早いのだろうと思う。
電車に乗る前に「三州家本店」で昼食をとる。刺身定食+鳥豆腐を注文。刺身は鮪と鰤と鰆の盛り合わせ。鳥豆腐は鯛のかぶと煮と並ぶこの店の名物メニューで、鶏肉と葱の入った湯豆腐。じっくり煮込んだスープが美味しい。豆腐はポン酢で。『孤独のグルメ』を観た翌日というのは普段よりも外で食べる食事に意識的になる。ちゃんとしたものを食べよう、食べたいという気持ちが強くなる。
大学に着いて教務室で仕事。窓から見る空は本格的な冬の曇り空。明日は雪になるかもしれないという。東京に生まれて育った自分にとっては、雪は抒情の対象である。一冬に一度は雪の降る日がないとものたりない。
6限は講義「ライフストーリーの社会学」。来週はテストなので、講義としては最終回である。明治末期から大正時代にかけて成功(立身出世)の物語の機能不全(思うようにいかない人生を生きる人たちの増大)が起こり、それを補うものとして(家庭を舞台にした)幸福の物語が台頭した。「冷たく厳しい社会」と「暖かくやすらぎのある家族」という図式が定着した。幸福の物語は戦後も引き継がれ1960年代がそのピークであったかと思う。いま起こっていることは、幸福の物語の機能不全である。定職に就いて家庭をもってという幸福の物語の基盤の部分が不安定になってきている。普通の幸福が簡単に手に入らないものになってしまった。従来の幸福の物語の復活が期待される(たとえば「昭和レトロ」ブーム)一方で、幸福の物語の機能不全を補う新たな物語の台頭が望まれている。
それは、たとえば、擬似家族としての「仲間」を舞台(居場所)とする幸福の物語である。そうした物語はポピュラーカルチャーの作品の中には頻繁に登場する。授業では『ワンピース』を取り上げた(ルフィーたちとメリー号との別れのシーン)。そこでは「仲間」と「幸せ」という言葉が盛んに使われ、かつ二つの言葉は「みんなと一緒にいられて幸せだった」というふうに結びついていた。仲間のいる幸福。仲間であることの幸福。家族や企業という従来の中間集団ではなく、仲間というインフォーマルな中間集団が人生の物語のメイン舞台として台頭してきている。
現代の若者たちの友人関係重視の志向がこうした趨勢と関係していることはもちろんである。ただし、『ワンピース』の仲間たちと若者の友人関係とは大きく違っている点もある。若者の友人関係は「他者性のない他者」を志向する傾向にある。本来、自分の思うようにならないのが他者というものであるが(だって他者なのだから)、その部分(他者性)を取り除いた、自分を丸ごと承認してくれる他者、自分の期待どおりに振舞ってくれる他者を期待しているところがある。それゆえ友人関係というのは相互受容的なセラピー機能をもつことになるが、それは微妙なバランス感覚の上に成り立っている「やさしい関係」であり、ちょっとしたことで傷ついたり、壊れてしまったりする。現代の若者たちは、私の大学生の頃に比べると、こうしたバランス感覚に優れていると思うが、相当のエネルギーをそのために費やしているに違いない。疲れるだろうなと思う。「友だち地獄」なんて表現が生まれるわけだ。良好な関係を維持しつつ、相手の内面には深くかかわらない、「みんなぼっち」の世界がそこには広がっている。
『ワンピース』の仲間たちはそうではない。彼らは最初から仲間だったわけではない。最初は、敵対する他者として登場し、身体的な暴力や言語的な暴力を行使した相互行為の後で仲間になったのである。そうした殴り合いの喧嘩や激しい言い争いは現代の若者たちがもっとも苦手とするものであり、回避しよとするものである。『ワンピース』の仲間たちは、互いに他者として出会い、他者のままで相互承認に至っている。彼らにはそれぞれの夢があり、同じ一つの船(居場所)に乗って、夢の実現のために冒険の旅を続けている。若者たちの友人関係は、関係それ自体が目的であり(気のあった仲間と過ごす時間の心地よさ)、関係の外部に目的があるわけではなく、したがって、その目的の実現のために対外的な行動(冒険)をともにするわけではない。
授業の後、教務室に戻ってしばらく雑用をして、大学を出る。夕食は「メーヤウ」でインド風ポークカリーとラッシー。
10時半、帰宅。風呂を浴びてから、録画しておいた『最後から二番目の恋』の第二話を観る。千明(小泉今日子)が失恋の話をするシーンが秀逸。こうしたつらい話を語るシーンをどうやって設定するかは脚本家の腕の見せ所なのだが、こんなやり方があったとはね・・・。和平(中井貴一)が見合いをすることになった女性が職場の女子職員の母親で、その職員も和平に好意を寄せていたことがわかるという展開も面白い。