7時、起床。豚肉生姜焼き、レタス、トースト、紅茶の朝食。
今週はテスト・レポートの採点と、ゼミ論集の編集が主たる仕事である。とりあえず午前中は「ライフストーリーの社会学」のテストの採点。
午後、散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で昼食。ハンバーグ・ライスと珈琲。五木寛之『下山の思想』(幻冬舎新書)を読みながら。
腹ごなしに散歩。東急線の線路沿いの飲食店街は昔ながらの蒲田らしい雰囲気が漂っている。
ディスカウントチケット店で韓国映画『哀しき獣』の前売り券(すでに1月7日から上映されている)を購入。『週刊文春』の映画評で大変に評価の高かった作品である。
一度家に戻ってから、川崎のトーホーシネマに『哀しき獣』を観に行く。韓国系中国人のタクシードライバーが借金帳消しの代わりに韓国に密入国して人一人を殺すことを依頼される。韓国に出稼ぎで密入国したまま音信不通の妻を捜す理由もあって、彼はその依頼を引き受ける。ところがターゲットは彼が殺害を実行する前に別のグループによって殺されてしまい、現場にかけつけた警官たちから殺人の犯人として追われるはめになる。いや、警察からだけでなく、殺害を実行した一味からも、彼に殺害を依頼した一味からも追われることになるのだ。その凄まじい追跡ー逃亡の合間に、彼は妻の行方を追い、自分をはめた人物の謎にも迫ることになる。追われる者は同時に追う者でもあり、命を狙う者は同時に命を狙われる者でもあるという、安定したポジションに身を置く者は一人もいない状況の中でストーリーは展開する。そういうこともあって、また、脚本に荒っぽいところがあるせいもあって、ストーリー自体は分かりにくい。『週刊文春』の批評家たちはストーリーをちゃんと理解した上であの批評を書いたのだろうか。そうだとすればとても明晰な頭脳の持ち主たちだと感心するが、たぶんそうではないのではないかと思う。暴力と悲哀のシーンに圧倒されて、「なんだかよくわからなかったけれど、とにかくすごい」という印象をもって、あまり時間を費やさずに、あの映画評を書いたのではないかと想像する。