9時、起床。今日から7月である。しかし太陽が出ていないので、「7月だ!」という実感がない。一昨日(金曜日)が7月1日だったらよかったのにと思う。焼肉(豚ロース)、キャベツ、トースト、冷麦茶の朝食。
午後、散歩に出る。今日は妻は朝から出かけている。息子に、「昼食を外でとるつもりだが、一緒に来るか」と誘ったら、ついてきた。自分で何か作るよりその方が楽だと考えたのだろう。「三ツ矢堂製麺」でつけ麺を食べる。前回初めて入った店だが、今日はプラス200円で、味玉やチャーシューやモヤシを加え、麺の量も並盛り(100グラム)から中盛り(150グラム)にしてみた。お腹いっぱいになった。やはり並盛りで腹八分目というのがいいように思う。
食事を終えて、息子は真直ぐに帰ったが、私は「シャノアール」で食後のコーヒーを飲んでから帰る。
『深夜食堂』(第二部)を最終話まで観た。一日一話、味わいながら観ようかとも思ったのだが、面白さに、ついつい最後まで観てしまった。当初、第二部は映画版が考えられていたそうだ。しかし主演の小林薫が映画化に疑問を呈し、もうワンクール、TVでやろうということになったらしい。映画化した場合、複数の話を、オムニバスではなく、それぞれリンクするような構成が考えられていたそうだが、私はそれを知って、高倉健主演の映画『居酒屋兆治』を思い出した。寡黙な主人(高倉)のいる居酒屋に集まる常連客たちの人生模様を重ね合わせながら人生の機微を「しみじみと描こうとした」作品だったが、作意が露出してしまっていて、うまくいったとは言いがたい出来だった。『深夜食堂』は深夜の時間帯に低予算の中でやりくりして製作しているところに味わいがあるように思う。おそらく小林薫はそのことを分かっていて、映画化に賛成しなかったのだと思う。やはり野におけれんげ草である。『深夜食堂』は一種のユートピアが描かれている。一応、新宿二丁目あたりが舞台になっているが、あくまでもそれは架空の街角であり、深夜から明け方にかけて、そこに集う訳ありの人々の人生が静かに(ときに激しく)交錯する様子が描かれている。静かにであれ、激しくであれ、他人同士があんなふうにかかわりあうことは現実にはなかなかないことであろう。だからこそわれわれはそこに一種のユートピア、深夜の都会のオアイスを観るのである。店内の作りが一直線のカウンターではなく、コの字型のカウンターになっているところが、味噌である。
夜、夏ドラマの先陣を切って、『ビューティフルレイン』が今日から始まった。う~ん、次回を観たいような、そうでもないような・・・。難病もの(ここでは若年性アルツハイマー)のTVドラマに対しては、いつもアンヴィバレンツな気分になる。