フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月6日(金) 雨

2012-07-07 11:21:24 | Weblog

   6時半、起床。昨夜は2時半の就寝だったのに4時間で目が覚めてしまった。朝食前にブログの更新。

   ウィンナーとキャベツの炒め、ご飯、冷麦茶の朝食。

  11時過ぎに自宅を出て、大学へ。

  昼休みの時間、演習「個人化の社会学」の次週の発表グループの事前相談。政治参加がデータである。政治参加といえばデモとか投票とかがすぐにイメージされ、若者の政治的無関心などが問題されやすいが、政治というのはもっと身近なところにもある。たとえばfamily politics というのは家族の政治、略して「家政」であるが、家族の暮らしをうまくまとめていくこと、およびその方法を指す言葉である。家族だけでなく、職場、近隣、学校、サークル、友人関係、恋人関係に至るまで、およそ集団や人間関係のあることろ、政治というものが存在する。こうした広義の政治、身近な政治から考察を始めていったらどうかというアドバイスをする。

  1時から教務-事務連絡会。

  3時頃、「フェニックス」で食事。チキンカレーとコーヒー。

  ゼミで読む文献を人数分(38部)印刷する。 

  6・7限はゼミ。3・4年生合同で文献の講読+3年生のブックレビュー。9時半までやる。


本日のスイーツは4年生のHさんが調達してきたラスク

  10時に大学を出て、あゆみブックスと成文堂に寄って、以下の本と雑誌を購入。

    庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫)

    庄司薫『白鳥の歌なんな聞こえない』(新潮文庫)

    庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』(新潮文庫)

    庄司薫『ぼくの大好きな青髭』(新潮文庫)

    『散歩の達人MOOK 公園の時間』(交通新聞社)

  庄司薫の「赤頭巾ちゃん」四部作は単行本、文庫本(中公文庫)で所有しているが、今回、新潮文庫版を購入したのは、「あわや半世紀のあとがき」と「解説」(苅部直、紫門ふみ、御厨貴、坪内祐三)を読むためである。

   『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、最初、『中央公論』1969年9月号に掲載され、それが芥川賞(第61回)を受賞し、同年8月に単行本として刊行された。話題になった作品だが、当時、中学3年生だった私は関心がなく、しかし同級生の親友が絶賛するものだから気にはなっていて、高校生になってから読んだ(庄司薫が高校に講演に来たのがきっかけだったかもしれない)。読むとこれが面白くて、一日目に「赤頭巾」を、二日目に「白鳥」を、三日目に「黒頭巾」を読んだ(「青髭」はまだ刊行されていなかった)。そして、目を酷使したせいだろう、ものもらいになって眼科に行った。

   庄司薫は1937年の生まれだから、今年で75歳である。「75歳になった薫君」!

   「ぼくは時々このぼくは、この『赤頭巾ちゃん気をつけて』の作者というより読者の一人なのではないか、と思うことがある。幸運なことに、ぼくは本当に多くの読者とその素晴らしい感想に恵まれてきたが、そのたびにぼくは、この作品を繰り返し読んできたような気がするからに違いない。」(「あわや半世紀のあとがき」より)

   「ぼく」である。この文体は1970年代の文体になった。そして1979年に村上春樹が『風の歌を聴け』で登場し、その「僕」の文体が1980年代の文体になった。「ぼく」の文体と「僕」の文体の間の関連は、あるような、ないような、一筋縄では解明できない。もしかしたら私たちが知っている村上春樹は、実は、影武者で、書いているのは庄司薫なのでないかという疑念を、私はまだ捨て切れてはいない(というのは嘘です)。

   蒲田に着いて、先日と同じ立ち食いそばの店「そば新」で、うどんにイカ天、ちくわ天、生卵をトッピングして食べる。 

  11時半、帰宅。昼は蒸し暑かったが、網戸から入ってくる夜気はひんやりとしている。チュンも涼しげな顔をしている。