8時、起床。
目玉焼き、ウィンナーソーセージ、トースト、サラダ(トマト、コーン、レタス)、紅茶、ヤクルトの朝食。
アマゾンに注文していたエリクソンの本が届く。
E.H.エリクソン『アイデンティティとライフスタイル』(誠信書房)
E.H&J.M.エリクソン『ライフサイクル、その完結』(みすず書房)
必要があってエリクソンのアイデンティティ概念、および自己の発達モデルについて勉強し直している。
昼食は下丸子の「喜楽亭」に食べに行く。
「喜楽亭」は改札口(多摩川方面)を出てすぐ横にある。この場所から写真をよく撮る。電車を降りた人たちでにぎやかな感じが演出されるのと、道が右にゆるやかにカーブしていせいで空間に奥行きが生まれるのがいいのだと思う。
「喜楽亭」には月一ペースで来ているが、4月は来なかった。3月に来たのが28日だったので、それほど間が空いた感じはしない。一ヶ月と一週間ぶりだ。
北側の壁一面が蒼々とした蔦に覆われている。新緑の壁だ。
新調した暖簾もシャキッとしている。
いつものチキンカツ定食を食べながら、ご主人といつものようにおしゃべりをする。
店を出て、腹ごなしに近所をぶらぶらする。
「喜楽亭」のご主人に聞いたが、この「アルプス」という店は『それでも町は廻っている』というアニメのモデルとして知られてるそうだ。アニメの中では下丸子の町自体がほぼそのまま使われているらしい。そういう設定―バーチャルな世界とリアルな世界を架橋する試み―は他のアニメでもときどき見られることで、そういう町はファンの間では一種の「聖地」として訪れるべき場所となっている。
蒲田に戻って、駅前からバスに乗って、病院に母を見舞いに行く。
デイルームで話をする。話といってもとりとめのない話である。母の病気は回復の見込みのないもので、母もそのことを知っている。そういう人と連日どういう話をしたらいいのか、よくわからない。たぶん母自身にもよくわからないのだと思う。現在の体調の話をしたり、先の話をしたり、昔の話をしたり、話題は時間軸の上をあちこち移動する。私は母の話についていくだけだ。こちらから特定のテーマを持ち出すことはしない。とりとめのない話は、母が黙りがちになるか、看護師さんが体を拭きに来てくれたりしたときが切り上げるタイミングだ。帰りがけに、「今夜は鰻の蒲焼が出ますよ」とナースステーションの前の壁に貼ってある一週間の献立表で見て来たことを母に話すと、「あら、そうなの、へえ」と母は言った。あまり食欲はないものの、好物に反応するだけのエネルギーは残っているようである。あるいはそれは母の儀礼的な演技であったかもしれないが、そうだとしても、儀礼的な演技ができるというのはよいことである。
パン屋で明日の朝食用のパンを買い、「伊勢屋」という和菓子屋で柏餅とお稲荷さんを買った。
花屋の店先にカーネーションの鉢植えが並んでいたので、2鉢買って帰る。
カーネーションの鉢は玄関脇の棚に置く。昨日、別の花屋で買ってきたものと合わせて3鉢になった。もっと増やそう。土曜日に母が一時帰宅してきたときにずらりと並んだカーネーションで迎えるのだ。
「ムッシュのんのん」のガレッジセールに行く。昨日は買うのを断念したマリリン・モンローのカレンダー・ポスターをやはり購入することにした。「ムッシュのんのん」の思い出のために。3枚購入して紐でしばってもらう。
帰りに道で何枚か写真を撮る。街角のマリリン・モンロー。
ヌード写真ではないので、街中を持ち歩いても違和感はない(・・・か?)。
帰宅して、紐を解いて、玄関前に並べてみる。
なつの奴が(やれやれ)という顔をしている。
懸案の飾る場所だが、書斎のドアの内側がちょうどよいことがわかる。3枚同時には飾れないが、適当に掛け替えることにしよう。研究室のドアの内側には「単純な生活」という書が掛けてあって、なかなかにストイックなのだが、書斎はモンローか(笑)。
夕食は鮭と野菜のレンジ蒸し。
デザートは「伊勢屋」で買ってきたお稲荷さんと柏餅。