7時、起床。
トースト、カレー、サラダ(トマト、ベビーリーフ)、牛乳の朝食。
10時になるのを待って、東京ステーションギャラリーに電話を入れる。昨日、手帳の落し物がなかったかを尋ねる。「どんな手帳ですか?」と聞かれる。「縦長の黒革の手帳です。名前は書いてありません」と答えると、「はい、届いております」と言われた。ああ、よかった。「ただ、ここにはもうありません。今朝、東京駅お忘れもの承り所というところへ引き渡しました」とのこと。そうか、東京ステーションギャラリーは東京駅の一部であるから、電車内での忘れ物と同様に扱われるのだ。私はお礼を言って、そちらの方へ電話をした。手帳の特徴を改めて聞かれる。自分は教員で、手帳の後ろの方のメモの頁に担当する授業(ゼミと演習)の学生の名簿が貼ってあり、たとえばゼミ7期生(3年生)の名簿の最初の学生は〇〇〇〇ですとフルネームで言ってみせたところ、「はい、わかりました。確認しました」と言われた。
午後、東京駅まで手帳を受け取りに行く。
私はこれまでいろいろなものをいろいろなところに置き忘れたり、落としたりしてきたが、8割以上の確率で手元に戻ってきている。それはあたかもブーメランのようである。これは間違いなく日本の社会の美徳の1つであろう。「ブーメラン型社会」と呼んでもよいのではなかろうか。この言葉、流行らそうなか(笑)。
気分をよくして、昼食は「SKIPA」に食べに行く。
のんちゃん、こんにちは。
失くした手帳が戻って来てね・・・という話をする。日記帳(ほぼ日手帳カズン)もこの時期はまだ薄いので、鞄に入れて持ち歩いている。ほぼ日手帳ウィークリーとの最強タッグであるが、もし鞄ごと失くしたら、そのショックは計り知れないだろう。過去と未来が同時に失われ、私は極端な現在志向(刹那主義)に陥るに違いない。
アイスチャイ。
ホットドッグ。
他の客が店を出て、しばらく客は私ひとりだけの時間ができたので、のんちゃんとおしゃべりをする。
うつむける女の吐息夏は来ぬ たかじ
新潟生まれののんちゃんは夏が大の苦手なのである。
喉が渇いたのでシークワ―サーを追加で注文。扇風機が回っている。初夏である。
「梅花亭」の店先に麩饅頭が出ていたので、三色とも買う。
家に帰る前に病院に母を見舞う。夕食の献立は焼き魚で、秋刀魚の丸干しだった。
偶然、我が家の今夜の献立も秋刀魚の丸干しだった。
デザートは今年最初の麩饅頭。