9時、起床。
トースト、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、紅茶の朝食。
昨日のブログでスタジアムツアーの紹介(宣伝)をしたお礼のメールがユミさんから届いた。いま、ザルツブルグを旅行中とのことで、写っているのはザルツァハ川だが、ユミさんが立っているのはモーツァルトシュテク橋だろうか。
「ザルツブルクは緑と古い街並みが調和した、本当に素敵な街です。またカフェ文化が大切にされ、ケーキも美味しく先生にぴったりの街です(笑)」
オルデンバーグは『サードプレイス』の中で、こう書いている。「ウィーンのコーヒーハウスには、ほかの文化のほとんどのサードプレイスに見られる以上の、純然とした優美さがある。」(314頁)。ユミさんもその優美さに魅了されたのあろう。
「しかし、ウェイーんのカフェが素晴らしい理由は優雅さだけではない」と彼は続ける。ここが重要な論点だ。
「オーストリア人の多くがコーヒーにのせるホイップクリームと同じで、優雅さはあれば嬉しいけれども不可欠なものではない。もっとも重要な要素が、ウィーンのコーヒーハウスの変わらぬ魅力の根本にある。/ウィーン市民の生活の質こそが、この都市のカフェを発展させているということだ。ほとんどの人は持ち家をもたす、住民の大多数が昔から集合住宅で暮らしている。だから、この広く浸透した住居のしかたは、自宅で家事や家の手入れをする時間が少なくて済み、労働者は勤労時間外により多くの自由時間をもつことができる。それに、集合集宅暮らしは空間も設備もかぎられているので、気軽な息抜きや社会との接触ができる公共の場の需要が、ほかの都市よりも高い。ウィーンの人びとは公共的な環境のなかで生活の大半をこなし、日々の満足感を得ることになっている。/イギリスのそれと違って、オーストリアのコーヒーハウスは、女性の立ち入りを禁じたことがない。それどころかカフェは、オーストリアの多くの主婦の一日に不可欠な、お待ちかねの時間の象徴なのだ。午後4時ごろ、イギリスの主婦たちが自分の部屋で紅茶を飲んでいるとき、ウィーンのコーヒーハウスには地元の婦人たちの陽気な一群が押し寄せる。「おやつの時間」(ヤウゼ)、すなわち家事の合間に世間話をし、濃厚なチョコレートやシュラークオーバース(ホイップクリーム)てんこもりのスポンジケーキをほおばりながら、深炒りのコーヒーを何杯か飲むひとときである。このウィーン流アフタヌーンティーを心ゆくまで楽しむために、多くの女性は昼食を抜く。男性が雑談をする時間は昼食後なので、これらの似たような会合が入り乱れることはない。ご婦人がたのヤウゼのさなか、店内には男性客も大勢いるが、座席の争奪戦など起こらない。神様はどんな気まぐれを起こしたのか、女性が好んで座るのは室内中央の大型テーブルで、そこは男性がけっして行きたがらない場所なのだ。」(315-316頁)。
妻はジムに行っている。娘と「phono kafe」に昼食を食べに行く。
ちょっと眉毛を描いている。
店内に入ると、常連客のCさんがいたので、「娘です」と紹介すると、「そっくり!」と叫んだ。ちゃんと眉毛を描いていたらもっとそっくりです。
私はおにぎりセット、娘はご飯セットを注文し、おかずは6種全部をチョイス。
玄米と豆腐のタルト人参ソース掛け
揚げ茄子と茗荷の和マリネ(左)、シカク豆のスパイシーフリット(右)
里芋とジャガイモのつまみ揚げ(左)、空芯菜の白和え(右)
ラタトゥイユ
ごしそうさまでした。
娘がカキ氷(白桃と練豆乳)を食べたいと言うので1つ注文。私は暖かいあずき茶。
私のあずき茶も飲む。
妻からケータイに電話が入って、「まだ、フォノカフェにいるの? 私も行ってカキ氷を食べたいのだけど、まだやっている?」と言う。まだやってますよ。
ほどなくして妻が来て、カキ氷(南高梅のジャムとキンカンと練豆乳)を注文。
娘も手を出している。
妻、「あっ、財布を忘れて来っちゃた」。はい、はい、全部私が払いますよ。
昼食の時間が遅かったので(3時ごろ)、夕食は8時。
娘の好物の豚しゃぶである。
デザートは梨。
けっこう家族な一日だった。